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『きれいごと、なきごと、ねごと、』パート1(戯曲)

『きれいごと、なきごと、ねごと、』

○登場人物

♀愛雨(あいう)…長女。高校三年生。家族の中では唯一、自分のことではなく家族のことを優先的に考えている。あらゆる物事に対して諦念を抱いている。
♀白雨(はくう)…次女。高校二年生。自分の片想いしていた豪のことを妹に取られて以来、翠雨に激しく嫉妬している。物凄く自己中心的で、いまの不幸さは自分の可愛さに見合っていないという苛々を募らせている。
♀翠雨(すいう)…三女。高校一年生。過食症を止めることができず、痩せることに憧れはあるものの、若干太り気味。男性恐怖症。
♂続(つづき)…長男。妹たちを罵倒すること、傷つけること、暴力をふるうことに最大の喜びを見出す。父親似。
♂豪(ごう)…高校三年生。翠雨の彼氏。優柔不断。臨機応変さがなく、トラブルに適切な対応が出来ない。
♂溝口(みぞぐち)…高校一年生。翠雨のストーカー。性欲を全力で肯定し、欲望を成就させるためならあらゆる手間を惜しまない。
♂霰(あられ)…年齢不詳。見た目は大人だが知能は幼児並み。暴力衝動を抑えるほどの理性が備わっていない。
♀霙(みぞれ)…霰の姉。うんざりしながら霰の面倒をみている。霰の起こすすべてのいざこざにいけしゃあしゃあと出しゃばってくる。

○本編

1 「窓と胸」

白雨 飛び降りるためのあなたの窓は、さっき壊しておきました。飛び込むためのあたしの胸は、いまも昔も壊れたままです。
翠雨 どうして。
白雨 その答えは、自問自答では、導き出せません。でも、答えは、必ず、あります。

白雨 たとえば、三日三晩、考えて、いや、三か月前から、考えていて、いや、三年前から、その兆しは、あったなっていう、ぐるぐる巡らせた想いの暴発、降り積もった想いの暴走、わだかまりまくった想いの暴挙、まあ要するに告白したんですけど、豪、っていうんですけど、豪くんなんですけど、豪先輩に、

豪 あ、付き合ってる娘いるから、

白雨 って瞬殺でフラれて、それで終わってくれればよかったのに、救われる余地はあったのに、

豪 え、知らなかったの、わりと有名だと思うんだけど、本当に鈍感なんだね、俺の彼女、君の妹だよ? ほら、翠雨!

白雨 っていう醜い、豪先輩の、豪くんの、豪の、声を、かき消したくて、反射的に、近くにあった、消火栓、消火栓の、真っ赤なベルを、強く、強く強く、強く強く強く、押し込んで、洪水、洪水の、洪水のような、おびただしいベルが、校舎中に鳴り渡って、耳鳴り、パニック、パニックになる、校舎中で、あたしは、あたしだけが、心底やすらいでいて、胸を、なでおろしていて、ハコブネに、ひとりだけ、うずくまっている、うずくまっていられる、みたいな、安心感が、あたしを、包んでいる、包み込んでいる、抱擁してくれている、耳鳴りは、いつのまにか消えていて、胸の中の警報装置を、いまなら、壊せる気がして、でも、目の前の警報装置は、壊せないまま、そこで鳴り続けていて、

愛雨・翠雨 わたしたちは幻滅する。あなたたちは見放される。

2 「相談」

翠雨 警報装置が、いま、鳴りわたって、去っていく、男たちが、わたしに、肩をぶつけながら、舌打ちをしながら、耳元でごちゃごちゃと、思いだしたくもないことを叫びながら、去っていく、その、後ろ姿を、あたしは、目に焼き付けておかなければならない、この悲劇を、二度と繰り返さないために、この悲劇を、喜劇にしないために。でも、こんなこと、だれにも相談できません。

