私の百冊 #02 『素数ゼミの謎』吉村仁

『素数ゼミの謎』吉村 仁 https://www.amazon.co.jp/dp/4163672303/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_HHxMFbSAVDF1Y @amazonJPより

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まず、「素数」について、おさらいをしておいたほうが良さそうな気がする。恐らく「note」の読者の大半が、「素因数分解」という字面を目にしただけで、まるであの最も忌み嫌われている昆虫・Gが視界を過ったかのように、首を竦め、ブルブルッと身体を震わせることだろう。こういうとき、現代においては、Wikipediaを引くのがいい。本当に「いい」のかどうか知らないけれど、Wikipediaというのは不思議なことに、なんとなく害が少ないふうに見える。恐らく、世の中の専門家の多くが、往々にして、なんらかの思想信条を表明すべく、己の学問を悪用してきた結果だろう。

素数(そすう、英: prime number)とは、1 より大きい自然数で、正の約数が 1 と自分自身のみであるもののことである。正の約数の個数が 2 である自然数と言い換えることもできる。(Wikipediaより)

僕は後者の言い回し――「正の約数の個数が 2 である自然数」――のほうが好きだ。前者の言い回しには、「1 より大きい自然数で」という前置きが付されており、どうも美しくない。なぜこの前置きがあるかと言えば、これを差し込んでおかないと、「1」を素数に加える人間が出てくるからである。約数が2個だよ、と言っておけば、「1」の目の前で扉を閉ざすことができる。

さて、「素数ゼミ」である。この「ゼミ」が実は「蝉」を指していることは、書影からすでにお分かりだろう。では、蝉の何が「素数」なのか? そう、寿命である。ただし、ここで言う寿命は誕生時の平均余命ではない。平均では困る。それぞれの個体がほぼ一様に素数でなければならない理由がある。著者の吉村先生はそう言っておられるのだ。

蝉は自然界に於いて、大変重要な被捕食動物(食べられるほう)である。とにかく大量に地表に現れ出る。捕食動物(食べるほう)からしてみれば、もうお祭り騒ぎになる。食っても食っても出てくるのだから、もし蝉が極めて美味であったとしたら、たとえば代表的な捕食者である鳥の食事が、いわゆる「ローマ式」(食っては吐き、吐いては食う)に進化したとしても不思議ではない(ローマ式の食事をする鳥が発見されたという話は寡聞にして知らないので、たぶん蝉はさほど美味ではないのだろう)。

実はここに問題がある。

蝉が地表に出てくるのは生殖活動のためなのだが(地中で配偶者を探すのは困難を極めるのだろう)、もしこの時に、捕食者のほうも大量に生まれていたりすれば、蝉は絶滅の危機に瀕する。あるいは、地表を異常気象が襲っていたりすれば、やはり大変な事態に陥る。なにしろ長いこと地中で暮らしてきた後、生殖のためにほんの短い期間だけ地表に出てくるのだから、そこでの失敗は種の存続にとって致命傷になり兼ねない。

そこで、「素数」の出番なのだ。

冒頭で確認したように、素数には約数が自分自身しかない。例として、12年物の蝉と、13年物の蝉について考えてみよう。12年物の蝉は、1年物・2年物・3年物・4年物・6年物・12年物の捕食者と出会う可能性がある。しかし13年物の蝉は、1年物と13年物の捕食者としか出会わない。たとえばそれぞれの蝉が、不運にも、4年物の捕食者の大発生に遭遇したと考えてみよう。12年物の蝉の場合、次に奴らと出会うのは(哀しくも)12年後である。が、13年物の蝉の場合、次に奴らと出会うのは(なんと!)52年後(13×4)なのだ。そのあいだに3回も繁殖機会が訪れるわけであり、52年前に絶滅寸前に追い込まれたとしても、52年後には回復していることだろう。

数論というのは、当たり前の話だけれど、人間の頭の中にしかない。人間は「数」を発明したのであり、発見したのではない。しかし、13年ゼミだとか17年ゼミだとか、そんなものが実在することを知ると、もしかして、人間は「数」を発明したのではなく、発見したのではないかと信じたくなる。本書はそんな夢を見させてくれる名著です。(綾透)

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