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俺は人生で10冊も小説を読破したことがない

※自慢回です

どうやら、おれは文章力があるらしい。

小心者ゆえに、口論や口説きの場面に弱く多少オーラある人の前に立ったらアウアウとなってしまうあやさとだが、プレッシャー無しの環境で頭の中から湧き上がってくる文章を形にするのは、割と得意らしいんだ。

という結論に至ったのも、
どうも周りから文章力に関してはえらく褒められることが多く、それが一定数あったため、他己評価がそうであれば案外ガチでそうなんじゃないか、とだいぶ信憑性が高まっているからだ。
まあ自分はプロじゃないし他の部分の能力は安定して低いため、そのわりにはできるじゃんという小さな子供を見るような評価軸なのかもしれないが。
自分は才能を知らしめたいとかそういうアレではなく、単に自分の文章を見るのが好きだし承認欲求も高いから盛んに書き連ねていただけで、才能があるないは特段気にしていなかったもんだから、意外とこの事実にびっくりしている。

そういえば、自分は昔から文章を書いていた。
中学生の頃は自作の小説や、ゲームのキャラの能力解説をイタさ全開で生み出していたし、授業中暇なときは先生に見られないようにこっそりノートに何らかの文章やキャラのキャッチフレーズを書いていたものだ。
今も覚えているのが、小学校低学年の時に、漫画「キャプテン」に触発されて、学童保育園の折り紙?的な紙の端をテープでつないで簡易的な本を作り、タイトルに「墨谷二中練習計画ノート」と書いて、作中の墨谷二中野球部の練習内容であったりとか合宿スケジュールを書き連ねていたら先生に見られて、それを笑いながら他の先生と回し見されたトラウマレベルの思い出があり、今これを書いている瞬間もそのことを思い出してアアアア…となった。
「墨谷二中練習計画ノートやってwww」と、保育園の先生は「キャプテン」を知っていたのだろう、それも相まってめちゃくちゃ恥ずかしかった。

完成度高くできた作品をニヤニヤしながら何十回も見直すのは好きだったし、今もなおnoteで生き恥を餌に文章をまき散らしている。
自分の文章を周りにいじられることは何度もあったが、それでも好きだったもんだから四六時中自分の世界の構築にはげみ、いまはゲーム制作としてその精神世界を形に残そうと努力しているのだ。
なので自分が作ったゲームは他の人にめちゃくちゃ紹介したくなるし、感想も聞きたい。自分にとってゲームやnoteは、承認欲求を満たすためのツールだから。

そんな俺の読書歴について語りたいんだけど、
ぶっちゃけ語れることはない、活字本にいたっては嫌いと言っても過言ではない。
母親が全力で進めていた「夏の庭」は開始数分で開いた本をアイマスクにして寝ていたし、内容に関しては一切覚えていない。
夏の話だったんだろうか・・・
読書は嫌いなんだ、頑張って作った作者の為にも一言一句を逃さず全身全霊で見たいというタイプだから、単純に疲れてしまう。
映画にも同じことが言えるから、コンディションの悪いときは絶対に見ない。

だからまともなインプットがない分、何で文章に触れたのか考えていると、漫画とゲームの攻略サイトだった。
とくにゲームの攻略サイトは大好きで、元々好きなゲームが自分がプレイしていただけでは決して知りえなかった裏技や詳細な情報が書かれており、世界が一気に広がる感覚がしたのだ。
わかりやすくいうと、ゼノブレイドで蜘蛛の洞窟をぬけて初めてガウル平原に出たあの感覚に似ている(殴
マジであの感覚。
ここで自分が好きだったゲームの攻略サイトを紹介させてほしい。
ファイアーエンブレム 聖戦の系譜のキャラ評価だ。

自分が心をはせていたキャラクターの数々が、他人に評価されている・・・
それはまるで、自分自身を評価されているかのようだった。
そうそうそうだよね!とうなずくこともあれば、なるほどそういう見方もあるのか、と目を丸くしたりと、とにかくこのサイトは何百回見たかわからない。
いつかは自分の作ったゲームのキャラが、誰かにサイトの様に解説されるのがひそかな夢の一つだ。

もう一つ、ある。
正直自分に与えた影響はこれの方が大きい、っていうかこれに尽きる。
チュンソフトのノベルゲーム「428 封鎖された渋谷で」だ。
とくにその中でもクリア後に読める特別編「カナン編」に尋常じゃないほどの感銘を受けている、ぜひ覗いてみてほしい。
俺はこのカナン編が好きすぎて、自作ゲームの主人公はカナンがモチーフになっているほどだ。

このYouTubeも数えきれないほど見た。
文章に迷いが生じたとき、モチベーションを上げたいとき、感受性を上げたいとき、俺はこの動画に帰ってくる。
自分はこのカナン編の文章の美しさに衝撃を受けた。
選ばれる言葉が、すべて最高のチョイスであり、すべての言葉が必要不可欠な歯車となっている。
正直、この文章に勝る完璧さをもった文章を俺は知らない。
読破数10以下だろという指摘はいらない、これ一本あれば抜群の文章センスが磨かれるのだ。
言い回し、比喩など見ててウオオオとなりっぱなしの2時間半。
あまりの言葉の美しさに、完走後は日本人であることに心から感謝した。
だから、暇だったら見てほしい。
小説の読破数は文章力に比例するかどうかは知らないが、俺は少なくともこのカナン編だけを心の一冊として胸に刻み込んでるし、文章は結構暗記している。
そんな心の一冊に出会えたかどうかが、いわゆる「文章力」を上げるために大切だと思うんだ。

俺も、noteやゲームでセリフを書くとき、停滞して言葉が出てこなかったことがある。研鑽を積もうと決心したとき何をするか。
新しい小説を買いあさるか、文章構成のメカニズムを学ぶか?
チッチッチ、このカナン編に帰ってくるのだ。
自分の理想としている文章が、ここにはある。
この2時間半の文章の旅は、自分をまた一回り大きくさせるのだ。

にもかかわらず。
このカナン編、428ゲーマーからすこぶる評価がわるい。ナゼダ
「428 カナン編」とGoogle検索したところ、つまらないだと眠いだのそういったワードが出ており、お前ら見る目ねえなと思いながら今日も俺はカナンに会いに行く。

結局何が言いたかったかというと、
大事なのは自分の瞬間最大風速だと思うのだ(ずんだもん風)
カナン編を超す作品を知らない限り、それ以外の文章を摂取する気にならない。
あの本だけは読んでいて疲れない、むしろ読書後の方が元気になっている。
そんな自分が衝撃を受けた文章にずっと触れると、自分が執筆するときその文章に影響を受けるため、自分が読んでて楽しい文章が作れるようになるのだ。
自分がウキウキしながらかいた文章は、文脈ににじみ出る。
だから文章力を上げるには大好きな作品を2千回くらい読むだけでいいと思うのだ。


P.S
我、応用情報技術者試験絶賛怠惰中
試験刻一刻間近絶対絶命也

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