愛雨・白雨 人形みたいな女の子でした。人形みたいな女の子だから、ないがしろに扱ってもいいと思っていました。

白雨 いいなあ、翠雨はいろんなひとにちやほやされてさ。
翠雨 疲れるだけだよ。
白雨 いつから豪先輩と付き合ってたの? 言ってくれればよかったのに。
翠雨 お姉ちゃんが好きなの知ってたから。
白雨 知ってたから、なに?
翠雨 ショック、受けるかなあ、って思って。
白雨 ずっと黙ってたってことのほうがショックだよ。どっちが傷深いと思う?
翠雨 反射的に言わなかっただけだから、どっちが傷深いとか、
白雨 考えなかったんだ。あーあ。疲れるなあ。どっちの疲れがとれやすいと思う?
翠雨 頻繁に他人と自分を比べるだけで疲れない?
白雨 翠雨、どうせ陰でいろんな男のひとにちやほやされてるんでしょ、知ってるんだよ、こないだ男のひとたちに呼び出されてたでしょ、あれはなんだったの、
翠雨 なんでもないよ、
白雨 なんでもないことないでしょ、あんなたくさんの男の人と一体何を話すっていうの?
翠雨 だからなんでもないって、
白雨 もったいぶって教えてくれないんだ、ケチだなあ。

翠雨 わたしは、お父さんに、溺愛されて、育ちました。溺愛されて、いいことは、なにひとつ、ありませんでした。溺愛することの、殺傷能力の高さを知っているのは、溺愛された、わたしだけです。でも、こんなこと、だれにも相談できません。自慢になるから。

3 「適切な距離感」

愛雨 白雨は、このごろ、毎日、泣いてばかりいます。翠雨は、このごろ、毎日、眠ってばかりいます。そのことは家族全員、知っています。でも、だれも、止めようとはしてきませんでした。明日になれば、元通りの平穏が、この家に訪れるということを、だれもが、漠然と、根拠もなく、信じていたから。

翠雨 お姉ちゃんは卑怯だよ、なんでも他人事みたいに語って、関係ないって顔をして。
愛雨 なんでも自分にひきつけて語るよりマシだと思わない? 被害妄想たくましすぎるんじゃない?
翠雨 適切な距離感ってものを見失うことになるよ。いつか、きっと。
愛雨 面倒なことから離れようとすることが、糾弾されるほど悪いことなの?
翠雨 糾弾されないぎりぎりの立ち位置を狙って、安全圏からものをいうことに、罪悪感を覚えようよ。
愛雨 翠雨は真面目に受けとめすぎるんだよ。適当にあしらっておけばいいことで、この世界の九割は満たされているんだよ。
翠雨 この世界の十割がどうでもよくなって、すべては灰色に染まる日が訪れるよ。いつか、きっと。

愛雨 この状況は、ラストシーンにふさわしいですか?
白雨・翠雨 いいえ。ふさわしくありません。
愛雨 この状況を、黙殺できますか?
白雨・翠雨 いいえ。黙殺できません。
愛雨 それでは始めましょう。始まりを決めずに始めましょう。スタートラインをかき消してから始めましょう。これまでの熱弁が、「きれいごとだよ。」の一言で、片付けられるものだとしたら、この話が終わるまで、あと、一時間も、ありませんけど。

4 「過保護」

続 うちの親父はわりと過保護で、わりとっていうか、常識をこえた、一線をこえた、こえたっていうか一線もともと引いてないだろっていう、しばしば唖然とするような過保護っぷりなんですけど、
愛雨・白雨・翠雨 わたしたちは、いま、翠雨のこれまでの被害報告をしたくて、
続 なにか欲しいもの買ってきてやろうか、っていうのが親父の口癖で、でも、

白雨 欲しいもの、ないから。

翠雨 なんて、白雨お姉ちゃんはきっぱり拒むから、てっきりわたしの独壇場だと思って、じゃあおもちゃ買って、じゃあゲーム買って、じゃあマンガ買って、じゃあ、じゃあ、じゃあ、って、あんまり高いものを頼まないからってのもあるけど、すべての願いは、一応、完璧に叶ってて、まあ、あたりまえだけど、図に乗るじゃないですか、

お父さん(続) お誕生日おめでとう。
翠雨 ねえ、ハーゲンダッツぜんぶの味食べてみたい、
お父さん(続) 近くにハーゲンダッツのお店あるから、いってこようか、いますぐ、

続 っていって、親父と翠雨の乗った車が、派手に事故ったのは、まだ十分記憶に新しくて、余談なんですけど、親父、本当にちょっと気がそれるだけで簡単に事故るから、普段から事故りまくりで、このときの事故でちょうど免許を停止されたんですけど、いまとなっては笑い話ですよね。ははは。
翠雨 笑えないから。まだ笑えないから。ずっと笑えないから。
続 ははははは。

5 「悪気」

翠雨 たとえば、せわしなく、はてしなく、動きまわっていた、続が、

続 ごめんね、何度でも言うけど、悪気はなかったんだよ、何度でもするけど、本当に悪気は、ずっとないままなんだ、悪いのは胸の中のむしゃくしゃ、悪いのは勝手に動く手首、悪いのは破りやすい服、

