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アミラ・ハス著『パレスチナから報告します』

ハマスを殲滅するということ

2023年10月7日にパレスチナのハマスがイスラエルにロケット弾を打ち込んでから幾日が経過していたろうか。その日もいつものように夕食の支度に台所に立っていた。後ろではテレビがニュースを流している。そのテレビから聞こえてきた言葉に耳を疑った。

「ハマスを殲滅する」

殲滅する?
そう言ったのか。

思わず背後を振り返った。
間違いなくそこにはこう書かれていた。

「殲滅する」と。

言葉を発したのはイスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフ氏。それは一国の首相が口にする言葉なのだろうか。口にしてよい言葉なのだろうか。ハマスはイスラエルに向けてロケット弾を発射した。確かにそれは容認されることではないかもしれない。非難されても仕方がないことなのかもしれない。しかし、殲滅というのは「残らず滅ぼすこと。皆殺しにすること」である。ハマスに属する人を残らず殺すということである。ハマスが二度とこのようなことをしないためという理由なのだろう。だがしかし、いくら自衛であるとしても私には容易に首肯できない。殲滅などというのはあってはならない。

パレスチナ問題に疑問が生じた瞬間だった。


アミラ・ハス

パレスチナとイスラエルの紛争は宗教問題であるという程度にしかとらえていなかった。対立が続くのは力が拮抗しているからだと。宗教問題なので終息しないのだと。単にそういう認識でしかなかった。だが、あの「殲滅」という言葉を聞いてからは釈然としない。「殲滅」というのは自らの権利を主張するだけではない。相手を認めない最たる言葉だ。

そんな風になんとなくわだかまりを感じていたある日、一本のテレビ番組に出会う。番組名はNHK「こころの時代」。

「ガザ」や「イスラエル」という言葉に引き付けられた。語っているのはイスラエル人のアミラ・ハス。ジャーナリストだ。そして、ガザに暮らしたという。テレビは長く見られなかったのだが、どうにもイスラエルを批判しているような様子である。しかもそれがイスラエル人のジャーナリストであるらしい。にわかに惹かれた。どうしても彼女の言葉に触れたくなる。検索して幾つか書籍があることはわかったが、邦訳されているのはこの一冊だけのようだ。

パレスチナから報告します
アミラ・ハス/くぼた のぞみ訳

出版は2005年。
18年も前になる。

本を手に入れようとしていろいろに探すのだが、見つからない。honto、紀伊国屋書店、古本屋・・・どこにもない。出版元の筑摩書房にも在庫なしとある。Amazonで一冊だけあったが、その値段は1万2千円と、定価の4倍を超えている。仕方がないので図書館にも検索範囲を広げて見つけたのが大阪府立図書館だった。そうしてようやく、アミラ・ハスに触れることになる。

本書は少し難しい。私が、あまりにもパレスチナ問題を知らないからだ。問題に精通していればわかるであろう言葉が断りなく使われる。時には、パレスチナのことを言っているのか、イスラエルのことを言っているのかさえ混乱する。だが読み進めるにつれ、その内容にただただ驚愕する。

2023年10月7日のパレスチナ ハマスによるロケット弾の攻撃以降、日に日に大きくなるのはパレスチナに対してではなく、イスラエルに対する批判だ。曰く、自衛権を越えた行為ではないかというものである。子供を多数含む民間人の犠牲を辞さない空爆、水・食料・衣服・住居を奪われる多くの民間人。これだけ多くの民間人が被害にあうのは、もはや戦闘ではなく虐待虐殺ではないのか。本書、アミラ・ハスのガザからのレポートというは、今起きている現実と重なるのだ。18年前のリポートと今。それが重なるというのはどういうことなのだろう。18年間に渡って状況が変わらないということか。しかもそれは過酷とさえ言える状況である。この本には、パレスチナの人達の苦境の数々が綴られていた。


