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2度目の流産で息子を失って2年経ちました

本日は2年前に2度目の流産で妻が息子のまるちゃんを分娩した日でした。
14週以降の後期流産だったので、通常の分娩と同様の分娩という形となり、5日間の入院と無痛分娩を実施する形になりました。
小さな棺に入れられた我が子を胸に抱きながら退院し、火葬場に連れて行き、僅かに残った骨をかき集めて、小さな骨壺に入れて持ち帰りました。

小さな棺の中には助産師の方が編んでくださった毛糸の布団を被せてもらたまるちゃんと助産師の方々が入れてくださった献花が入っていたのですが、
退院した日に、家の近所にまだ咲いている桜があって、その花も妻と2人で棺に入れました。その桜が今年も咲いていたので、仕事帰りに先日写真を撮ってきました。そして妻は今日、娘とともに見てきたそうです。

今日、妻と一緒に手形・足形などと一緒に置いてあるまるちゃんの骨壺に手を合わせました。2年前のことは今でも当時の感情と一緒に鮮明に覚えていて、失った息子のことを思うと途端に涙が出て、妻を抱きしめました。

毎日のように「今度こそは…」と願い続けたにも関わらず、突然息子を取り上げられ、眼の前が真っ暗になって、心が伽藍洞になったあの日。
死んでしまった息子を産むために、入院中ずっと痛い思いをしていた妻の顔。
産まれてくる子供に期待に胸含まらせている妊婦さんがたくさんいる待合室の中を、小さな棺を抱きしめて後にした退院。
火葬の直前、棺をあけて触れた息子の肌。妻と2人で伝えた「愛してる」の言葉。
心に開いた穴を必死に埋めるように遊び、友達に会って支えてもらった日々。でも決して埋まり切ることがない感覚。
「次ダメだったら、壊れてしまうと思う」といった妻の言葉。

今から思えば、私たちが本当に苦しんだのは最初の流産からの2年という短い期間だったのかもしれないですが、「流産」が与える苦痛は計り知れないものがあると思います。娘が産まれてきてくれた今でも、あの頃に心捕らわれて苦痛を感じる日がありますし、娘の向こうに産まれてくるはずだった子供たちを感じて、返して欲しいと思うこともあります。

流産を完全になくすことはできないと思いますが、以下のような取り組みが社会で拡大していって欲しいと思いますし、自分もなにかできることがあるならしていきたいと思います。

  • 妊娠したらせめて安定期に入るまで業務量を制限したり原則テレワークとしたり追加の有給を与える制度

  • 妊娠や出産、流産に関する情報を発信する場の拡大

  • 不妊症や不育症に対するより多くの助成金(私たちの場合、検査等で20万以上かかりました)

  • 出産、特に流産の分娩に対する助成金(私たちの場合、流産の分娩で出産育児一時金等さしひいいても40万以上かかりました)

娘が時々、何もない虚空を見上げて笑いながらなにかを訴えかけようとしてる時があります。妻と一緒に「さんちゃんとまるちゃんと話してるのかな?」なんて話しています。今日も2人でまるちゃんの骨壺に手を合わせながら「いつも、見守ってくれていてありがとう。」と伝えました。

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