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自由であるための自由を得る力

ずいぶん前のことになってしまったけど、2月3日(日)に第1回「きこみゅ」があった。
知り合いで出版社に勤めてる人工内耳装用者の子からお誘いを受けて参加してきたんだけど、普段は交流のないクリエイターや芸術大学の学生さん、
美術館巡りが趣味というとても芸術に造詣の深いお姉さん、聾者のデザイナーさん…たくさんの方とお会いすることができた。
イベント自体は定員6名の小さなものだったけど、とっても濃厚な時間を過ごせた。
私自身、図工や美術の授業が得意ではなかったので、少し緊張気味で参加したのだけれど、自分はこれまで「鑑賞」というものをかたく考えすぎてたなってこと。ずっとずっと自由なものだって感じた。

作品に込められた作者の思いを知るとか、表現技術であったりだとか、人それぞれ大切にするポイントってあっていいんだなって。これまではなぜか、美術館に行ったら端から端まで作品を一つずつ見て回らないといけないって考えがちだったけど、そうとも限らなくて。
言ってしまえば、それも一つの鑑賞の方法。
自分の興味のある、一目見て好きだ!って感じたものに時間をかける、逆にスルーする作品があるのも一つの方法。

色々な楽しみ方を保障するという観点から下のような技術が出てくるのって、活動の広がりを後押しする一つのポイントになるのかなって感じた。

音声解説 文字に変換  美術館で初の実証実験 筑波技術大 「障害者も鑑賞楽しんで」

情報支援についても言えることかもしれないけれど、
まずは選択肢があること、そしてそこから「自分にとって」必要なもの適したものを選び取っていくことが大事。

例えば、聴覚障害者は平均聴力だけではわからない、どんな聴力型かや語音明瞭度などで聞こえ方の差がとても幅広い。そうなると、個々人に最適と感じる情報取得の手段も千差万別であることは自然なことだ。

だからこそ、情報支援の手段は

〇日本手話
〇文字情報支援
筆談やノートテイクやパソコンテイク・要約筆記・音声変換など
〇聴覚活用型の支援
FMシステムやループシステム・ワイヤレスアクセサリなど
など多岐にわたるようになる。
これもまた自然なことであるが、まだグローバルに様々な支援に対応できる状況が整っているとはいいがたい。

色々な自治体で徐々に手話言語条例が制定され、手話への認知が広がる一方で、片耳難聴者はもちろんのこと、高度な技術を持つ補聴器の開発や人工内耳装用者の増加に伴って、ある程度聴覚から情報を得ることが得意な聴覚障害者もいる。

聴覚障害への代表的イメージというのはあるのかもしれないが、それに引っ張られて画一的なものに固定されてしまうとある意味怖いな、と感じる。
その幅広さこそが聴覚障害の難しさの本質でもあるように思うから。

情報の楽しみ方が自由であるということを感じたからこそ、自由に楽しむための情報の入口もまた広がり、自由になっていくことを願う。

そしてその自由を得るために聴覚障害児者が自分を知って選択するための力を育んでいく手伝いをしていきたい。

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