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64.公然の秘密

 高校の頃、学校近くの飲食店でアルバイトしていました。

 入学後、すぐに働き始めたので、誕生日が来るまではまだ15歳。社会というのがどんなものなのか全く分からないまま、とにかくお金が欲しいという一心で働いていました。

 怒られない日がない、というくらい、そりゃあもう毎日怒られていましたね。当時はパワハラなんて言葉も浸透していませんでしたし、わたし自身も、お金を稼ぐってこんな大変なことなんだと、身に染みて分かりました。

 顔立ちも性格も化粧も香水の匂いも、何もかもがキツいお局さん的な方がいたのですが、その人には特に怒られましたね。言い方もかなりキツい。でもわたしは負けず嫌いなので、なんとか認められようと、必死に仕事をこなす日々です。

 そうしているうちに、いつの間にか仲良くなり、余ったと言っては新品の化粧品をくれたり、持って帰るのめんどくさいからと言ってはファッション雑誌をくれたり、バツイチなんだと打ち明けられたり、なんだかんだと可愛がってもらいました。

 よく来るお客さんに、ご年配の夫婦が居たんですね。
 いつも一番奥の席に座り、時には手を握りながら話をするんです。その二人を見ていると、わたしはいつもチャーミーグリーンのCM(分かる人もう少ないだろうなー。熟年夫婦が手を握ってスキップするCMです)が思い浮かんで、

「いいですよねーおじいちゃんおばあちゃんになっても仲良しで」
「わたしもいつか結婚したら、あんな夫婦になりたいなー」

 とよく言っていました。

 そしたらある日、そのお局さんがポツリと言ったのです。

「あの二人、不倫だから」

 え?!嘘でしょ?
 自分の祖父・祖母と同い年くらいの二人なのに?
 別にその歳で恋愛するなと言っているわけではありません。ただ、あの当時、わたしの中にあるあの年代の方々のイメージと正反対だったし、一端の恋愛すらまだしたことがなかったので、急に目の前に突きつけられた現実に、立ち往生してしまいました。

「ここに来るといつも結婚指輪外して、テーブルに置くんだよ」
「レジで会計する時も毎回『秘密よ』って去り際に言われるし」

 そうだったのか・・・全く気づきませんでした。
 この話をすぐ隣で聞いていた店長にも、
「あー、あの二人ね。そうそう、纏ってる雰囲気がね、ちょっと違うよね」
 と言われて、16歳のわたしには経験値が足りな過ぎて、ただただ目を丸くするしかありませんでした。

 そしてしばらく経ったある日、お局さんが携帯を休憩室に忘れたまま、帰ってしまった時があったんです。
 わたしは休憩中ですぐに気がついたので、追いかけようとその携帯に手を伸ばした瞬間、あることに気がつきます。

 うちのシェフと一緒に撮ったプリクラが貼ってある・・・。

 うわっ!と驚いているところに、お局さんが戻ってきました。

「あ、見ちゃった?付き合ってんのわたしたち」

 びっくりして動けなくなっているわたしを尻目に、携帯をサッとバッグにしまい、去り際にこう言いました。

「秘密よ」

 また秘密。
 どんな歳でも、どんな人でも、誰かしら秘密を抱えているもんなんだって、16歳のわたしには刺激が強すぎてちょっとドキドキしました。これが大人の世界というものか。

 この秘密は公然ではなかったけど、この曲を聴く度に、あの熟年カップルとお局さんのことを思い出します。『秘密よ』って言った時の、ちょっと悪魔的な笑みと、去り際の後ろ姿と、あとに残されたきつい香水の匂いも。