翠雨 って、散々、散々な、言い訳を、言い募って、わたしのお気に入りの服を、続は、破いてしまって、続は、言い訳を、ばらまき続けて、続は、わたしを追いつめながら、おとしめ続けるから、続に、散々な罵倒を、わたしは、久々に、送って、続は、もちろん、服を、破き続けようとするから、破き続けようとしながら泣くから、被害者どっちだよバーカ、って、思って、すぐに、加害者どっちもだよバーカ、って、悟って、わたしは、服という服を、高い高い二階の窓から、ためらいなく、放り投げて、散乱する服たちを、花火みたいに、はじけていった、さっきまで手元にあったはずの、服たちを、呆然と、ながめて、ながめ続けて、ながめ続けていたんだ、

続 被害者どっちだよバーカ、

翠雨 これは、紛れもなく、なにかの罰だろう。でも、だれが、だれを、罰しているんだろう。呑みこめば呑みこむほど、行き場のない気持ちが、底のほうで、焦げていく。くすぶっていく。煙のにおいが、たちこめていく。

6 「怯え」

続 翠雨、アキレスけん切ったらしくて、親父との事故で。翠雨、陸上部だったんですけど、これから頑張っても無駄だよ、復帰は無理だよ、歯を食いしばるような努力は無謀だよ、みたいな、

翠雨 そういうことお医者さんに言われて、
続 ハーゲンダッツ要求しなきゃよかったんじゃない?
翠雨 代償でかすぎじゃない?
続 とか言いながらさっきからずっとハーゲンダッツ食べてるよね。説得力ないよね。
翠雨 だって冷凍庫に全種類そろってるんだよハーゲンダッツ、
続 賞味期限ないから急がなくていいのに。

翠雨 そうやって、続は、地雷を抱えていそうな、地盤のゆるんだ、柔らかいところを選んで、好き好んで、土足で踏み込んで、

続 そう、ちょうどその日から、どんな償いかただよって、ちょっと笑えるっていうか逆に笑えないんだけど、親父、冷凍庫に必ずハーゲンダッツ全種類そろえておく補充係みたいになっちゃって、翠雨は事実上の帰宅部で、マジでやることないからってさあ、

続 一日で1ダース食べてたことあったよね? 食べすぎじゃない?
翠雨 最近は、やってないよ。
続 最近は、ってことは今後やる予定あるんだ。

続 あ、言い忘れてたんですけど、翠雨、これまででいちばん痩せてる状態なんですね、いま、これでも。これでもって失礼か、ごめんね。でも、すぐにまた膨らむんでしょ? 膨らむよね? 膨らんだり縮んだりするよね? 感動するわマジで、翠雨みるまではさ、そんな、人間の肉体って、風船みたいに簡単に、膨らんだり縮んだりするって、知らなかったからさ、人間の底知れぬ力、感じて、マジで、泣けるよね。

翠雨 お父さんは過剰に気をつかい、続は物を壊し続けます。ふたりは、同じ目の光を備えていると、お姉ちゃんは、心配そうに、言います。
白雨 続は、四人兄妹の中で、もっともお父さんに怯えていないかわりに、もっともお父さんによく似ています。
愛雨 わたしたちは、わたしたちの家族であるはずのひとたちの、一挙手一投足に、怯えています。
愛雨・白雨・翠雨 その怯えは、多かれ少なかれ、この家の、あらゆる部屋に、あらゆる壁に、あらゆる床に、染みついています。

7 「なめくじ」

翠雨 お父さん、これ以上なにをすればいいのかよくわかんない状態になってて。お父さん、これ以上どうしたら償いを果たせたことになるのかわからない袋小路に入ってて。お父さん、これ以上責めてもなにも出てこないな、からっぽだな、っていうあきらめがあって。お父さんに、使命を与えてあげなくちゃいけないじゃないですか。絶対償えないからそういう類のことは、っていえないじゃないですか。せめて関係性の代わりになるものを結びたいじゃないですか。ある日、冷凍庫をあけたら、ぎゅうぎゅう詰めにハーゲンダッツがそろってて、一個食べたら、次の日元通りになってるの、二個食べたら、次の日元通りになってるの、三個食べたら、次の日元通りになってるの、これが、わたしとお父さんの、会話の代わりなんだって思ったの。それがいけないことなの? せっかく結んだ約束を、みんな、奪いたがるの?