パレスチナ人は家を建てることを制限される

パレスチナ人は自由に家を建てることができない。家を建てるには許可がいる。求めてもなかなか許可されない。曰く、農業用地であるから。曰く、入植地に通じる道路に面しているから。理由がなければ耐えがたいほどのろのろと許可を出す。そういう状況の中、許可を得ずに建てる者達も少なくない。しかし、許可を得ずに建てたものは「違法家屋」として取り壊される。ブルドーザーで細かく砕くまで破壊する。時には建物の中に人がいても取り壊す。

著者は言う。

やむにやまれぬ大胆さで法律が破られるとき、人は立法や行政にたずさわる当局についてよくよく調べてみなければならない。ソビエトのユダヤ人は禁止行為であったにもかかわらず、ヘブライ語を学んだ。1960年代まで米国南部の法律は、バスの前部に黒人が座ることを禁止していた。19世紀の法制度は、奴隷が読み書きを学ぶことを禁じていた。チャウシェスク時代の理解ルーマニアでは、ラジオで海外放送を聴くこたは重大な犯罪と見なされた。人はいつだって、正義と平等の基本原理に反する法律を破ってきたのだ。

アミラ・ハス著『パレスチナから報告します』

そうして、『パレスチナ人は犯罪者かその予備軍』と言われることになる。

差別的で残酷な法制度は、かりに自分が反対の立場だったらとは思ってもみない何千というイスラエル人によって厳格に施行されている。彼らは、パレスチナ人のことを罰せられるべき無法集団だと思いたいのだ。このイスラエル人たちは「これほど大規模に法律が破られる事実は、違法者についてよりも立法者についめ多くを語っている」という古い格言の意味を、深く考えてみようともしない。

アミラ・ハス著『パレスチナから報告します』

パレスチナ人には時に外出禁止令が出る

パレスチナ人に対して、時に外出禁止令が出る。外出禁止期間は一日や二日ではない。一月を超える。外出を禁止された父親は仕事に行けず解雇され、子供達も学校へ行けない。夜にはひっきりなしに銃声がする。薬を買いたくて外へ出てイスラエル兵に止められる。パンを買いたくて外へ出て、やはりイスラエル兵に止められる。妊婦に陣痛が起きて救急車を呼んでもなかなか到着しない。ようやく到着した救急隊がすることは臍の緒を切ることだけだ。

同じ地区に住むイスラエル人入植者に外出禁止は適応されない。パレスチナ人は、時にはイスラエル兵よりも入植者を恐れる。

先週の金曜日、私たちはそんな不気味なヘブロンの出来事を経験した。私はプレスカードを持っていたし、難民キャンプの住人で教職に就くMもベツェレム発行の証明書を持っていた。 <中略> 私たちが入植者グループ(妊婦。よちよち歩きの子どもたち、そして、やや年上の子どもたちが警官の脚の下や兵士の小銃のあいだを行ったり来たりしていた)とすれちがったとき、ひとりの若者が大声でわめき出した。「アラブ人、おまえがここに来るのは禁止されてる。 外出禁止令が出てるんたぞ、ここから出ていけ!」 そう叫びながら若者はMに近づいてきて、拳を振りまわしながらいいつのった。「アラブ人め、とっとと立ち去れ、外出禁止だ!」兵士と警官がその若い入植者を制止することはまったくなかった。むしろ、彼らはMにむかって立ち去れと命じた。だから私たちはそうした。あざけり嵐の中を。

アミラ・ハス著『パレスチナから報告します』

入植者

入植者とは何か。これが一番わからなかった。特に説明はないのだが、文面から解釈すると、「パレスチナ人居住区に住むイスラエル人」を指すようである。何故、パレスチナ人居住区にイスラエル人が住んでいるのか。それもよくわからない。おそらくは入植地をイスラエル領土にするためではないかと思われる。このため、同じ地域にパレスチナ人とイスラエル人が居住することになる。だが、パレスチナ人は様々な制約を受けても、イスラエル人にそういった制約はない。

