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歳時記エッセイ 「清明」

生りものは庭に植えてはいけない、とも言われるけれど、我が家の庭には幾つか果樹がある。
迷信か、実用的な戒めか、わからないけれど、そうした説には気を留めず、母が植えたものだ。
例えば、無花果。
夏になると、幾つも実をつけ、鳥や虫に食べられなければ、朝採りの瑞々しいのにありつける。
他にも、柿。
小さな木だが、秋には、わずかながら、甘くて美味しい実をつける。

一番大きいのは、甘夏の木だ。
高さが3メートルほどあって、枝ぶりもしっかりしている。
毎年ではなく、隔年に実をつける。柑橘類は、そういうものらしい。
実がなる年は、30個ほど、たわわに実る。
もちろん無農薬なので、母がいた頃は、マーマレードをよく作っていた。
剥いた皮を細く刻み、何度か茹でこぼし、アクを抜いていた。
そうして、薄皮を剥いた実と一緒に、甘く煮る。
この自家製マーマレードは、甘さの中にも、程よい苦味があって、本当に美味しく、母はたくさん作っては冷凍していた。
庭の剪定は、定年後、庭師をしているご近所の方にお願いしていて、その方にもお分けすると、「マーマレードって、美味しいものですねえ」と、喜ばれた。

母が逝ってからも、甘夏は隔年で実をつけた。
夏の夕方に水をやるのと、冬に寒肥を入れてもらうくらいで、さほど手をかけていない。
ある年は、出来がとてもよく、甘みがあって瑞々しい実が食べきれないほど採れたので、お隣や職場の同僚たちに分けた。
もちろん、庭師のおじさんにも持って行ったけれど、マーマレードは手がかかるので、作れなかった。

ある年も、たくさん生って、一つ食べてみると、また、いい出来だった。
次の休日に収穫しようと思っていた矢先、急に冷えて、霜が下りた。
ちなみに、甘夏、夏みかんというけれど、収穫時期は1月から3月なのだ。
さて、採って食べてみると、とんでもなく苦い。
これははずれか、と、他の実を食べてみても、どれも苦い。
霜が降りる前は、甘酸っぱくて、美味しかったのに。
おそらく、急に冷え込んで、木が自分の身を守るために、何か成分を出したのだろう。
木が、きゅっと身を縮めたイメージが浮かんだ。
はちみつ漬けにしてみたり、砂糖を入れて煮てみたりしたけれど、どうやっても苦味が消えず、食べられない。
30個ほどあったものを、やむなく全部捨てた。

翌年は、ほとんど花が咲かず、実は2、3個生っただけだった。
実をつけた翌年はそういうものだけれど、申し訳なさもあって、甘夏の木がつむじを曲げたように感じたものだった。
それでも、その翌年はまあまあの出来だったので、木が傷んだわけではなく、安心した。

剪定をお願いしていた近所のおじさんは、次第に仕事が遅くなり、ある年を境に引退した。
どうしたものかと考え、初めてシルバー人材センターに頼んでみた。
新規利用者だったので、日程が後になり、本当は立春までに剪定してもらいたかったけれど、雨が降ったこともあり、3月に入ってからの作業になった。
木の芽時に剪定して大丈夫かと心配していたら、やはり、剪定の後、甘夏の枝の一部が目に見えて傷んで、枯れた。
その年は、葉の色も悪く、花も咲かなかった。

翌年の剪定は、何とか節分に間に合い、枯れた枝を切ってもらったけれど、木全体が枯れているかもしれないと言われた。
もう古い木なので、伐採した方がいいかもとさえ言われたけれど、とてもそんな気にはなれず、「ちょっと様子を見ます」と言って、そのままにしてもらった。
母が大事にしていた木でもあり、何とか復活させたいと思い、物置にあった栄養剤を根元に撒いてみた。
立春を過ぎても、まだ寒い。土を温めるように、ほんのり温かい風呂の残り湯を使ったりした。
祈るような気持ちで、実際、「お願い、元気になって」と声をかけた。
それでも、木肌は乾き切った感じで、新芽が出る気配はない。
もうダメかもしれないと思って、半ば諦めかけていた。

4月に入り、少し暖かくなり、ある休日、庭に出てみると、甘夏の木の幹に何やら黄緑色の小さな突起がある。
最初、虫かと思ったけれど、よくよく見ると、新芽だった。
皮がめくれて枯れ切っているように見えた太い幹のあちこちから、柔らかそうな芽が出ている!

この時の感動を、どう表現しよう。

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