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退職の練習㉕ときめきの片付け祭りⅤ~音楽がやってきた💖

 ときめきの片付け祭りを始めて、何日たったのだろうか?

 実は、自分の性格的に、一心不乱というか猪突猛進というか、やり始めると一気に片付けてしまいたいタイプである。寅年の牡羊座(つまり?)。

 うちのダンナの好きなのんびりゆったり温泉生活とか、実はじれったいかもしれない。しかし、退職の練習である。見習い期間だ。
 四六時中、顔を突き合わせている相手と、衝突してもつまらないし、相手は退職3年生だ。1年生の私としては、なるほど、そうですかとアドバイスを聞いていることが賢明な気がする。

「今日、片付けを進めたいから温泉に行かないで片付けようかな?」

というとダンナが、

「温泉にも行ってから片付けろ。何も先を急ぐことはないんだから」

と言う。そうか、せっかく自由人だしな、と。
 毎日の日課の温泉行き、毎日のスーパーマーケット散歩、それに、最近は2人での川べりウォーク30分が加わった。もちろん、夜の晩酌も楽しみだ。

 したがって、片付けも、できる分、あせらず、ゆったりとやっている。
 もっと、自分がイライラするかと思ったらそうでもない。
 毎日の温泉行きは、最高に清々しい。
 楽しい。
 自分の荷物と向き合うのは、とても大変だけど、職場のどうでもいいものなら、すぐにジャッジして捨てれるのに、それが毎日のシゴトであるなんて。大変だけど、幸福なことかな?

 自分に出会うためにやっているのだ。

 自分が何にときめき、ときめかないか。
 自分の部屋に占めるこの荷物は何なのか。
 えふりこき(津軽弁でかっこつけの意)なのか。
 あら、母親の呪縛だったか、と気が付いたり。

 人は人の影響を受けて生きているんだなあと再確認している。

 自分の意味不明に多い、えふりこきで買った本は、母親の本の買い方に似ているし、どんだけ、外の世界に、答えを求めているのかと呆れたりしている。この体験から、きっとこれから自分は、今ある怪しい本たちをなんとかするまでは、本屋で、本を買わないと、思う。

 私が出会いたいのは、自分の中の自分なのに。
 自分の中にしか答えはないのに、どれだけ、外に求めてるんだ?

 片付けとは、つまり、自分の心の中を片付けることに等しい。

 先日、自分の必要な電化製品が3つあることに気が付いたと投稿したが、それが、少し時がたったら少しずつ解決している。

①つめ。カメラ。今の二つ折りのケータイをいずれスマホに変えなければならないみたいだから、スマホのカメラでいいんじゃないとダンナに言われた。

②つめ。音楽を聴くもの。私が美術室で生徒にDVDやBRを見せるために買っていたブルーレイプレイヤーで、CDかかるんじゃないのか?とダンナ。

 今日、それを思い出して、自分の部屋で、冒険してCDをかけてみたら、かかった!スピーカーはボーズのパソコン用のやつがあったので、それに差し込んで、鳴らした。うううううううううう、嬉しい!

 久保田利伸のノリのいい歌声が、部屋に響く。

 これからは音楽が私の友となって、片付け祭りを後押ししてくれる。
 今日は久保田利伸の「KUBOSSA」を聞いていた。

 思わず、整理する手に、拍車がかかった!
 もうすぐ、机の上は、空いて、作品の製作が開始できそうな勢いだ。
 なんだ。電化製品でさえ、私はもう、すでに持っていたのか。

 片付けてみないと、本当に、自分の荷物の全貌も
 自分の心の全貌もわからないのかもしれない。

 人生は面白い。