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映画「ファーザー」感想

7月28日、映画「ファーザー」を観てきた記録。ネタバレを含みます。

この映画を観ようと思ったのは、Podcastだげな時間 第6回 映画「ファーザー」前編ネタバレを聞いたのがきっかけです。

なんの情報もなしに観ることをおすすめする、とのことだったのですが、わたしはお話を聞いて興味を持ち、観ることにしました。

わたし、家族ものが苦手で、この映画にもタイトルからして家族の絆を描いた作品でしょ、と思ってました。おそらく、彼らのポッドキャストを聞かなければ、選ぶことはなかった映画です。

ここからはネタバレです。私的記録が目的なので覚えている限りストーリーを書いていきます。マイ解釈、記憶違いなどあるかも。

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舞台はロンドン。物語は主に、83歳になる老人・アンソニーの視点で進んでいく。

冒頭シーンで、アンソニーのフラット(主に英国における集合住宅とのこと)に娘・アンがやってくる。父親であるアンソニーは、介護人ともめたらしい。アンとしては、もっと介護人とうまくやってほしい。何故なら、近々ロンドンを離れ、恋人と共にパリで暮らしたいから。
アンは父を一人にするのが心配なのだが、父は、自分はそんなに老いぼれてはいないと憤る。それに、介護人が彼の時計を盗んだという。しかし時計は見つかり、父は反省の色なし。

またアンソニーはフラットにいる。一人で過ごしていたはずが、家の中には見知らぬ男が寛いでいる。君は誰だと問うと、娘の配偶者で、名前はポール。結婚してもう10年になるという。
離婚したのではなかったか。混乱するアンソニー。娘の夫は、お父さんの調子が悪いようだとアンに電話をかける。娘はパリに行ったのでは? と問う。男はそれを知らない様子。
これは、まずいことを口走ったかもしれないと、誤魔化すアンソニー。ほどなくアンが帰ってくる。

このアンは、冒頭のアンとは別人……。パリには行かず、家族の夕食のために買い物をしてきた。

ここで観ているこちらも混乱するだけど、実はアンソニー、認知症を患っている。それで、一人にはできないのでアンは介護人をお願いしたいと考えている。

新しい介護人、ローラが訪ねてくる。アンソニーはローラを見て、魅力的だ、娘のルーシーに似ているという。
ルーシーはアンの妹で、最近はまったく連絡してこないが、素晴らしい娘だった。画家として世界中を旅していると話します。ローラが気に入ったのか、アンソニーはタップダンスを披露して見せ、お酒を振る舞います。
うまくいきそうな雰囲気だったのですが、急に機嫌が悪くなり、悪態をつきはじめます。ローラは、よくあることだとアンを慰めます。

後日、アンソニーの介護人として訪ねてきたローラ。薬を用意しながら歌うローラに、馬鹿にするなと怒ります。機嫌を直したアンソニーは、ローラに、本当にルーシーに似ていると話す。
ローラは、お気の毒ですと言うが、アンソニーはなんのことだと返す。ローラは彼の身に起こっていることを察し、誤魔化す。

アンの妹、ルーシーは若くして亡くなっている。父であるアンソニーは、それさえも忘れてしまっている。アンソニーの中では、今もルーシーはどこか遠くで生きて、旅をして、絵を描いている。

時計を探すアンソニー。ソファーで寛ぐ娘の夫の時計が気になる。この夫は最初に出てきた男とは別の人物。アンソニーは彼に、その時計は買った物か、贈られた物かと問う。アンソニーは、その時計は自分の物ではないかと思っている様子。不快そうな夫。

アンソニーは、夫婦が自分の住むフラットを乗っ取ろうとしているのではないかと疑う。
それを口にすると、夫から思いもかけない言葉が飛び出す。ここはあなたのフラットではない。現在、自分たち夫婦があなたを預かっているのだ、と。

食卓でアンの夫は、アンソニーを老人ホームへ預けたほうがいいのではないかと話す。アンは頑なに拒むが、夫は、お父さんは病気だ、ここで面倒を見るには無理がある、と。
それを、アンソニーは聞いてしまいます。アンはとりなし、父に座るように促す。夫は、アンソニーのせいで計画していた旅行に行けなかったことを責め、アンは耐えきれずに席を立ち、食卓にあったチキンを片す。
アンソニーはもう少し食べようとキッチンへと向かい、その際に軽く娘の肩をポンポンと叩く。この僅かな仕草で、父と娘の関係が垣間見えたような気がする。

食卓へ戻ろうとしたアンソニーの耳に入った夫婦の会話は、父親を老人ホームへ預けよう、お父さんは病気なんだ——さきほどの会話が繰り返されている。

眠る父の頬を愛おしそうに撫でたあと、首を絞めるアン。彼女の精神も限界が近い。

ある日、娘の夫と二人きりになったアンソニー。夫から、いつまで自分たちをいらつかせるのか、娘の人生を奪うのかと問われる。動揺するアンソニー。

憔悴した顔のアンソニーが彷徨っている。場所は病院らしい。鏡に写った姿は普段よりもずっと老いの影が濃い。廊下の先に扉の開いた病室があり、ベッドには瀕死と思われる女性が横たわる。それは、おそらく事故に遭った娘の姿。

いつまでわたしたちをいらつかせるのだ、と娘の夫から言われる。だが、この夫は以前に同じ台詞を言った人物とは別人。

何が真実なのかわからず、不安に苛まれるアンソニーに、アンは優しく寄り添う。

着替えをするアンソニーは、うまくセーターを着ることができない。アンはそれを手伝い、着せてあげる。アンソニーはこのとき、素直にありがとうと口にする。その言葉に胸が詰まる様子のアン。

