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やってみたいこと

実は昔から、物語を書きたいと思っていて。
小説、短編というにはあまりにお粗末なのですが、何年も前から構想は決まっていて、後は言葉を乗っけるだけ。
もちろんこれが1番難しくて、わたしが知っている言葉があまりに少なすぎるのです。
テレビやYouTubeで見かける、チャラチャラしてるなって子でも、時折難しい言葉を使ったりする。その度に知らない自分が恥ずかしくなってしまい、ますます書けなくなる。
難しい言葉を知っているだけが良い文章とはいえないっていうことは分かってるんだけど(そう信じたい)、いざ書き始めたらきっとすぐにつまづいてしまう。
あ、「雰囲気」は「ふいんき」じゃなくて「ふんいき」っていうのは知ってるよ!でも総じてそんなレベル。

ご刮目くださいとか、遺憾ですとか、そんな類でもピンとこない時があって、こりゃダメだなって思いながら何年も経ってしまいました。
日本語って美しいけど難しい。美しいからこそ難しい。

学生の頃、国語の授業が1番好きだったのですが、試験で長文が出た場合、前後の文章から意味を予想するしかできなくて、それが正解だったとしても、いざ自分が使えるかって思うと自信がありません。というか、できないだろうな。自分発信は無理。

無理とかできないとか言ってないで、まずは書いてみろ!って心のどこかでもう1人の自分がイライラしていますが、一歩踏み出せないところがわたしらしさでもあり、わたしの悪いところでもあります。

コミュニケーション能力の低さから来ているとも思うのです。
大したコミュニケーションを取らずにのうのうと生きてきた分、友達と話すような砕けた話し言葉しか知らないのだと、それが思い当たる原因のひとつ。
人と接するうちに、自然と言葉を覚えていくんだろうな。

まず敬語って難しいもんね。「ら」抜き言葉に違和感を覚えるのはできる。

もう少し言葉を知るために、本を読んだり辞書を引いたりするのが1番良いのだけど、本って頭に入らないことが多いのです。辞書をめくるのは好きで「へー!そういう意味か」って思っても、3歩歩けばすでに忘れている。わたしの頭の中はだいたい半径3歩でできています。

100歩譲ってエッセイという括りにすれば、知っている言葉が少なくてもまだ許容範囲かもしれない。ギリギリだけども。
でもわたしがいつか書き上げたいのは小説、短編、物語。

いつか書き上げてみたいな。

小学校の夏休み、いきなり狂ったように頑張って、長編の物語を書いたことがあります。先生に提出したけど、特に何もなかったような。いや、引かれてたか?
あの頃の気持ちを、取り戻したい。

何も考えず、自分が作りたいと思ったら、楽しんでやればOK。
いつか、一歩踏み出して、書いてみよう。