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デッサンは視覚認知力の筋トレ。よりよく絵を観るためには、描いてみればいい

京都芸術大学では、卒業単位の必須要件ではない制作系の講義もいくつか受講しました。なかでも、デッサンの講義は強いインパクトを与えてくれました。

人は世界をどう認知しているのか?

ドイツ製の鉛筆、ステッドラーの綺麗なブルーが各種並んでいるのが嬉しくて、うきうきと挑んだデッサンのスクーリング。美大の教授にデッサンを教えてもらえるなんて、またとない機会と楽しみにしていたのです。

ただ、絵を描くなんて中学校の美術の授業以来。当然へたっぴでした。

しかし、先生はそんなことお構いなし。いわゆる上手な絵を描くことが、デッサンの講義の主眼ではなかったのです。ではなんだったのでしょうか?

「ものの見方を鍛えること」

目的は、この一点でした。

人は見えているものしか描けないのです。そして、人の認知は常に歪んでいます。大抵のことは「見た気分」になっているだけなんです。

ほんとうに「見る」を意識すると、脳が疲れる

デッサンの講義ではまず、スケッチブックを開いて、机に置かれたコップを描きました。デッサンに良し悪しがあるとすれば、「精確」であること。見えているものをなるべくそのまま再現するようにといわれました。

ひととおり描き終わると、次に、先生はコップを逆さまにしました。それを描けというのです。

これは、まさに脳トレ。視覚認知力の筋トレでした。

私たちは普段、漠然とコップを認知しています。目の前の逆さになったコップに対しても、脳は「コップである」と認識する一方で、目の前のコップは、普段のコップとは違い逆さまに存在しているのです。「いつもと、なんか違う」。脳はこれがよくわからない。ですから描こうとよく見れば見るほど、脳の認知の歪みに直面するのです。

脳内のコップの様子と、目の前のコップの様子の整合性をとろうと、脳が動くのでしょう。すると、脳がぐわんと音を立てるような、これまで使っていなかった神経回路を無理やり繋げようとするような疲労感が起こりました。

これが、物事をありのままに見る力というものです。

そしてさらに、デッサンの講義は進み、対象物ではなく「空間を描け」と指示をされたりします。

いずれも先生は、描いているものと見えているものが、どう異なっていて、どう同じなのかをチェックしてくれました。

Bunkamura Galleryで花の水彩画を描いている画家の絵を、他の画家が見て「これは見て描いていないね」と感想を漏らしていたことがありました。

目の前の花をよく見て描くと、微細な部分が知っている花のイメージと常に異なるはずなのです。けれど、その花の水彩画は、どこか見知った花でした。

すらすらと綺麗な絵が描けたとしても、それはデッサンではない。よく見ていない。そして、よく見て描くと、本当に疲れます。

美大予備校に通った過去のある友人に聞いたところ、こうしたデッサン手法は、基礎としてみな一度はやらされる類のものだそう。

日本の美大の制作系学科を受験する人には、デッサン必須なところがありますから、日本にはかなりの数で、視覚的に認知する力をぐいぐいと鍛えた人が存在しているのだと思うと、ちょっと不思議な気持ちになります。

美術館で気がついた、デッサン後の鑑賞の解像度の変化

デッサンの講義のインパクトは、その後すぐに出かけた美術館で思い知らされました。

絵を観る力が、自分でも驚くほど上がっていたのです。ふつうのテレビがいきなり8Kになったようなものでした。この体験で、私はデッサンを視覚的認知力の筋トレなのだと理解するようになったのです。

どう描かれているかもそうですし、画家が「なにをどのように」見ていたのか、画家の視座を追体験できていると思えるほどになれました。

「絵の鑑賞の仕方がわからない」という方は、いちど本式のデッサンを体験してみると良いと思います。

ものをよく見ることができるようになると、当然、絵も上手くなる

さらに数年たってから気がついたインパクトも。

絵が上手くなりました。

デッサンの授業のあと、見る力、世界の認知の仕方にはまだまだ探求のしようがあるのだと、以前よりも丁寧にものを見るようになりました。他者がなにをどのように観ているのかにも、俄然興味が湧くようになっています。

おそらく、日常のなかで、「よく見る」ことが習慣化されたのでしょう。それにより、視覚的認知力の筋トレを続けられていたわけです。

そして、久しぶりにデッサンをやりたいなと、友人に誘われたのをきっかけに、1日体験をすることになりました。描いたのがこちらです。

ふわふわな羊のカバーの湯たんぽとみかん

普段は描かない生活。大学のデッサンの授業から10数年経過していたのに、自分でもびっくりするほど描けました(笑)当社比150%UPぐらいな感じです。

「なにを見ているか」、「世界をどう認知しているか」と、「描くもの」
「アウトプット」の質は似る。それが、体験により裏付けされたのでした。


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