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不登校だった娘がロシアでバレリーナになった話#7(バレエは人生)

さて、こうして長女は高校1年生の歳の9月から数えて4年間のバレエ留学を経験しました。

ロシアの国立バレエ学校における学校生活や留学中のより具体的な話は、追々別noteで書いていきますので、楽しみにしていてくださいね(笑)

ここでは、留学生活の4年間の振り返りと長女の成長について書いていきたいと思います。


留学と学歴の問題

バレエは現役でいられる期間が短いと言われています。

まれに、40代でも現役で踊っているダンサーもいますが、多くは20代後半でピークを迎え30代には結婚子育て…そして自然な流れで引退となる女性ダンサーが多いと思います。

そのため、バレリーナを目指すための”賞味期限”があるのは事実です。

よく、
「何歳で留学に行ったらいいでしょうか?」
という質問が寄せられるそうです。

長女が留学していたころは、ロシアは16歳以上と言う年齢制限がありましたが、今は時代の流れでしょうか…才能のある子は10代前半でも受け入れる学校が増えたと思います。

ちなみに、長女のが留学3年目の時に初めて小学校5年生(10歳)の子をバレエ学校が受け入れたので、言葉や生活の世話を同じ日本人の上級生が見ることになり、長女は「大変だった」とぼやいていました(笑)

才能があって幼い年齢で留学することは個人の自由ではありますが、少なくとも自分のことは自分でできることが前提で留学するほうが、バレエ以外の成長にもしっかり繋がっていく気がします。

ここで、学歴の問題も日本人なら頭の隅にちらつきますよね。

中学卒業後に留学した場合、通信高校で高卒資格を取るのも一つの選択としてありますね。
長女の周りの子たちは、結構このパターンで勉強していました。

本人が学歴に対してどう考えるか、その意思を尊重することが一番大事でしょう。

ちなみに、長女はもう勉強したくないということでしたので、最終学歴は中卒です(笑)

1.不登校とは無縁の厳しい世界

バレエ学校では、長女が日本で不登校児だったことなんて当然ながら一切関係ありませんでした。

確かに同年代と接する機会があまりなかった長女は、コミュニケーション能力が低い方(コミュ障ってやつ)だったと思うので、新しい環境に飛び込むには相当な勇気が必要だったと思います。

でも、問題はそういういことではないんですよね。
ロシア人の子たちの過酷なバレエ学校の世界を間近に知ることで、長女は根本から意識が変わっていきました。

長女が留学して編入したのは5年生で、現地の子にとってバレエ人生を左右する境目の学年でした。

6年生に上がるには、今後のバレリーナとしての資質を見るための重要な試験があり、それにパスした子だけが最後の3年間を学ぶ権利を得られるというシステムになっているため、特別な学年でした。

学歴とは言いませんが、そうやってふるいにかけられていくことで自分の人生と向き合っていく現地のバレリーナの卵たち。
その影響を受けながら、長女のバレエに対する思いは良くも悪くも揺さぶられ、成長へと繋がりました。

2.バレエを辞めたらどうするの?

留学1年目を終えて帰国した時の長女が
「来年は行かない」
と言っていた話を過去のnoteでしましたね。

それでも、帰国中にメンタルを立て直したのには、
「今、私からバレエを取ったら何にも残らないから」
「中卒で何して働けっていうの(笑)」
と、笑いに変えられる強さが芽生えてきたからかもしれません。

「自分で納得して行くからもう大丈夫だよ」

2年目の成田も、1人で出発✈
心なしか頼もしくなっていた長女でした。

SNOW の加工でこんな写真!

4年間の思い出

終わってしまえばあっという間の留学生活のなかで、ここでは記録に残しておきたいことを少しずつピックアップしていきます。

1.留学1年目(16歳)

まず、ぶち当たったのは言葉の壁と食事の壁。
そして、何もかも不安でしかなかったメンタルの壁。

留学してすぐのころの長女のメモ

それでも、クラシックの先生に可愛がられた事や、ロシア語の先生に気分転換に遊びに連れて行ったもらった事など、ちょっとしたことが長女の支えになりました。

冬の試験と学年末の試験では、クラスで成績トップだったのも本人のやる気を支えたのでしょうか。
そうは言っても、日本では習ったことのないジャズ、キャラクター、アクチョールにはだいぶ苦戦したようです。

また、ロシア語が下手だと言って笑われたり、成績が良いのは留学生だからとクラスメイトに意地悪なことを言われたと、あとから話していました。

1年目の学年末試験

辛いことがたくさんあった1年目だったんですね…

親は話を聞くだけだし、お金を出すだけの人ですから(笑)

この最初の1年を乗り越えたのは、我が子ながら尊敬しています。

2.留学2年目(17歳)