パレスチナ人がたったひとりで、入植者が集団でやってくるところに出くわすことになったら、その身になにが起きるかわからないのだ。

アミラ・ハス著『パレスチナから報告します』

パレスチナ人にとっては時にイスラエル兵よりもイスラエル人入植者の方が恐ろしくあるようだ。


イスラエル兵はパレスチナ人の住居を自由に占拠できる

イスラエル兵はパレスチナ人の住居を自由に占拠することができる。ある日突然に。今日、今、この瞬間から。

お昼ごろ、バルグーディの家のドアを叩く音がした。 <中略> 妻ファドゥワーがドアを開けると、自分の家の入口に兵士の「大軍」が立っていた。 <中略> 「アパートに30人か、40人の兵士が入ってきました。 <中略> 彼らは私たちに、3つある寝室のうちのひとつに残ってもいい、といいました。自分たちが他の寝室を使うから、と。『あんた方といっしょに2、3日すごさなければならない。軍の決定だ』といったのです」。 <中略> 「これは、イスラエル軍はどんなパレスチナ人の家であろうと侵入できて、それをわが物顔で使えるのだという一例にすぎません。占領下では私たちの所有権が認められない、ということなのです。」

アミラ・ハス著『パレスチナから報告します』

パレスチナ文化省を占拠したイスラエル兵の所業

パレスチナ文化省をイスラエル兵が占拠した。1ヶ月後、イスラエル兵が引き上げた後に建物に戻るとおぞましい光景が待ち受けている。これが一番驚いたことかもしれない。相手を暴力で押さえつけるのとは違う。相手を侮蔑しているということでしかない。長くなるが引用させていただく。

ハイテク機材と電子機器がすべて破壊されるか姿を消していたのだ。建物の屋上に設置された放送用アンテナも破壊されていた。電話も消えていた。パレスチナ・アートのコレクション(大部分が手作りの刺繍作品)は影も形もなかった。 <中略> 家具は兵士によってあちこち引きずられ、積み上げられ、壊されていた。ガスヒーターはひっくり返され、あたり一面に散らばる紙、本、潰れたフロッピーディスク、CD、砕けた窓ガラスの上に投げ出されていた。

アミラ・ハス著『パレスチナから報告します』

ここまではまだましである。これから、さらにヒートアップする。

子どもアート奨励局の部屋の壁に兵士たちは絵の具を塗りたくり、壁にかかった子どもたちの絵を台無しにしていった。文学、映画、子どもと若者の文化、といった各局のどの部屋でも、本、CD、パンフレット、書類が雑多に積みあげられて、それが糞尿で汚されていた。

アミラ・ハス著『パレスチナから報告します』

糞尿?
突然現れた異様な単語に訝しく思う間もなく、話は佳境に入る。

 各階にトイレはふたつあったが、兵士はそれ以外の、あらゆるところに放尿し、排便した。自分たちが一ヶ月も住んでいた部屋にまで。彼らは床に、空にした花瓶に、机の引き出しにまで排便した。ビニール袋に排便して、それをまき散らした。破れている袋もあった。コピー機の中に排便しようといた者までいた。
 兵士たちは空き瓶に放尿した。何十本にもおよぶ空き瓶がビル中に散乱していた。ボール紙の箱の中に、壊して積み上げたモノのすきまに、机の上、机の下、兵士たちがたたき壊した家具の隣り、放り投げた児童書の間に。蓋のあいた瓶もあり、なかの黄色い液体がこぼれて、壁から壁まで敷き詰めた薄手の敷物類に黒っぽい染みをつくっていた。ビルのなかでも、とりわけふたつの階は、鼻を突く糞尿の耐えがたい異臭のためにフロアに入るのが困難をきわめた。汚れたトイレットペーパーもまた、いたるところに投げ捨てられていた。
 いくつかの部屋では、便とトイレットペーパーの小山からそれほど遠くない場所に、腐った残飯までもまき散らされていた。だれかが排便した衣装ダンスのおかれた部屋の片隅に、果物と野菜の入ったダンボール箱がうち捨てられていた。トイレは尿の入った瓶と、便と、トイレットペーパーのために、詰まってあふれ返っていた。

