工芸と産地と繊維と。1103-1105

マリンメッセで行われたKOGEI EXPOは素敵だった。

本気で遊んだ漆・竹細工・寄木細工・切子のプラレールは面白かったし
人伝てで耳にしていた取り組みを目にすることができた。

全国の伝統的工芸品の伝統工芸士の作品もずらっと並んでいた。
製品ではなく、作品。いわゆる本家の作家もん、というやつ。
圧倒された。
茶器に込める技術と華やかさには畏敬の念を抱いた。
棗に彩る微細な蒔絵は素敵で、地色が装飾になる黒や溜塗も好きだ。
源流の磁器が醸し出す花器としての佇まいは小町的だし、活ける側の力量も試されるだろう。

なにより概念を覆されたのは博多人形だった。
時節的な人形のイメージや、イラストの参考になるようなものの想像力しかなかった自分に与えたインパクトは大きい。
平安時代の貴族の1シーンを思い出させるような表現力と上品さ忘れられない。
作品の詳細は忘れたけど、ただの固形物があれだけ訴えかけるのかとか。

でも同時に、「ここが在るから業者が産業として取り組めるんだな」と。
その感覚は翌日から2日間のイベントを通して少し明瞭になった。


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福岡の南西部には久留米絣の産地がある。
作家もいれば組合もあるし、そうでない人もいる。
ただ各々がそれぞれの立場と役割を自覚しているように思えた。

作家の存在が業者を助けるし、業者の存在が作家を際立たせる。
作家はシンボルであり、業者は経営者だ。
作家が技術の継承として湧水である必要があるし、経営者は従業員を支える役割がある。
産地はそこの線引きが結構はっきりしている。

ただ産地でないところ、指定されていないところはそうではない。
そうでないところでは、作家は作家という肩書きを世間から貼られながら、経営者として、研究者としての側面を持つ。もちろん、全てにおいてそうではない。
スケール感を持つ作家という表現の方が適切かもしれないけれど。

そうでなければ、かつての繊維産業のように農業的、百姓的に複合的な働き方をするのが基本だろう。専業農家は昭和の言葉だと思っている。

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日本の繊維産業は近代社会の中でメンテナンスを忘れて歯車を回しすぎた。
替えの部品の生産と次世代への基盤形成が追いつかないままに多様性が増加していった。

明確な定義がないまま使用され続けた”工芸”の概念は曖昧なまま、分業よりから個人化の動きが進んだ結果、手作り・天然・個人=工芸のような印象が生まれているように思っている。(個人的にはそうではないと思っている

そんな中で、自分の働く工房を含め、産地でなく繊維を扱ってきた企業がこれからどう動くべきか。
工房の役目と軸を何と心得てどう動くのか。

僕がうちの先生と小石丸の養蚕を軸とすることはまちがいなく、
付随して小石丸の価値を証明するための藍染め、秋山を現代の名工として認められた”貝紫染め”

でも全部コストが高い。そのバランスをどうやっていくか。
改めて考えるきっかけをいただけました。

産地テキスタイルネットワーク、参加できてよかったです。
もっと深くじっくり話がしたい。ありがとうございました。


あと、産地も無理して足並み揃える必要はない(揃わない)というのは

やっぱそうだよなぁと。笑



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