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戯曲『あなたたちを凍結させるための呪詛』(冒頭)

戯曲『あなたたちを凍結させるための呪詛』

◎登場人物

わたし

◎本編

   空間は三つある。
   闇と職場と家。
   三十歳前後の女性が一人いる。
   印象には残らない。
   街ですれ違ってもあなたたちは、
   決して振り返ることはないだろう。
   2022年2月。
   かけがえのない日々。

0

   開演前。
   黙々と職場で仕事をしている女性。
   どうやら事務職らしい。

   開演。
   PCを消して、仕度をして、家に帰る。
   このあいだ、一言も喋ることはない。

1

胸の中に氷柱が突然
出現したような気がした
内側から徐々に石化していくとしたら
こんな感覚なんだろうか

混濁する意識にまみれながら
硬直する肉体に縛られながら
昨日みたアニメを妙に思い出す
駅の柱に手をついて
内側から凍っていく心臓に
手を当てる
どれだけ時間が経ったのかわからないけれど
わたしより若そうな男の人が
大丈夫ですかと声をかけてくれる
こんな世の中で
知らない他人に声をかけてくれるなんて
なんて寛容な人だろう
わたしだったら絶対しないのに
ありがとう

いう声がでも
全く出ない
痛い
痛くて
息が苦しくて
痛いから
マスクを外したいのに
周りの目が怖くて
痛いのに
外せない
違うんです
わたしは人一倍感染対策とか気を
痛い
つけているんです
油断したことなんてないのに
今は非常事態なんです
仕方ない
痛い
んです

いう声も
痛い
出ない
わたしを囲む複数の人
若そうな男の人がどこかに電話をしてくれて
わたしを囲む複数の人が更に増えて
それが
きっと
最後の記憶

2

肺炎ですか
そうですか
コロナですか
そうですか
オミクロンですか
違うんですか
デルタですか
まだあったんですか
そうですか
これでも軽症なんですか
ああはい
アレルギーは
はい
子供の頃からで
はい
ああでも
恐らく大丈夫ということですか
そうですか
良かったですね
良かったですか
もうすぐ退院出来ますよ
良かったですね
良かったですか
そうですか
感謝しなければならないですか
ああそうですかそうですか
そういうものですか
医療従事者のみなさまに感謝します
心の底から感謝します
だからここに
どうしてもわきあがる
心の底からの悲しみと憎しみは
わたしを救ってくれた人たちを
綺麗に取り除いたあとの
世界に対して
思いきり
力任せに
ぶつけてやりたい
そういった感情になります
誰も苦しめるわけではありません
この感情は飲み込みますので
苦しむのは
わたしだけです

3

引き継ぎしてくれないから困ったよ

いつものように鼻を丸出しにして
というか口の一部も若干見えそうな感じで
適当にマスクを装着している課長が
これみよがしなため息をわたしに向かって吐く
息をかけるな
出来れば息そのものをしてくれるな
わたしも心の中でため息をつく
困ったよ
困ってるよいつも
あなたには
あなたからうつったんじゃないですかね
うちの職場で
電話の度にいちいちマスクを外す馬鹿をやるのは
あなただけですよもちろん
知ってましたよね
なんて
誰からうつったかもわからないのに
理不尽な悪態をつく
悪者はわたし
声に出さない悪態は
許される
許されなくてもそうする
悪者
悪者でいいや
わたしがそれで救われるなら
あなたたちが勢いよく非難しても
つゆほども罪悪感を抱かないような
悪者でいいや
悪者でい続けたいよ
明日も
明後日も
いつまでも
永遠に

4

後遺症なのかよく分からないけど
なんだか時々
暖房がついているのに
体が凍りついて
脳は真っ白になる
そこに感情はなくて
断片的な記憶だけがある
なんだろう
この
変な疎外感
わたしが
わたしの人生が
丸ごと
何かに
否定されているような
訴えられる場所がどこにもない
この痛み
絶対に
離れることがない
心と体に
明確な境界線を
引かせてほしい
体がぼろぼろになっても
わたしの心だけはどうか
最後まで守らせて
わたしを抱きしめられるのは
わたしだけ
誰の手も及ぶことのない
檻の中にわたしを放置して
そこにわたしがいることを
誰もが忘れてしまう場所で
安らかに眠らせて

5

邪悪な想像に頸動脈を
握られている
爪が立てられて
血が滲む
取り返しがつかなくなる事態の
手前にいるとして
何が出来るんだろう
呆然と出血を眺める以外の何が
わたしに出来るというんだろう
流れる血が凍っていく
誰かがその血を踏んで足を滑らせて
頭の打ちどころが悪ければ
冷たい死体になるだろう

6

危険な人を危険だと指摘したら
危険な人はそのことに激怒して
危険なことをすると学んだから
危険な人はこの世界に
いないふりをして
みんなは日常を過ごすことにした
そのほうが
危険じゃないから
でも
わたしは
危険だと叫ぶことを
決して忘れない
ただしそれは
声に出してすぐに
凍結させて固めて
無音にする
無害にする
ちゃんと届かない声にする

(つづく)

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