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フードエッセイ | 焼きたて食パン

美味しいパン屋さんがある街へ出かけると、ひょいとお店に入ってお気に入りを見つけて購入し、店を出るとすぐにパンを頬張りながら街をブラブラするという”パンブラ”をしてしまうことがしばしばある。(昨今は中々できないけどね。)

美味しいパン屋さんというのはそれだけで魅力的なんだけど、パン屋さんの付近を通りかかるときに排気口から漂う甘くて香ばしい匂いはそれはそれは素敵なもので、まるで糸で手繰り寄せられるかのように、店内にする〜っと入り込んでしまう。これはもう意識とはかけ離れた無意識の行為。条件反射。という言い訳かもしれないけれどそんなことはどうでもいい。

困ったことは、昼時でもなく、大してお腹が空いているわけでもないときですら、パン屋のショーケースに並んだ焼きたてのパンを見つけてしまうと、”今すぐ食べようレーダー”なるものが働いてしまうこと。家に持ち帰って翌日の朝食にいただくのだって十分に幸せだし、そうすることもあるんだけれど、明日よりは今、焼きたての今が美味しいし、そのパン屋さんがある空気の中で食べるほうが美味しいと思っちゃうわけなのです。

そんなわけで、ついこないだもパンブラしました。(周囲に人がいないことを確認してね。)代々木上原にあるカタネベーカリーでクロワッサングリエールを!お天気の良い秋の昼下がり、幡ヶ谷へ向かう坂道途中で、クロワッサンの破片の一つ二つが風にさらわれながら。なんと幸せな光景か〜。

なにしろカタネベーカリーのパンは、ほんとうにおやつにぴったりなんです。(おやつにも、というのが正しい。朝ごはんにしたらパリみたいになるし、夜にワインと楽しむのも最高なのです。)

とっても丁寧に作られていることが分かるじんわりした美味しさがあるんだけど、素朴で控えめで飽きがこない。そしてほんのり小ぶりで、ほんとうにもう、おやつにぴったりなんだよね。クロワッサングリエールなんか、幾重にも重なるクロワッサン生地が軽やかで、パリッという食感やその音に、思わずスキップしたくなる。空から眺めてる鳥たちもさぞかし羨ましいだろう。そしてバターもチーズも入っているのに、まったくもたれない。いつ来ても地元の老若男女が列を成していて、のどかであたたかい雰囲気なのも大好きな理由の一つです。こんなパン屋さん、近所にほしいなぁ。

どうしてこんなふうに焼きたてのパンにパブロフ犬のごとく反応してしまうのかということを考えていくと、その原体験は私の幼少期にあると思います。

私の母はパンの講師で、我が家ではパンを買うという習慣がほとんどなく、食卓にはいつも母の焼いたパンがありました。今になって思うと、ほんとうに幸せなことだったのだと思います。

パンは気温が高いと過発酵して美味しくならないそうで、夏になると母が涼しくなる夜にパンを焼くことがありました。当時小学生だった私は、夜更かしして飲み食いするなどというだらしない習慣を持ち合わせていなかったので、遅い時間は食べ物を食べませんよ、というような暗黙のお子様ルールを守っていました。(なんで今はできないの。)
でも、母が夜な夜なパンを焼く日は、ルール違反OKなスペシャルデー!みたな雰囲気なのです。

パンの焼きあがる甘くて香ばしい匂いというのはほんとうに幸せな香りで、思わず目を細めて胸いっぱいに空気を吸い込みたくなるような、そんな至福の香り。

その香りがリビング中を充満して、やがて食パンが焼きあがると、母がその焼きたての食パンを籠に入れて食卓に運んでくる。
すると家族が小走りで食卓に集まってきて、歓喜とともに唾をごくりとを飲んでパンを囲む。山型にふっくらと膨らんだ食パンを、ブレッドナイフで母が二等分すると、みな鼻息荒くしながら一斉に食パンに手を伸ばして、あつあつの食パンを大胆にも好きなところからちぎって頬張る。
これがほんとうに美味しいのです。

私にとって、今も変わらず、食パンの一番美味しい食べ方です。

実家を出た今となっては、母の焼きたての食パンを食べることは以前ほどできなくなったし、パン屋さんで焼きたての食パンをその瞬間に買うなんてことも中々できないのですが、焼きたてのパンを見つけると条件反射的にパンを買って店を出てすぐに頬張ってしまうのは、そんな経験からなのかもしれません。致し方ない!

関係ないけれど、パンになにをのせるか、なにをつけるか、という話になると、これはすごく難しい問題です。チーズやツナなどのしょっぱい部門から、ピーナッツバターやヌテラといった甘いもの部門まで、一位決戦がほんとうに難しくて日々悩ましい。
まぁそんなことは誰も気にしてないし、一位を決める必要がそもそもないんですけどね。
ともあれパンっていいよね。幸せが詰まってる。

とんでもない早起きをして、街を幸福の香りで包んでくれるパン職人さん、ほんとうにいつもありがとうございます。
そして、パンの幸せを教えてくれたお母さん、ほんとうにありがとう。



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