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NHK『クローズアップ現代』国谷裕子氏の言葉

NHKに『クローズアップ現代』という番組がある。番組が始まってから30年になるという。最近、30年を記念して特別放送があった。現キャスターは桑子真帆氏であるが、初代は国谷裕子氏で放送開始から23年間務められた。特別放送は現キャスターの桑子真帆氏と初代キャスターの国谷裕子氏の対談形式で番組の歴史を繙くというものだ。焦点はパレスチナ問題と気候変動問題。

テレビというのは時に政治的支配下にあり、あるいは時には民衆に迎合する。だからあまり期待はしていなかったのだが、国谷裕子氏が過去にインタビューした内容が今もって頭から離れない。

アミラ・ハスはこう言った。

ジャーナリストの主要な仕事は“権力中枢をモニターすること”という信念は変わりません。つまり支配者がどのように被支配者に影響を及ぼしているかを観察し、批判することです。

アミラ・ハス『パレスチナから報告します』

「ジャーナリストは中立であるべき」などと、バカのようにそう考えていた私には衝撃だった。支配者を監視せよというのだ。のみならず批判せよと。中立などというものを看板にしていては成り立たない姿勢だ。だが、私は瞬時に合点した。大いに納得したのである。ジャーナリストは意見を持って発信すべきだと。

だがしかし、そのようなジャーナリストはどれだけいようか。意見を持って支配者に言葉をぶつける、そのようなジャーナリストがどれだけいようか。いいところが問題定義止まりではなかろうか。

「私たちに何ができるだろうか」
「私たちは何をすべきだろうか」

そして、インタビュー相手である支配者に対しても質問だけに終始する。

「この問題をどのようにお考えですか」
「これからどのように対応しようとお考えですか」

だが、国谷裕子氏は違った。

インタビューのごく一部であるとは思うが、ここに3つ紹介する。

パレスチナ アラファト議長へのインタビュー

国谷:東エルサレムがキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の共通の聖地なら、その主権を共有することはできないのですか?

アラファト:それはできません。キリスト教、イスラム教の聖地にイスラエルの主権を認めることは私にはできません。これは私だけの問題ではありません。

国谷:その他の問題を解決して、東エルサレム問題だけを棚上げにすることはできませんか?

アラファト:できません。私は裏切り者にはなれません。キリスト教徒、イスラム教徒、アラブ人を裏切ることはできないのです。

『クローズアップ現代』

2006年 ハマスが選挙に勝利したときのハマス ハニーヤ最高幹部へのインタビュー

国谷:ハマスが武装闘争を放棄してイスラエルを認めなければ交渉のテーブルにはつかない、とイスラエルは言っています。ハマスも変わらなければ事態は動かないのではないでしょうか。

ハニーヤ:パレスチナとイスラエルは意地の張り合いをしている。だが、悪いのは占領者であるイスラエルです。我々は彼らに屈するわけにはいきません。占領と抑圧の元で暮らし続けるわけにはいかないのです。

『クローズアップ現代』

2011年 イスラエル ペレス大統領へのインタビュー

国谷:常にテロ攻撃を受ける恐れのあるイスラエルが、和平交渉より安全保障を優先するのは理解できます。しかし、和平の進展こそが最終的には安全を確立する道なのだと国民を説得するのは、政治家の責任ではないでしょうか。

ペレス:ほとんどの人は、和平なくして安全なし、安全なくして和平なしということを理解しています。この2つは切り離せません。

国谷:しかし、人々は近視眼的になりがちです。長期的な展望をもつよう導くのが政治家ではないのですか?

ペレス:あなたが言うほど政治家に力があるのか、私にはわかりません。

国谷:わからないのですか? 長い間指導者の立場にあるのに?

『クローズアップ現代』

最後の「わからないのですか?」は嫌みにさえ聞こえる。それほどに辛辣な言葉をイスラエル首相に対して投げかけたのだ。一国の、そして他国の首相にこれほどに堂々と相対することができるジャーナリストが日本にいるなどと、今まで知ることもなかった。そして、彼女は英語であれば通訳を介することなくインタビューする。そのことにも感嘆した。

国谷裕子氏はこの特別番組の冒頭、パレスチナ問題について「何故、紛争を止められないのか」と語った。それは私もずっと問いかけていることである。地球上にこれだけの人がいて、頭脳優秀な人々も大勢にいるだろうに、何故紛争が起こるのだろう。何故紛争を止められないのだろう。二十世紀は戦いの世紀と言われた。次の百年も同じことを繰り返すのか。

特別番組は過去の放送のごく一部だけを切り取っている。前記のインタビューの全体は見えない。全てを見れば、あるいは見え方も変わるかもしれない。しかし、そのことを考慮してもあの発言には価値がある。熟慮と知力と勇気を兼ね備えた発言である。

同じ番組からもう一つ引用する。
国谷裕子氏の言葉ではないが、彼女がインタビューした相手の切ない思いだ。

2002年 イラン映画監督 モフセン・マフマルバフへのインタビュー

マフマルバフ:この20年間に空から爆弾を落とすより教科書を落としていたならアフガニスタンはこうはなっていなかった。地面に地雷を巻くより麦を蒔いていればアフガニスタンはこうならなかった。

『クローズアップ現代』

今も空から爆弾が降るかの地で、それは遠く離れた異国のことであるかもしれないが、私たちの責任が全くないと言えるだろうか。黙する、語らず、傍観する。それでよいのだろうか。紛争戦争がなくならないのは、あるいは、そうして傍観する多数の人々の上に成り立っているのかもしれない。



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