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ふうせんメロン

「ママ! 見て!! メロンができてきているよ!」

「わぁ。本当だぁ」

ベランダ菜園で育てるメロン。
食べた野菜や果物の種を植えて育てるのが親子の楽しみになっている。

母から送られてきたメロンの種を植えて、ひと月が経ったくらいだろうか。
メロンの数も多かったので、獲得できる種もそれなりの量だった。

一部はベランダの柵のグリーンカーテンにでもしてみよう、という軽い気持ちで植えたので、特に摘心もせずに自然の成り行きで育てていた。

偶然にも身を付けたものは予想通り小さい物であったが、やはり第一号ということか、得られる感動もそれなりに。

メロンの重量感を帯びた小ぶりなフォルムに、どことなく可愛げを感じてしまう。

「なんだか、風船みたい」

口走ったのは、私だった。

質量を伴う物体が、宙を浮かぶわけではないのに。

私の発言を受けた娘は、メロンに向けていた真剣なまなざしを空に向けてつぶやく。

「風船みたいに、空に飛んでいったらいいのに」

「どうして?」

「だって、おばあちゃんにも食べてもらえるでしょ?」

「・・・」

「うん。そうだね」


私の母は、二か月前に空へ旅立った。
旅立ちを見送ることも、別れの言葉を交わすことも叶わず。
突然のことだった。

旅立ちのおよそ一週間前に、母から段ボールの荷物が届いていた。
中身は娘が好きなお菓子と、メロンが大半を占めていた。

母はメロンが大好物で、自宅でメロンを栽培するほどだった。

私が思春期を迎えたころ、子育てにかかる時間から解放され、自分の時間をとれるようになって始めたのが家庭菜園だった。

親と話すのが面倒だと感じる当時の私も、やはり血縁だからだろうか。
メロンへの嗜好は立派に受け継がれていた。

母と一緒に食べるメロンはおいしくて、でもそれだけじゃない。
一緒にいたいのに素直になれない私。
メロンが母と一緒にいられる理由になっていた。

きっと、家庭菜園を始めたのはコミュニケーションに気を遣う年頃の娘との接点づくりにと、母なりに試行錯誤した結果なのかもしれない。

でも、母はあえて口にしなかった。
それは正解だと、お互いが暗黙のうちに一致していたに違いない。

それから母は毎年メロンを栽培し、親元離れた私のもとにも欠かさず送ってくれた。

だから、メロンが送られてくるときは、母は幸せの最高点に到達しているときだと思うわけで。

来週末くらいに電話でもしようかなと思っていた。
ご機嫌な母の声を聞きたかった。

けれども、それはもう、永遠に叶わなくなった。


葬式が終わり、私は送られていたメロンを思い出す。

メロンの皮の張りが心なしか柔らかくなってした。
食べなければならない頃合いで、もうこれ以上は待てない警告。

なんで、このタイミングで、母の大好物を、思い出が詰まったものを食べなければならないのだろう。
でも、食べなければ私は一生後悔することになる。
命とは残酷だと思ったのは、後にも先にもこの時しかないと思った。

メロンは美味しかった。いつもと変わらず。
違うのは、「これが最後」と思いながら食べることだった。
涙が止まらなかったのは、言うまでもないことで。


気が付けば、私はメロンを育てていた。
かつての母と同じように。
今度は、自分の娘と一緒に。

そういえば、母が初めて実がなったメロンを見たときにこんなことを言っていた。

「見て! メロンがまた大きくなっているわ! まるで風船みたいね!」

子どものように嬉々として、驚きと感動に満ちた母の姿に、当時の私は恥ずかしさと喜びが混じった気持ちを抱いていたから思わなかったけれども。

やっぱり私は、母の娘なんだな。

文・写真:アヤトレイ







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