白雨 なにが怖いって、これ、お父さん最低話で済めば良かったんですけど、翠雨、可哀相、で、終われば良かったんですけど、実際、あれから、禍根残りまくりで、翠雨、ひたすら、膨らんだり縮んだりしてて、足のけがで確かに動き鈍ったんですけど、そういう問題じゃないよね、っていうぐらいに、いまの二倍ぐらいのからだに膨らんでいって、なめくじみたいにずるずる動くようになっていって、面影なんてどこにもなくなっていって、食べるのやめなよ、すぐにやめなよ、金輪際やめなよ、っていったら、それから物凄い嘔吐ですよ、ポンプみたいについさっき食べたものをいれたりだしたり、人間の限界に挑戦してるんですかっていう話で、それが半年ぐらい続いて、ようやくいまみたいな元の姿に戻ったんですけど、明日にはもう、違う姿かもしれなくって、

愛雨 ずーっとこの家を、家族を、家庭を、眺めていて、眺め続けていて、できるかぎり出来事に介入しないままで、冷静に観察し続けていて、なんとかして結論らしきものを導き出せないかって考えて、考えて考えて、とりあえず、いずれ手放すことがわかりきってる娘に過保護すんなって話。物じゃねえんだから。って言い切りたいんですけど、たぶん違いますよね。駄目ですよね。切り捨てるもの多すぎますよね。だって、ほら、こんなにいろんなものが混じって、濁って、澱んでいるのに。まだら模様から目を背けようとしてしまうなんて、いけないことですよね。飛躍しすぎかもしれませんけど、翠雨、今後、結婚して、妊娠して、出産して、っていうときに、まだ膨らんだり縮んだりする癖、残ってたらって思うと、翠雨の子供、本当にいたたまれなくて、やっぱり、夜も眠れなくなるんですよ。考えすぎですかね。でも、翠雨本人は、考えなくても、夜も眠れていないんじゃないかな。だから、毎日、うつらうつらしているんですよね。眠気が晴れないんですよね。これは考えすぎじゃありませんよね。ああ、翠雨、可哀相。

8 「デブの笑顔」

白雨 だってデブの笑顔はイラつくでしょ、だってデブの笑顔は醜いでしょ、だってデブの笑顔はみるにたえないでしょ、だってデブの笑顔はべりべりっとはがしてやりたくなるでしょ、だってデブの笑顔は公共の害でしょ、だってデブに笑顔になる権利はないでしょ。あたしは努力して痩せてるの、あたしは努力して周囲から抜きんでてるの、あたしは努力してみんなから距離を置いてるの、あたしは努力して昨日までのあたしを否定してるの、あたしは努力してデブをけなす権利を獲得してるの、あたしは努力して努力する意味を探してるの。努力する意味はないの? 痩せている意味はないの? 笑顔になる権利はだれにでもあるの? 絶対に違うよね。あたしはこれまでの人生を棒にふってないよね。だれかを軽蔑する権利は限られたひとにしか許されてないよね。許されてないよね、許されてないよね、許されてないよね、………許して。

9 「罪」

翠雨 あの日から、非常ベルの音が、頭から離れない。脳味噌の芯が真っ赤に染まって、ずっと鳴り続けていて、やかましくて仕方がない。これはきっと呪いなんだと思う。だれかに無理矢理かぶせられた罪なんだと思う。

   非常ベルの音が鳴り渡る。

翠雨 あああ。あああああ。あああああああ。叫んでも叫んでも、離れない。かき消せない。振り払えない。忌まわしい記憶なんだと思う。

   翠雨が喋っている最中、断続的に非常ベルの音が鳴り渡る。

翠雨 高校の校舎中に非常ベルがわんわんと鳴って、わたしの頭もわんわんわんわん揺れ動いていて、思考回路が正常に働かなかった、すぐに逃げ出せばよかったのに、またすぐにあいつらが戻ってくるかもしれないのに、その場にうずくまって、これまでとこれからの罪について、混乱しながら必死に考えていた。あのときのことも、あのときのことも、あのときのことも。あの日の出来事の延長線上にある。繋がっている。わたしにまとわりつく、逃れられない罪。精液みたいに生臭くべったりとまとわりついてくる罪。保育園に通っていたときは、友だちのお父さんがわたしのお尻に触ったとか触らないとかで、問題になって、唯一の友だちを失った。小学校に通っていたときは、通学路に変なおじさんが待ち伏せしていて、おじさんの性器を毎日の習慣みたいに目撃していた。中学校に通っていたときは、ずっとわたしのことをいじめていた男の子が告白してきた。「ごめんなさい」と返した。次の日、わたしの破かれた体操服が黒板に貼られていて、根も葉もない噂がそのまわりにびっしりと書き込まれていて、クラスメイトみんながその噂を鵜呑みにしていて、だれにも話しかけられなくなった。そして、いま、高校でさえ、こんな最悪な、でも、どこかで見覚えのある事態に巻き込まれている。

