戯曲『まだなにもはなしていないのに』(冒頭)

戯曲『まだなにもはなしていないのに』

◎あらすじ

ある日、次女が帰ると家中が何者かによって荒らされている。簡単に考えれば空き巣だが、現金など金目のものに手をつけられていないことが、なおのこと何が目的で行われたことなのか、不安を増大させる。残業で遅れて帰ってきた父、ずっと2階にいたにも関わらず部屋から出ることのなかった長男、ただの空き巣として済ませてこの件についてはなるべく話したくない次男など、これを契機として、ここまでに積み上げられた様々な、家族の鬱憤が爆発する。

◎登場人物

・無理…17歳。次女。高校2年生。ひきこもりの兄がいることは、友だちには秘密にしているので、昔から友だちを家に招いたことはない。マイブームはぬいぐるみで、自分の背丈より大きいサイズのものでも、ひるまず積極的に買うタイプだから、部屋の面積が結果的に狭くなっている。他の部屋にも置き始めていることに、嫌がる家族もいる。

・多分…19歳。次男。大学1年生。それほど勉強を頑張らずに大学に入り、楽そうなサークルを選び、時給も安いが暇なところが気に入ったバイト先で、特に問題もなく日々を過ごしている。こだわりと呼ぶべきものがあまりみあたらない。

・阻害…32歳。長男。中学の時からずっと引きこもって今に至る。最初はいじめによるものかと両親はあちこち探りを入れたものの、そういうわけでもないらしい。未だに理由は不明。唯一の趣味はゲームで、Youtubeに時々実況動画をあげているが、再生数は伸びない。どうぶつの森など、箱庭的な理想の世界を創りあげることが好き。

・呆然…55歳。父。離婚をするのはこれで2度目。阻害は最初の結婚のときの子供。単身赴任に行ったり行かなかったりする人生だったので、主に自分の貯金で買ったにも関わらず、家族の中ではいちばん自宅に馴染みが薄い。営業に苦手意識がある営業マン。売上が低いわけでも高いわけでもないが、人と絡みたがらない性格は会社内で吉と出ており「めんどくさくないほうの上司」と、多くの若手社員に思われている。会社の経営が緩やかに傾きつつあることに気づき始めている。

・恐縮…24歳。長女。兄妹の中でひとりだけ、父と血が繋がっていない。元々は母の連れ子だったため、離婚後は母のもとで育てられる。自分から積極的に行動を起こすのが苦手なタイプで、いつも誰かに引きずられている。大学卒業後はフリーター。バイト先での評判は上々で、バイトリーダーでもないのに、面倒な役割を次第に社員に押し付けられ始めている。行動的な母のことは軽蔑していて、反面教師として捉えている。誰かと揉めることを最も嫌っていて、いつも曖昧な返事をする。母と二人暮らしを続けているが、一人暮らしを始めたい。

・挫折…51歳。母。家族へのこだわりが人一倍強いからこそ、しばらくすると、家族を壊してしまう。離婚をするのはこれで3度目。恐縮は最初の結婚のときの子供。過去に引きずられやすく、嫌な過去を思い出しては鬱になりがちで、その鬱を新しい男性との出会いで解消することにしている。熱しやすく冷めやすい。一度決めたことは断行するが、やってしまったあとは途端にどうでもよくなる。刹那的に生きたい癖に、妙なところで理性が戻ってくる。

◎本文

0.5

阻害 見放すことも、突き放すことも出来ない。あなたたちの誰からも離れることが出来ない。まずはここから始めなければならない。あなたに何も伝わらないことなんて認めない。逆もそうだ。あなたはわたしにすべてを伝えられる。世界はすべて理解可能である。わからないこともわかることも区別はない。すべてが伝わっていて、取りこぼしはひとつもなく、意味は何一つずれることなく、悲しみはない。すべての出来事はわたしたちにいっさい関係がないから、何事もなかったかのように笑顔で、毎日食卓を囲むことが出来る。なぜわからないのか、そういうものだろう、家族は。あなたたちはその事実から、これからも意識的に目を背けようとするのか。それでは誰とも腹を割って話したくない。大切なひとにしか、なにも話したくない。言葉という言葉を世界に手放したくない。わたしを家族という共同体から離せ。それが出来ないと言うのなら、わたしはこの部屋の中に、わたしの家と、家族を、創りあげてみせよう。

1

空き巣が入って荒らし回ったあとのように思われる、惨憺たる情景の家。
無茶苦茶な位置に物が散らばっていて、元々の姿が想像しにくい状態。
「無理」が全体の惨状を眺め、ぼんやりと立ち尽くしている。


無理 引き裂かれた熊のぬいぐるみの腹の中には相当量の綿が詰め込まれていたらしい。裂け目は短いにも関わらず、顔を覆い隠すほどの綿が、吹き上がる煙の如く飛び出していて、今もなお異様な存在感をこの部屋の中に放っている。このくちゃくちゃに萎んだ熊のぬいぐるみのほうが、綿の付属物であるかのようだ。特に大切にしていたものでもないのに、この部屋の中では悲しみを示す旗として、食卓に凛と刺さっているから、元々存在していた悲しみを、否応なく増幅させる。わたしの部屋のある二階へと続く階段を上る気力は、今はわかない。わくはずがない。なにもかも無理だ。無理になった。盗るものなんてこの家にはないよ、と親が嘯くような古い家だから、もちろん玄関の鍵も苦し紛れについているようなちゃっちい仕掛けで、わたしだってきっと本気を出せば、財布に入れている鍵をどこかでたとえなくしたとしても、何らかの方法で開けられると、頑なに昔から信じている。玄関の扉からノックの音がする。反射的に発した拒絶の意思を示す声は虚しく墜落し、足音が近づいてくる。確率的にこの時間帯は、家族の誰かの訪れのはずだから、自宅に足を踏み入れないはずがないし、どのような惨状も肉眼で確かめて受け止める権利があるはずなのに、家族に無理な拒絶をしてしまった。今はひとりにしてほしいなんて、今はこの空間で永遠に静止していたいなんて、今はふさわしくない言葉を、飲み込まなければならない。

呆然 扉にぴったりと両手をついたまま、中から漏れる音に耳を澄ませば澄ますほど、私の足の踏み入れられる限界の線は、ちょうど私の足の爪先に沿って引かれているのではないか、という結界に似た何かを感じ、足が鉛のように重い。一歩もここからは動けない、金縛りでもここまでではない、圧倒的な硬直が全身の皮膚という皮膚を襲う。感情を持たない甲冑にでもなった気分だ。眼鏡も鞄も肉体の一部であるかのようで、外の風によるかすかな震えに、痛覚が過敏に刺激される錯覚すら、うっすらと芽生えつつある。ずっとこのまま外にい続けるというほとんどない可能性について検討して却下する。そう、逃げているだけだ、私は、私自身の家から。いつだって考えられたはずだった、この家が私の完璧に所有していないものになるかもしれないという恐怖を。あなたにはいつだって帰る場所がある、なんて、まやかしでしかない、気休めだということを。両耳を塞ぐための両手を、緩やかにあげて、扉のノブをぐっと握り締める。

(続く)

※※※※※

青年団リンク キュイ『まだなにもはなしていないのに』公演詳細

本公演は、3月25日から28日に、アトリエ春風舎での音響上演を予定しております。
チケット予約など、詳細は下記のURLからご確認くださいませ。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

https://cui99iuc.com/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?