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365日まいにちの記録

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2019年4月21日から毎日更新しているnoteをまとめています。
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さようならよりも、両手いっぱいのありがとうを

約1年住んだバンコク。 東南アジア最大の都市とも言われるこの大都会を、ついに今日離れる。 お別れはあまりにも突然で、ゆっくりとこの場所にお別れを言う暇もなくこの地を離れることになろうとは、1週間前は思ってもみなかった。 夕方になると渋滞するスクンビット通りも、 「マイペンライ」精神のゆるーく優しいタイ人も、 刺すような日差しも、空を覆う大気汚染も。 今となってはすべてがわたしを送り出している気がしてしまう。   この場所でも、たくさんの場所に行って、たくさんの景色を見

何者かになりたかったわたしと、何者にもなれなかったわたし

「寒い」 空港から外に出た瞬間思わずそうつぶやいた。 言葉とともに外に出た白い息がふわりと空へ消えていく。 常夏の国では出番のなかったその言葉は外に出た瞬間に待ち受けていた「タクシー!?」の言葉にかき消されてしまい、ああ、旅だなぁと思わず笑ってしまう。 寒さは苦手なはずなのに、雪なんてもってのほかなはずなのに、久しぶりの寒さに、つんとした空気に、長時間外にいると冷たくなっていく手に、久しぶりに再会した季節に、少しの懐かしさを感じていた。   「何をしに行くの?」 ジョ

まるで淡い水彩画のように

5月にフリーランスになったとき、「夢がかなったね」そう言ってくれた友達がいた。確かに私はフリーランスになりたくて、ライターになりたくて会社を辞めたし、その結果5月からフリーライターとして活動することができている。 「夢がかなった」といわれればそうなのかもしれない。   先日昔のつぶやきを見てみてこんなつぶやきを見つけた。 ちょうど今から7年ほど前のツイート。当時の私は大学1年生だった。19歳の私は、まだお酒が飲める歳でもなければ、パスポートすら持っていなかった。 パス

きょうはちょっと休憩日

今日はちょっと文章休憩日。 たまにはそんな日があってもいいかなっと。 今日は最近撮ったテーブルフォトたちを! テーブルフォト、楽しい!! すっかりはまりました。

言語というツール

いつからだろうか。 高校までは苦手な教科だったのに。 海外に連れて行ってくれた友達の現地の友達と話すときに、これってどうやっていうの?って聞いてばっかりだったのに。 自分から話すのは怖かったはずなのに。 いつの間にか、 旅行に行くのはもちろん、海外に住んでいろいろな手続きをするのが億劫ではないぐらいに英語への苦手意識はなくなっていた。 外国語を日常生活で話すうえで一番高いハードルだと思うのは、外国語で電話をすることだと思うのだけれども、その電話でさえも、日常的なやりとりで

朝ごはんの極意

わたしは朝ごはんを食べない。 高校生の時までは実家に住んでいたので毎朝食べていたけれども、高校を卒業して一人暮らしを始めたわたしは、朝が苦手で起きれなくて、朝ご飯の数十分の時間を睡眠に充てるほどだった。 大学、そして就活浪人中、社会人1年目と、朝ご飯を食べない生活を7年間ぐらい続けた。7年間といったら、小学生が中学生になって、中二病という謎の病にかかり始める時期だ。かなり長い。 そんな私が朝ご飯生活を再開したのは社会人も2年目になったとき。 もちろん1年目と相も変わらず朝

お買い物の1日

今日はバンコクで週末にだけ開催されるウィークエンドマーケットに行ってきた。 歩いて10分ほどで1周できるそこまで大きくない敷地に並んでいるお店の数は15000店。ここを訪れるのは5回目ぐらいだけれども、まだまだ全然初めてみるお店や、こんなものが売っているの!と驚かされるお店がたくさんある。 基本的に冒険をしないタイプのわたしは、こういう場所に行ったとき、いつもは決まったお店に訪れて、決まった道を通る。けれども、誰かと一緒にいつもの場所に行くと、いつもとは違う風景を、出会いを