   非常ベルの音が完全に停止する。

翠雨 思考停止。どこにいってもいっしょだ、きっと。わたしに罪なんて、元からなかった。あいつらにも罪なんてない。罪は、わたしとあいつらのあいだに、だれに触れられることもなく横たわって、人知れず、ただ、息をしているだけ。

10 「溝口」

溝口 本当に酷いよね、人間のやることじゃないよ、レイプだなんて、男の風上にもおけないよね、真っ向から立ち向かうべきだよ、泣き寝入りは許されないよね、泣き寝入りを許してはいけないよ、あきらかにレイプしようとした奴らが悪いんだから、それは胸を張って、誇りを持ち続けていいよ。
翠雨 誇っても意味ないって。
溝口 参考までに聞かせてほしいんだけど、あ、これが古傷を抉るような質問なら、無言で押し通しても僕は気分を害さないから、そこは心配しなくて大丈夫。質問っていうのはさ、5W1Hってやつだよ、詳細を知らなかったら、僕も的確なアドバイスをしてあげられないからね。えっと、いつ、どこで、だれが、その、レイプを、
翠雨 あの場にいたよね。
溝口 ん?
翠雨 非常ベルが鳴って、物陰から慌てて逃げたのって、溝口君だと思ってた。
溝口 んん? いやー、それはどうかなー、心当たりはたぶん、あまりないかなーってかんじなんだけど、え、それって、あの、どこで、
翠雨 体育館裏。
溝口 体育館裏? ああ! 体育館裏だったんだ。レイプされかけたのって。ああ、そんな近くにいたのかあ、初耳だったなあ、いやあ、確かにその場にいた、といえば、いたってことになるんだけど、べつに走ったのは、その、逃げたとかじゃなくって、っていうかみてもないわけなんだけど、えーと、いやあ、本当に、いまのいままで、知らなかったなあ、偶然って恐ろしいよね、うん、いやあ、気づかなかったなあ、
翠雨 わたしのことずっとつけまわしてるよね。前から。ストーカー?
溝口 えっと、それは、
翠雨 まだ一回もレイプなんて言葉、口にしてないよ。
溝口 えっと、
翠雨 目撃したのに、あえて、止めに入らなかったんだよね。
溝口 …。
翠雨 男の風上にもおけないよね、溝口君。
溝口 ははは。
翠雨 なるべく視界に入らないでくれないかな、今後。
溝口 ははははは。あー、なんだ、ばれてたんだ、早めに言ってくれればよかったのに、もう、意地悪だな、あれだよ、このことは、ふたりだけの秘密にしようね、ばらさないでね、ばらしたら、ムービー流すから。
翠雨 ムービー?
溝口 いや、やべえ、レイプだって思って、気が動転しちゃって、思わず、録画しちゃったんだよねー。携帯で。現場。
翠雨 は?
溝口 悪いのは録画ボタン押した俺の親指。あれ、面白くない? 冗談のつもりだったんだけど。まあ、未遂だったから、ヤバい動画ってわけでもないんだけど、あれでしょ、あんまり人に知られたくないよね、クラスメイトに変に気とか遣われたくないよね、でしょ?
翠雨 嘘、だよね。録ってないよね。
溝口 あ、いまメールで送るわ。
翠雨 要らないよ、そんなの。
溝口 うっし。届いた?
翠雨 届いても、すぐ消すからね、そんなの。
溝口 俺、嘘だけはつかないから。むしろ素直だと思うよ。己の欲望に素直。レイプを止めに入るのは怖いけど、でもレイプは生涯に一度は生で見たい! っていう、まあ見れなかったけどさ。心配しないでよ、今度から控え目にするから。いま週三だけど、週一にしてあげる。盗撮とか、盗聴とか。
翠雨 え、意味わかんない。
溝口 優しい、俺。そう思うよね、そう思わない? 思うでしょ? 俺のこと尊敬しちゃうぐらいでしょ? 尊敬しちゃうって言えよ! それもいま録音してあげる! 家帰って何度でも聞くわ! それ着メロにして朝それで起きるわ! あああああ、面白くね?
翠雨 ムービー流しちゃえば?
溝口 え?
翠雨 今日からあきらめることにする。ああ、わたし、ゴキブリホイホイなんだって。そういう運命なんだって。最低な男ばっかり寄ってきてくっつこうとするんだよね、昔から。ああ、ゴキブリって、この場合溝口君のことね。溝口君だけじゃないけど。わたし、ひとに軽蔑されてもいいから。
溝口 いいのかよ。
翠雨 それより、溝口君って最低なんだよって、みんなに教えてあげたいんだよね、わたしがムービー流してあげるよ、積極的にふれまわってあげるよ、録ってるの溝口君だよ、って、友だちの女の子に泣きながら見せてみてあげようか? せっかく携帯にわざわざ送ってくれたんだしね。それともふたりだけの秘密にする? 約束できる?
溝口 約束するわ。
翠雨 じゃあ、帰って。
溝口 そんな、もう少し話さない? ちょっと、落ち着いてさ、だって、考えてみてよ、自分で自分のムービー流すとか、マジで愚の骨頂、
翠雨 帰れよ!(恫喝)
溝口 知らねえから。俺責任持たねえから! どう転んでも俺ニヤニヤして翠雨のことみてるからね!

