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性被害に大小なんてない。誰がなんと言おうと、嫌なものは嫌なのだ。

久々に、性被害の話をしたので
ここにも書き留めておこうかなと。

先日のこと。
なぜか、飲んでいる流れで
虐待やトラウマに関する話になったので
私自身の性被害について話すことになりました。

今でこそ、
しれっと、顔色も変えずに
フラットに話せるようになりましたが
わりと、ヘビーに苦しんできたのです。

その背景を感じるのか?
飲みの場でこうした話を
打ち開けられることが珍しくなく。

初めて行ったワインバーで、
お嬢さんが被害に遭ったお話を聞いたり

男性に、「僕もありました。」
と打ち明けられたり。


実は性被害って、
特別なことじゃないんです。
悲しいことに。


私は幼少期に2回
思春期手前に1回
思春期ど真ん中に1回
成人後に1回

覚えている限りだとこんな感じです。

体験の大小を考えなければ
もっとたくさんあるかもしれない。

小さな体験だと、
忘れてしまうこともあるし

逆に大きな衝撃すぎて、
しばらく記憶から消えていたこともある。
(思い出した時にかなり苦しむ)


性被害はいろんなことがあるし
その体験に大小は関係ない。


被害の程度、
なんて言葉で語れない
苦しみや辛さが被害者にはある。

心の領域には
大きい小さいなんて関係ない。

それに、
嫌なことは嫌なことだし
辛いこと、苦しいことは比較できるものではない。


そんな体験をした私が
性の発信をしているのって


性のトラウマもあったし、
悩み、拗らせ、苦しみもがいてきた。

そんなこともあったけれど、


今は穏やかに朗らかに、
性を楽しめるようになったということ。



それが、
少しでも誰かの希望になればいいな。

そんな想いがあります。


私も簡単には乗り越えられなかったし
苦しい期間が長かった。


特に、幼少期の体験は
その後の人生に大きな影響がある。
だから、
全部なくなったわけでもないとも思う。

でもね、

抱えたままでも、
しあわせに生きることはできるんだよ。


だから、大丈夫。

自分を生きることを
諦めなければ、

しあわせになれる未来があるよ。


大丈夫。
助けてくれる人は、いっぱいいるよ。


被害がなくなること、
被害に遭った人が幸せに生きられる
生きやすくなる世の中を願って。


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