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情熱の使い方を自分で決めないと、余剰エネルギーを利用される

人の人生を全て食い尽くす、それは常軌を逸していると思った。入社から1年以内に、簿記2級、貿易アソシエイト、TOIC750、法律実務検定2級の取得を義務付けられる。
転職してから半年、英語の契約書は届いていない。貿易アソシエイトは営業すら必要ないとのこと。簿記に触れる機会はない。そして、2023年は司法試験の短答式よりも難しい司法試験予備試験の短答式に合格したのに、法律実務検定を受ける理由が分からない。

本来、目標があり、その目標を実現するために必要だから資格を採る。資格取得には先があるから頑張れる。というのが情熱の使い方だろう。資格は夢の実現のための切符で、仕事に注げなかった情熱の行き場ではないはずだ。
にもかかわらず、要らない資格を取るために、限られた土日を搾取するとは如何なるものだろうか。
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自分がどの様な人間か気が付くことで、自分の能力を過不足なく判断し、人生で成しうる成果が見えれば、必要な仕事は自然と出てくる。その時に貯めた情熱を注ぐのが、自分の人生の在り方であろう。
にもかかわらず、超過した人員によって業務不足が露呈し、業務に注ぎきれなかった熱を会社が利用するために資格取得義務が発生する。
誰も得をしないこの義務によって、資格を先に取得した人がエライ人になる。結果、会社の言いなりに情熱を使った人間が偉ぶる。人の偉さは資格の有無ではない。エライかどうかはどの様な成果を遂げたかによって決まるはずである。

少し脱線したが、資格は自分の人生で、自分が活躍するために必要な切符に過ぎないはず。まして会社が自己都合で利用し、被利用者が偉ぶるものではないだろう。
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まるで人間を理想的なロボットに作り変える様な義務となった資格。そこに熱を注いでは、本当に必要なところにエネルギーを注ぐことが出来なくなる。

しかし、多くの人は、会社の指揮命令の下、当たり前のように資格取得に労を注ぐ。そして、取得したことを鼻にかける。
私から見ると、熱の使い方としてただ勿体無いと感じる。
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時間もエネルギーも無限にあるのなら、会社という他人が求めるものにパワーを注いで、浪費するのも悪くはないだろう。
しかし、1年はあっという間に過ぎ、失われた情熱も奪われた時も返品はしてもらえない。かけがえのない時と熱を、片時の自慢のために奪われて、良いのだろうか。

仮に資格を取るのなら、自らの意思と判断で得るべきだろう。
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他人に踊らされ、仕方なかったと割り切って自分を諦めて行く。年を取ればそれが正当な生き方と、納得するのが格好良くも見える。
しかし、私は何歳になっても、自分の人生は自分の意思で決めて、使っていきたい。毎日の僅かな時間も私の人生で、今日も、人生なのだから、少し位いいだろうとはならない。

流れる様に終えた2023年、自分は何を手にしただろうか?諦めか?
いや、外観からは例え進歩がなかったとしても、私は人に意思を伝えることを諦めず、前進したと思う。もっと若いうちから今の自分でいたかったとさえ思う。
だから、これからも自分の人生を諦めることはしたくない。そんなことをしたら、これまで頑張ってきた自分が可哀想じゃん。
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2024年の目標は、要らない資格取得に時間と労力をかけて、時とエネルギーを無駄にしないこと。私が本当に欲しいものは、貿易アソシエイトでも、簿記でもないのだから。

とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)