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シェアハウスの何に興味があるのか。

9/20、比嘉さんとの1on1

ゼミ主宰者であり人類学者の比嘉さんとの1on1を受けたので、私がなぜ「面倒臭さの引き受け方」に興味があるのか、改めて今日、書きながら整理してみる。
(さっそく問いのアップデートが進んだ気がする。)

【前回のnoteで言語化した問い】
面倒臭さをどう引き受けているのか?

【背景】
下心として、「シェアハウスは面白いしもっと多くの人に住んでほしい」ということを伝えていきたい。でもほとんどの人がシェアハウスを選ばないのは、共に暮らすことで起きる面倒臭さがネックだからだと思う。
でも、その面倒臭さは、全員が住む前から織り込み済みだったわけじゃない。住んで初めて気づく人もいる。
そんな人もいる中で、シェアハウス内でどうやってその面倒臭さを引き受けて住み続けているのだろう。

上の問いでは「面倒臭さ」をみんなが「引き受けている」と無自覚に固定していたけど、固定しなくて良かったのだ。面倒臭さよりももっと広く、シェアハウスの距離の近さゆえに起こる「うまくいかなさ」に対して一人一人がどう感じ、対応しているのかが気になる。(面倒臭いという感情はその一つ。)

わかりやすくいうと、「人々は、喧嘩をした後にどう仲直りするのか」に興味があるのかもしれない。相手の考え方や振る舞いに対して違和感やイライラを感じた時に、その考え方や振る舞いについて話し合いながら、納得できる落とし所や考え方を探る。その心の動きや実際の対応の中に、知恵が詰まっているんじゃないかと期待している。

実のところ、私の住むシェアハウスでは喧嘩は暫く起きてない。自分の考えや行いを譲らない人がいたり、あるいは相手に対して指摘できる人がいると衝突が起きやすいけれど、たまたま今はいないということだろう。
でも分かりやすい衝突が起きてなくても、きっと誰かしら何かしらに対して違和感は発生しているはず(実際、たまに住人に対する愚痴めいたことを聞いたりして、「あるにはある」んだな、と感じる)で、その水面下の感情の動きは、住んでいてもなかなか知れないので、興味があるのかもしれない。(愚痴めいたことを聞くのも、すでにその人に対する関わり方を変えた後だったり、感情の整理がついたあとの「綺麗な状態」であることが多い

分かりやすい衝突が起きないまま共に住めているということは、みんな「寛容」なのかもしれない。あるいは違和感を我慢してでも一緒に暮らしたいほど、「人が好き」なのかも知れない。
けど、やっぱり綺麗事ばっかりじゃないとも思っている。そのリアルや生々しさに興味があるのだと思う。

最初はそうやって、「まだ知らないこと」に対しての興味から問いを始めてみてもいいのかもしれない。で、結果的に「シェアハウスはいいぞ」って結論に無理やり持っていく笑

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