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過去の不思議な体験。

私は昔に不思議な体験をした。おそらく他の人に話せば、そんなことあるわけないだろうって言われると思う。そして、この話をこの時期に話すのはどうかと思うが、とあるラジオドラマを聴いて思い出したので書いてみる。

船員を育てる短大の乗船実習中に広島に行くことになっていた。初めて行くところだったので、事前に調べて行くとこを決めていた。やはり広島。1度は行きたいところがあった。それは平和記念公園。原爆ドームがあるところだ。私は原爆については昔から色々と考えることがあった。だからこそ、行くべきだと思い行くことにした。

ただ、私は高校生の頃から霊感があった。要するに見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたりする。だからやばいかなと思っていた。でも、避けては通れないものだから結局行くことを決めた。

当日。広島に上陸し、いざ平和記念公園へ。近くになるにつれ、足取りが重くなる。入口付近で一度立ち止まり深呼吸をする。そして歩みを進めると、体全体に重みを感じ始める。見ると、すでに10体ほどの霊たちが私にしがみついていた。中に入るにつれ、体が重くてなかなか進めず、ついには涙を流していた。傍から見れば、「なんだあの人は」って思われていたかもしれない。それでも、私は重い体を引きづり涙を流しながら歩みを進めた。すると、霊たちが騒ぎ出す。「水が欲しい。水が飲みたい。水をくれ」

あの日。1945年8月6日。広島に原爆が投下された日。生きていた人達は水を求めていたそう。ただ、水を飲んだり浴びたりすると死んでしまうそうです。学校で習ったことなので真実は分かりませんが。

それを知っていた私は霊たちに水を求められた時、躊躇しました。また辛い思いをするんではないかと。でも、求められたものはちゃんと答えなきゃと思い平和記念公園内の水があるところへ行くと「ありがとう」と言い、私にしがみついていた何体かの霊たちがいなくなりました。その場で手を合わせ、ホッとしていたが、依然として何体かの霊たちはしがみついたまま。まだ体は重く涙も止まらず。するとまた霊たちが騒ぎ出す。「原爆ドームへ連れてってくれ。待ってる人がいる」おそらく知り合いか誰かがいたのでしょう。私は重い体を引きづりながら、原爆ドームへ向かった。あの惨劇を今の現代に語り継ぐ建物。それは想像を絶する形をしていた。写真では分からないところまで見えて凄まじさを感じた。すると何体かの霊たちが「ありがとう。助かった」と言い、何体かの霊たちがいなくなりました。私は、その場で手を合わせ「今は平和になりました。ゆっくりお休みになってください。」と言葉を添えた。

まだ何体かしがみついていたが、出口を目前にして何も語らずにいなくなっていた。その時には涙も止まり、体が軽くなっていた。何か伝えたかったのだろうけど、言葉に出来なかったのかもしれない。そんな不思議な体験をしてしまって恐怖を感じてしまい、原爆資料館には行けなかった。

このことを母親に話すと、「お前は色々と感じ取ってしまうから、沖縄の激戦地や長崎の激戦地には行くな。次はもっと酷い体験をすることになるぞ」と言われました。

これを見た人はおそらくそんなことないでしょ?とか思う人がいるかもしれません。でも、実際に起こった出来事です。何故、今書いたかと言うと、劇団コケコッコーのラジオドラマあっかんべーにて原爆の話になったからです。何話か前に広島・終戦前というワードが出てきたので、野村さんが原爆をどう描くのか気になっていました。それが今日アップされたラジオドラマに出てきて、最後に野村さんの原爆に対する思いも聴けたので書くを決めました。二度と経験したくない出来事でしたが、色々考えさせられる出来事でもありました。