アミラ・ハス著『パレスチナから報告します』

これが人のなし得る所業なのだろうか。

この話の中に死人はいない。怪我人もいない。だが、このイスラエル兵がパレスチナ人に対して抱いている感情は手に取るようだ。敬意を持ってできることではない。


占領

占領。

本書でしばしば現れる表現である。

イスラエルが建国されたのは1948年。第二次世界大戦の終戦が1945年であるから、わずか3年後である。

イスラエルが建国した時、イスラエルとパレスチナで領土を分割したと思っていた。双方の主張の食い違いから問題はあるものの、一応は線引きして分割されたのだと。

だが。

本書を読むと占領という言葉に全く違和感を感じない状況である。パレスチナ人の居住区に銃を持ったイスラエル兵が闊歩し、いつでも銃口はパレスチナ人に向けられ、撃たれる。子どもたちが撃たれるのは今に始まったことではない。

ガザでは一日たりとも、イスラエル軍の銃撃によって子どもたちが傷を負わない日はないし、これまで述べてきたような状況で、少なくとも一人か二人の大人、あるいは一人か二人、いや、三人の子どもたちが殺されない週はない。

アミラ・ハス著『パレスチナから報告します』

これが2001年3月25日にハスが書いた文章だ。それから20年以上が経過した。現在、私はようやくパレスチナの多くの子どもたちが傷付き殺されている現実を知った。今までは全く知らなかったと言っていい。

占領とはいったい何なのか。パレスチナとイスラエルはどういう関係にあるのか。知らないことわからないことはまだまだある。


現実は何か

今、パレスチナで起きている現実とはいったい何なのだろう。イスラエルの公式報道も、パレスチナの公式報道も安易には受け入れられない。互いに都合の悪い事実は何一つ言及しないように思える。ましてや、ネットに掲載される多くの投稿記事発言は何をかいわんや、である。

何を読めばいいのか。

思案していたところに出会ったのがアミラ・ハスである。私は彼女を直接知るわけではない。それでも彼女が最も誠実に思える。彼女は公平ではあるが客観的にはならない。彼女は彼女の意見を持って記事を書く。占領には反対する。それを隠して記事は書かない。その姿勢がこころを揺さぶられるのかもしれない。

私がここに書いたものは彼女の言葉のほんの一部にすぎない。私はパレスチナに対して大きな偏見を持っていた。覆面し武器を持ち死をも辞さない彼らの行動が、私にとっては恐怖でしかなかった。パレスチナ人がみな同じであるわけではないと、理屈ではわかっていても感情がついていかない。だが、本書で見方が変わった。パレスチナ人が虐げられている現実をこれでもかというほどに知らされたからだ。

今、パレスチナで起きていることは虐待虐殺であるという言葉が出始めている。だが、パレスチナ人の苦境は今に始まったことではない。それはすでに何十年も前からあったことだ。イスラエル兵は言う。

火炎瓶を投げたり、誰かを殺す可能性のある者は全員、撃つ。

そこに大人子どもの区別はない。その文章を読んだその日、テレビのニュースでは石を投げるパレスチナ子どもたちの姿があった。彼ら彼女らの投げるものが石であると正しく認識されますように。間違っても火炎瓶などと思われませんように。そう願わずにはいられない。

最後にもう一つ彼女の言葉を紹介して終わる。

かつてなく厳重になった包囲のもとで、イスラエル軍兵士によって毎日人が殺され、生活条件が耐えがたくなることがパレスチナ人を強化するように、イスラエル社会のなかにパレスチナ人が蒔いた死の種もおなじような反応を引き起こすことを、パレスチナ人は理解しそこねているのだ。両者とも、さらに致命的で、さらに破壊的な武力だけが、敵対する相手を抑止できると信じて疑わない。両者ともに、完全に間違っている。

アミラ・ハス著『パレスチナから報告します』

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