翠雨 溝口が去ってから、わたしは、売店で菓子パンを大量に買い込んで、大量に飲み込むように食べて、大量に吐いた。トイレの個室にこもって。吐くことを覚えてから、わたしはこの体重で踏みとどまっている。そのかわり吐くたびに、世界が少しずつ、精彩を欠いていくように思える。毎日。毎朝。毎分。

11 「色眼鏡」

愛雨 翠雨の泣き声が、トイレの個室から漏れ聞こえてくる、泣きたいのはこっちだ、泣きごとをいいたいのはこっちだ、翠雨は恵まれていることに不感症すぎる、ちっぽけな問題にこだわって、眼鏡を色眼鏡に変えているんだ、目を覚まして、どうか気付いて、澄んでいたはずの視界を、わざわざ曇らせているんだってことを!

翠雨 いるんでしょお姉ちゃん、扉の向こうに、なんで止めてくれないの、
愛雨 自分のことは自分じゃないと、結局、止められないんだよ、本当には、
翠雨 本当とか嘘とかどうでもいいから、いま、心配なら止めてくれるはずじゃ、
愛雨 ごめん、菓子パンを食べながら言われても説得力ない。
翠雨 いざっていう時に限って説得力が発揮できないひとに、むしろ手を差し伸べるべきなんじゃないの、
愛雨 翠雨、言い訳が物凄くうまいから、どうしても甘えてるようにみえちゃって、差し伸べようとするわたしの手が、ブリキのおもちゃみたく軋みながら戻っていくんだよ、不思議だね、翠雨、がんばってよ、
翠雨 がんばれないよ、がんばれたら、トイレになんて逃げ込んでないよ、
愛雨 翠雨がちょっとでもがんばる姿を目撃できたら、助けてあげようと思えるのにな!
翠雨 考えた挙句に、助けの手を出したりひっこめたりしないで、本能的なもののはずでしょ?
愛雨 わたしの言葉に惑わされないで、みずからの言葉にひきずられないで、
翠雨 じゃあ、なにに従えばいいの、
愛雨 本能以外。
翠雨 じゃあダメだ、わたしもうダメだ、一生救われないんだ、
愛雨 どうして?
翠雨 だって本能からの声なんて、一度も聞こえたことないから、どの声を避けていいのか、
愛雨 例え話だよ。
翠雨 例え話、わかりにくいから例えずにいってよ、直球にいったらなんなの! あ、やっぱり言わないで、耐えられないから、きっと。ああ、食べすぎた、吐きそう。
愛雨 吐けばいいよ。吐かなくてもいいよ。もうどうでもいいよ。

翠雨 お姉ちゃんが、わたしを振り切るように、裏切るように、風を切るように去っていく、その後ろ姿を、わたしは、目に焼き付けておきたくなかった、はやく忘れてしまいたかった。この悲劇が、今後、二度三度と繰り返されるとしても、この悲劇を、胸の内にずっと、しまっておけるはずがなかった。思考停止。だれといてもいっしょだ、きっと。だれにも罪なんて、元からなかった。

『きれいごと、なきごと、ねごと、』パート2(戯曲)
https://note.mu/ayatoyuuki/n/neaba19432b84

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