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Bunkamura Galleryでアートが売買されることの不思議さを考えた

私自身のキャリアの紹介も兼ねて、なぜいまこのような「固有の場所をもたない」ギャラリーとして活動を始めるに至ったかをお伝えしていきます。

前回のパリのくだりは私のキャリアの端緒にすぎないので、ものすごく長くなってしまうかもしれませんが、どうぞお付き合いください。


アート業界への純粋な探究心から

1ヶ月のパリ滞在から帰国し、目についたBunkamura Galleryでの求人に応募し、すんなりと入社が決まりました。

応募の動機は、なんといってもパリのギャラリーで感じたアートの仕事に対する好奇心にも似た探究心でした。

面接では「アーティストの後押しができるようになりたい」と話していたことを覚えています。

当時の彼は日芸の写真学科出身で、大学時代は彼や彼の友人たちから度々、写真家として生きる道の先の見えなさに対する悩みを聞いていたからです。

Bunkamura Galleryに勤めていたころ。左が筆者

Bunkamura Galleryで仕事を始めたのは、2003年の年始。SMAPの「世界の1つだけの花」が大ヒットした年です。

株価はバブル崩壊後の最安値を記録して経済はどん底。世界各地で爆弾テロが起こっていたり、世界の状況も暗かったと思います。

スター画家、金子國義の世界におどろく

入社したばかりのタイミングで、金子國義氏の個展が開催されました。

『不思議の国のアリス』の挿画で知られ、ファッショナブルで耽美、時にエロティックな画風が特徴で、カリスマ的な人気があります。

2015年に亡くなりましたが、最近、若いアーティストが金子國義オマージュの写真集を出版しました。彼の人気は今も変わりません。

展覧会の搬入・設営の日、

「先生よろしくお願いします!」

と、上司が勢いよく頭を下げた相手が、金子國義その人でした。

樽のようなお腹を、もこもこして柔らかそうなコートから突き出し、金色に染められた頭髪はくるくると巻かれていて、少しでも横顔のシャープさを演出するためか、顎をぐいと突き出して立っていました。

すごい存在感でした。両脇には魅惑的な風貌の男性がふたり。養子縁組した金子修さんと、アシスタントさんでした。

大森にあった自宅空間をギャラリーに再現するかのように、花瓶やぬいぐるみ、紫陽花のドライフラワーなどが自宅から持ち込まれました。巨大な油絵が展示され、ガラス張りで白い無個性なギャラリーが、あっという間に金子國義の世界に塗り替えらえていきます。

オープニングレセプションが始まると、華やかな出で立ちをした人々が、どんどんギャラリーに入ってきました。広い空間が人で埋まります。200名以上は来場したのではないでしょうか。

気がつくと新作の油彩画が売れていました。そんなに大きな絵ではありませんでしたが、100万円以上の価格が付いていたと記憶しています。2週間の会期中の売り上げは1千万円を超えました。

「絵画を買う人間になれ」

金子國義の華やかな展覧会では、多くの人が浮かれたように絵画や関連書籍、オリジナルの浴衣などを買い求めていました。これを単に「人気」と捉えることもできます。

けれど、私はもっと本質的な絵画の価値を考えるようになりました。

なぜならば、書籍や浴衣などの実用品ならいざ知らず、アートは必要不可欠なものではないからです。衣食住のカテゴリーには入りません。

しかし、上司はこう断言するのです。

「アートを買う人間と買わない人間には圧倒的な差が出る。買う人間になれ」

私の頭は疑問符だらけでした。

数十万から数百万まで、美術品の価格には幅があるとはいえ、原価はいったい、いくらなのでしょうか? そして、アーティストはどのような研鑽を経て現在のようにギャラリーで作品が販売されるに至っているのでしょうか? そこまでのコストは? 

人々はどうしてアートを買うのでしょうか? そして、買う人と買わない人との圧倒的な差とは、いったいなんなのでしょうか?

この謎は数年をかけて、業界での見聞を広げながら、自分なりに解決していくことになります。

そして、私はBunkamura Galleryで、1点の作品を購入しました。これがFirst Artでした。

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