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声が大きい人には、その特権を活用する責任がある

「アヤ、グループの対話をみなが助けあうように促してくれてありがとう」

緊張感のあるグループ対話を終えた休み時間に、講師でファシリテーターのレアが話しかけてきた。笑顔で応じた私は、レアの次の一言で、笑い顔を引きつらせた。

「さっきね、アミールにお礼を言ったら、彼が、言い出したのはアヤだから、あなたにお礼を言えって教えてくれたのよ」

アミールはアムステルダムでコンフリクトファシリテーターをしている、男ざかりな人気者だ。言動の端々から、普段もかなり責任のある仕事を担ってるのがわかる。

白人、男性、ヨーロッパ人。そして社会的に意義の高い仕事をもつ人。

心理的にも彼のグループ内でのランクは、高学歴で優しくグッドルッキングなポートランド在住アメリカ人のアダムとツートップだったと思う。

アジア人、女性、ノンネイティブな私とは真逆の立場と言っていいだろう。(オランダ人だってノンネイティブだけれど、彼らは自分たちを世界で一番上手に第二言語として英語を話せると誇らしく思っている)

そんなアミールは、グループ対話の中で、私の意見を皆に浸透させる役を担ってくれたのだ。

対話をめぐる疲れのなかで

Winter Intensiveで重要視される学びのひとつは、ダイバーシティグループでの対話の手法を体験を通じて学ぶことだ。ゆえにグループ内のコンフリクトはグループ対話で解決するのがスタイルだった。けれど、4週目を迎えたその頃、うまくいかない対話に、みなげんなりとしていた。対話はすごく疲れる、めんどくさい。いつも誰かが叫んだり泣いたりしてしまう。スッキリしない。積み重なるフラストレーションが、グループ全体をネガティブにしていた。

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その日も、話し合いを促す講師のレアに、「じゃあ、どうやったら上手くいくのさ」と、噛み付く始末。

講師の教え方がいけないんだろうとばかりの、なげやりで人任せな問いが発せられるのを聞いて、なぜだか私は義憤に燃えた。対話の場とは講師のファシリテーターだけがつくるのではなく、参加する一人ひとりがつくるものではないか。怒りながら、ちょうど2日前に体験したグループ対話を思い出していた。

それは、プロセスワークのコミュニティミーティングでのこと。創始者のミンデルをはじめ、経験豊富な講師陣が多数参加したグループ対話だった。そこでは、発言しようとする人をさりげなくサポートしたり、両極の意見に、時間と場所を丁寧に配分していったりと、見事なファシリテーションが、“立場を問わず”に行われていた。その場にいる人のほとんどが、場への客観性を意識しながら、対話の流れを促進できていたのだ。

その見事なグループ対話と比べてたら、私たちWinter Intensiveクラスでのグループ対話なんて、子供が雪合戦をしているのと変わりはない。互いにただ意見を投げ続けて、誰も受け止めず、流れ弾に当たった誰かが、泣いたり怒ったりする。

義憤にかられていた私の様子に、隣にいたヴィーダが気が付いてくれた。「OK、話して」と、ヴィーダが持ってきてくれたマイクを握りしめて立ち上がり、私は言った。

「コミュニティミーティングでのグループ対話には学びがあった。参加している誰もが、誰かの感情が言葉のなるのを待ったり、促したり、場の全てに目を向けることを、ちゃんと意識していて、私達のグループ対話とは何もかもが違っていた。一人ひとりが意識して、自分から場をファシリテーションするっていう意識を持てたら、もっとちゃんと対話ができるはずだよ!」

よし解った、俺はのるぜ

私は話しながら周囲を見渡した。「じゃあどうやったら」と諦め口調だったファンカルロスと目で合わせる。マイクを持ってきてくれたヴィーダと目が合うと、ウィンクをしてくれた。

レアは私の発言を扱いかねていたようだった。グループ全体の様子を注意深く観察している。それまで漂っていた「対話なんてもう嫌」という空気は、少し和らいではいたが、まだ濃厚だった。

場の空気を動かしたのはアミールだった。

「みんな、アヤが言ったことは解った? みなそれぞれがファシリテーターになれる。対話の中で互いをサポートできれば、僕らにも何かができるはずだ」

立ち上がったアミールは、部屋の反対まで歩いてきて、ついさっきまで私が座っていた椅子にどかんと腰を下ろた。それを合図に、グループでの対話がゆっくりとはじまった。

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その対話は、それまでの3週間で経験してきたものと、少しだけ質が違っていたように思う。相変わらず解消されない「なにか」は残るものの、対話の後に少しだけ「やりきった」感覚が残っていた。

そして、冒頭のレアの発言につながる。私がレアの言葉に唇を噛んでしまったのは、レアは私の言葉よりアミールの言葉や行動を覚えていたと明言したからだ。

アミールが話したことは、私が話したのと変わらない内容だった。私自身は彼の発言を聞いて、「ああ、この人、私の英語と意図をちゃんと理解してくれた」と安堵したので、寸分違わない内容だったことは間違いない。

グループ内で、私の発言は浸透するに限界があったけれど、アミールの発言は場を動かした。その非対称な事実が、私を悔しい気持ちにさせたのだ。

けれど、一方でこうも考えられる。グループ内のマジョリティであり、皆の信頼を集めるアミールは、グループ内のマイノリティの声を拾い上げて、皆に聞こえるように拡張したのだ。それが彼のResponsibility of Privilegeだったんだと思う。私が彼の立場だったとして、同じことをできるんだろうか。

特権ある立場が苦手な日本人女性として

日本社会で女性として生まれ育ってきた私は、人の上に立つためのトレーニングを受けたことがない。自分は誰かに従属して働き、暮らしていくのだと、理由もなく盲目的に信じてきたところがある。けれど事実は異なる。日本に帰れば、決定権を持つ責任ある仕事が私を待っているし、私の指示を待つアシスタントもいる。なのに私は怠惰にも、自分が持つ特権と責任に無自覚で、その立場でどうあるべきかということを学ぼうとしたこともなかった。

けれど、アミールは自分の特権や立場を十分に理解し、全体の利益のためにその特権を使い、その行動は、明確にインパクトをもたらしていた。この体験は私に、自分らしいリーダーシップとは何かを考えるきっかけをくれた。

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