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対話篇/戯曲ノート#1

Aマッソ、尼神インター、すごい論、Dr.ハインリッヒ…。配役が女性二人になったのは偶然だが、漫才師の話を書くぞ、と意気込んで膨大な量の漫才を見、どの漫才もすこぶる面白かったけれども、そんなに漫才の登場しない、当初の予定とはぜんぜん違う話になってしまった。こういうことはよくある。書いているうちに、ハンドルを切り損ね、アクセルとブレーキを踏み間違え、とんでもないところに辿り着いてしまうことが。

そう、『対話篇』は、ソクラテスの話でもあり、漫才師の話でもある。これだけの説明だと「???」という感じだが、二つは物語のなかで、密接に絡みあっている。人を笑わせることについて真剣に考えることがそのまま、人生の徳について考えることに繋がる。それは、善き対話とは何か、ということだ。わかりあうことのみが、対話の目的ではない。そして、対話に終わりはない。二人が別れても、遠く離れていても、ある意味では対話し続けることが出来る。それは呼吸である。それは営みである。それは何かの喪失と、何かの獲得である。

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