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年とると歴史に興味が出てくるのは何故

若い頃は歴史に全く興味がなかったのに
40代頃から急激に興味がでてきました。
「なぜ、中年以降の人は歴史をやたら語るんだろう?」と
不思議だったのに
意図せず白髪がはえてくるがごとく
勝手に自然と歴史に興味がわいてきたのです。
同じように神社仏閣や自然のなかを歩くことへの興味も
じわじわと自分のなかから沸き起こってきました。

かつてはセピア色に見えていた「老年ジャンル」が
今の私にはどうしようもなく輝いて見えるのです。

この現象は同じ年の友人たちにも起きているようで
20年前にリムジンでシャンパンを飲んでいた女子会メンバーと
先週はハイキングを兼ねて神社へ行ってきました。
シャンパンを飲む代わりに、御神水をボトルに詰めました。

一方で、かつての老年ジャンルのなかで
興味を持てないこともあります。
たとえば私の祖父祖母が好きだった演歌を好きになったりはしません。

音楽は若い時に聞いていた曲への愛着が続くジャンルなのでしょう。
おそらくゲートボールも私はしなさそう。

老年ジャンルのなかには
どうやら普遍的なことと時代的なことがあるんだなぁ。

普遍的なもののひとつとして「味覚」があります。
味覚はその理由はわかりやすくて
もう内臓が衰えているから、だけだと思います。

でもなんで歴史に興味をもつのはなんで?

と、ずっと考えていて。
なんとなく答えはぼんやり見えていたものの
直視するのがなんだか嫌で。

でもはっきり意識化してみました。
死に近づいているからなんですよね。
もう寿命を折り返してしまった。
もう未来よりも、過去の方が自分にとっては大きい…。

リニアモーターカーが実現化する未来に
私はいない可能性の方が大きくて
だったらかつて乗った0系新幹線の方に懐かしい記憶があります。

A. この道路は〇〇線とつながる計画が発表された。2040年に工事終了予定。
B. この道路はかつて参道だったらしく、〇〇にも登場している。

という話があったとすると
もう無意識で(20年後とか生きてるか死んでるかさえも微妙だし…)と
大した興味を持てなくなってます。
それより過去を振り向いてその過去の過去の過去にある何かの方が
目に入るし自分につながっている感じがします。

これが老化かぁ!

この線で考えると
神社仏閣が楽しいのは、死への心の準備のためで
自然に感動するのは、土に返るから、自然に帰着するから?ってことなんでしょうかね。


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