二人は病院へと向かう。エレベーターの中でアンに、お前髪はどうした、と言うアンソニー。素敵だ、と娘を褒める。嬉しそうなアン。
夫はどうしたのだと問うアンソニーに、アンは不思議そうに、もう5年も前に別れた、今は新しい恋人とパリで暮らそうとしていると話す。

二人の元へ介護人が訪ねてくる。お気に入りのローラだと思っていたアンソニーだったが、やってきたのは別人だった。今まで彼の介護をしていたのは、ローラではなかった。

朝目覚め、カーテンを開く。部屋の様子が違う。入ってきた女性に、お前は誰だと問うアンソニー。
彼女はアンソニー担当の老人ホームのスタッフ・キャサリンだった。昨日も会いましたよ、と穏やかに接する。冒頭で娘として現れた女性は、彼女だった。
アンはすでにロンドンを離れ、パリで暮らしている。週に一度は様子を見にくると言っていた。
男性のスタッフも入ってくる。この男性は、最初にアンの夫として出てきたのと同一人物。
怯えるアンソニーは、ママ、と呼ぶ。誰か迎えにきて、おうちに帰りたい、と。
混乱するアンソニーを宥め、着替えをして公園を散歩しましょうと提案する。

アンソニーは絶望の最中、すべての葉が失われていくようだと呟く。風や雨が奪っていく。
老いた姿で身も世もなく幼子のように泣くアンソニーを、キャサリンは宥め続ける。

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長くなりましたが以上がだいたいのストーリーです。

認知症になり大切な思い出を失いつつある老人の視点で物語は進んでいく。観ているほうも、何が真実なのか混乱してしまう。

娘のアンは疲弊しながらも献身的に父に寄り添う。そんなアンに、最初こそ憤り自分は一人で何でもできると言い張っていた父親だったが、徐々に口数が少なくなり、自信をなくし、不安を募らせていく。

彼の喪失を止めることはできない。これからも失い続ける。その恐怖が、アンソニーの目の動き、わずかな唇の戦慄きから伝わってくる。

狭い経験の中で思うことで恐縮なのですが、物語の中で描かれる介護って、介護する側のたいへんさ、悲しさが描かれ、最後には絆として美しくまとめられるのがセオリーなのかなぁと思う。もちろん、現実はそんなに甘くない。だけど物語の中くらい、美しい幻想を、というのもわかる。
わかる、が、わたしはそういうのに感動したくない。まぁ観ちゃうとうっかり泣いちゃうんだけど。

しかしこの物語は認知症の老人の視点で描かれていて、そこに強く興味を抱いたのです。彼の頭の中で、何が起こっているのかと。
もちろんこれも物語なので、現実の認知症の方の体験とはまた違うのかもしれない。だけど一つのケースとして、貴重な追体験として、興味深い映画だった。

何より恐ろしいのは、彼が自分自身に何が起こっているのか悟ってしまっていること。大切なものが次々と失われ、現実と虚構が混ざり合い、何を信じればいいのかわからない。静かに、大切なものが自分から剥がれ落ちていく。楽しく美しい思い出ばかりではない。娘を失った悲しみの記憶さえも、病は奪っていく。
忘却がせめて救いになるのならと、安易に思うことは憚られる。悲しみの記憶は薄れ心の奥底に沈んでしまったとしても、失われてよいものだと他人が断ずることはできない。そんな傲慢なことは。

アンソニーは偏屈で我が儘な老人として描かれていますが、おそらくはもともとは違った人柄だったのだろうなと思う。そうでなければ、娘があれほど追い詰められながらも、彼に尽くすとは考えられない。

この物語で、娘の夫は辛辣なことを口にし、冷酷な印象を受けるのだけど、たぶんそれは違うのだと思う。我慢を重ね、耐えかねてアンソニーを責めてしまったのだとしたら。自分も、追い詰められたらあれくらい言ってしまうかもしれない。

もしかしたら、娘が夫と離婚した原因はアンソニーにあったのではないかと思う。だとしたら、アンソニーは5年も前の幻影を観ていたのだろうか。
短いシーンだったけれど、病院の廊下を彷徨い、ルーシーらしき女性を見つけたときのアンソニーの姿。あれが、実は現在の本当の姿なのではないか……というのは考えすぎだろうか。
あのときのアンソニーは、他のシーンと比べて明らかに老いて見えた。

うちの伯母も、現在施設にいる。少し認知症が進んでいるときいた。施設に入る前は、家の物が盗まれた、鍵が盗まれたと言っていたらしい。アンソニーの時計と同じだ。だから時計のシーンは、よくあることなのだろうな……と思って観ていた。

ドラマ「大恋愛」も認知症を扱った物語だった。こちらは若年性アルツハイマーだった。年若い女性ということで、恋愛、結婚、出産が絡んでくるので趣はまったく違うが、喪失の恐怖としては近いものがあった。

そんな日がくることは、ないほうがいいけれど、もしも、もしもいつか、身近な誰かが同じように喪失と混乱に苦しんでいたら……何もできないけれど、せめて、責めたりはしないようにしたい。難しいかもしれないけれど、心に留めておきたい。

もしも——自分が、彼のようになってしまったら。恐ろしいことだけれど、なるべく迷惑をかけずにすめばいいな……。それくらいしか、考えられない。

すべての葉がうしなわれていくようだ。

とても悲しい台詞だけれど、去りゆく葉の一つ一つがどれほど愛おしく美しいかを表していたと思う。

面白かったというには、重いテーマの映画だった。だが、観てよかった。



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