メンタルを立て直してからの2年目。

本人が思っていたより、周りのロシア人はちゃんと長女を受け入れていたことがわかり、クラスメイトとも馴染んできたようでホッとしました。

また、デュエットの授業が始まり、今まで話したことがなかった男子とも交流の輪が広がっていきました。

長女からのLINE で男の子の名前が出てきた時は、なんだか無駄にドキドキしちゃいましたよね(笑)

もともとさっぱりした男の子っぽい性格でもあるので、男友達ができたのは良かったと思います。

そしてこの年の校内コンクールで「フレスキ」を踊ったことが校長がとても気に入ったようで、卒業公演でも踊らせていただくことになりました。

せむしの仔馬より”フレスキ”(フレスコとも)

3.留学3年目(18歳)

3年目の出だしは例年と一緒でしたが、その年の4月にコロナ流行により学校閉鎖、強制帰国となってしまいました。

この時、バレエ人生を狂わされたバレエ少女がどれだけいたでしょう…😢

長女の学校でも一つ上の学年は卒業試験も卒業公演もできずに卒業となりました。

もちろん日本人の先輩もいましたし、就職活動もできずに帰国となるなど理不尽で辛い経験をされたと思います。
※でもその先輩は、今は別の国でバレリーナとして踊っています!

長女はというと、学校閉鎖となる1ヶ月前の校内コンクールで初めてのGPDを踊らせてもらいました。
そして後日、これも卒業公演でまた踊らせていただけることがわかりました。

初めてのPDDは「青い鳥」

小さい学校でしたが、本当に校内コンクールでは良い機会を与えてもらえたと思います。

4.留学4年目(19歳)最終学年

4月以降、ロシアと日本は国交を閉じていました。

長女は、丁度留学生ビザも切れていたタイミングでしたので、そもそも渡航のための手続きが必要で遅れることになっていました。

大事な最終学年なのに、なかなか国交が再開しなかったのでとてもヤキモキしていました。
そんな中、ロシアでは9月に通常通りに学校が始まっていましたので、焦っても仕方ないとはいえ穏やかに過ごすことができなかったです。

ただ、学校からオンラインレッスンをしていただくことができたので、スタジオを借りてほぼ毎日2時間だけはクラシックのレッスンができました。

このオンラインレッスン、有難かった半面これがコロナ帰国中にもっとも私の財布を圧迫しました(笑)

そこそこ踊れる広さのレンタルスタジオは、個人で借りるとなるとかなり高額になりました。
確か、9~11月までの約2ヶ月半で40万円は吹き飛んだと思います💦

リノ床、バー、Wi-Fi完備のスタジオ

私の貯金は、これで底をつきました(笑)

それでも、11月にようやく渡航できた時は本当に嬉しかったです。

2020年11月28日 羽田からロシアへ

この後、4年目の話は就活や卒業の話で盛りだくさんになるので、別noteで書きたいと思います。

留学はバレエ人生の始まり

バレエ留学では、良いことも悪いことも経験と捉えればすべてが本当に良かったと思います。

何より、大きな怪我や病気をすることなく、コロナがあっても無事に卒業して就職までできたわけですから、この留学の経験は我が家にとって、長女にとって、何物にも代えがたいことだったと思います。

1.自分を知るきっかけ

自分の人生をどう生きたいか、という哲学的な話になりますが、バレエは人生と同じです。

生きている中にバレエがあるのと、バレエという人生を生きていくのとでは全く違います。

バレリーナを目指すには、その答えを早いうちに出す必要があると思います。

まだ周りの友達が、将来何になりたいかなんて考えていない時期から、バレエを人生として選ぶかどうかを決めなくてはなりません。

それは、孤独な作業ですし自分の本心を見極める必要がありますよね。

これは、あくまでも
「その時点で」
の話でいいんです。

やっぱり違ったと思ったら、やり直せばいいんです。
ですが、いったん考えないといけない時期が10代の早いうちに訪れます。

そのきっかけとして、バレエ留学によって周りのロシア人から学ぶ環境に身を置けたことは、良かったと思います。

2.未知の国「ロシア」を知った

これは、このご時世で大きい声で言ってもいいかわかりませんが、日本にとて最大の隣国ロシアをどれくらいの人が知っているでしょう。

知っているといっても私もすべてを知っているわけではありませんが、少なくとも人々の暮らしや文化についてはこの4年間で少しでも知ることができました。

長女は特に言語も習得していますし、ロシア人の恋人もいます。

ロシア人の感性は日本人に似ていると思いますし、言葉の壁さえなければなぁ~と思ってしまいます。

長女を通して親の私まで視野が広がり、良い経験をさせてもらうことができたことが長女のバレエ留学だったとも言えます。

次からは厳しかった就活の話をしていきますね。













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