きちんと食べる

昨日の睡眠に続いて、今日は食について。 先日のnoteにも書いたように、わたしは食べることが大好き。 日本各地だけでなく、世界中に大好きな食べ物がある。 でも、そのほとんどが炭水化物だったりお肉だったり揚げ物だったり、糖質や脂質が高い物ばっかりだ。 絶賛体の健康に気を遣おう習慣なので、大好きなものを我慢するということより、しっかりとバランスのいい食生活をするように心がけようと思う。   まずは食べるもの。 タイではなかなか野菜を食べられない。 野菜が全くないわけでは

夜型を変えたいわたし

突然だけれども、わたしは夜型だ。 いつからこうなったのだろうか。ふとそんなことを考えてみる。 小学生の時は9時には布団に入って寝ていた。 中学生になってから、一軒家に引っ越しをして自分の部屋ができて、寝る時間も自由になって…。でもこの頃も朝から学校に行っていたし、放課後はみっちり部活もしていたから、日付を越えるか越えないかぐらいの時間にはちゃんと寝ていた気がする。 高校生の頃からだろうか?確かにテストは一夜漬けが定石だった私はテスト前日2時とか3時とかまで起きていた気もす

私の好きなもの。

「趣味の棚卸」 そんな言葉を目にしたのはたぶん半年ぐらい前。 考えてみると、7月から9月にかけてたくさんの友達が日本やそれ以外の国から遊びに来てくれた。 もちろんわざわざ遠く離れた国まで会いに来てくれるのはとても嬉しかったし、一緒にバンコクのお気に入りを回れたのは楽しかった。 でも、一方で仕事もこなしていかなければならず、そんな両手いっぱいの予定に、日々の忙しさに振り回されてなかなか自分のことを見つめ直す時間がつくれなかった。 まるで、大好きな絵本を好きなジャンルごとに並

生まれて10000日目のこの日に。

「誕生日って、私にとっては特別だけど、私以外の誰かにとってはただの平日だよね。」 友人の一言がゆっくりと頭の中で反芻される。 確かに、誕生日なんて周りの人にしてみればただの平日。 知らなかったらお祝いしようがないし、知っていても友達の誕生日を全員分覚えている人なんていないと思う。 それでも、誕生日になったら、どこからともなく友人からメッセージが届く。 昔から毎年欠かさずメッセージをくれる親友や、留学中に友達になってから一度も会えていない友達、幼馴染…。 誕生日を覚えてくれ

これからも隣でそっと寄りそっていて

「周りと一緒じゃなければならない」 目立ちたがり屋だったわたしに、そのプレッシャーはとても重く両肩に乗りかかってきた。 個性なんて口では言いながら、みんな同じようなスーツを着て、同じような髪形をして、同じように面接で受け答えをする。 そんな就活の一場面を彷彿とさせるような、みんな同じという”暗黙の了解”は、一人でだって進みたい方向に歩いていきたいと思っていたわたしには、まるで魚が無理やりに陸を歩かされているような息苦しさを感じさせていた。 自分がやりたいことをやりたいよ

いつだって手を挙げてみる

目立ちたがり屋で、なんでもしたがりやだった私は、もの後頃着いたときから「これやりたい人?」には一番に手を挙げる子どもだった。 小学校の学級委員や、中学の生徒会、高校の体育祭のブロック長。面白そうなものには片っ端から手を挙げていた。 それがいつからだろう。 きっと大学に入って少し経ってからだと思う。 「これやりたい人?」に率先して手を挙げなくなっていた。遅く来た反抗期なのか、ただすれていただけなのか、能動的に手を挙げることにおっくうになっている自分がいた。 変わってしまった

うんうん、この調子

人と会うことはわたしにとってはすごくエネルギーがいる。 気心知れた友達であれば大丈夫だけれども、初めて会う人、オフィシャルな場で会う人、仕事で会う人…そんな人間関係はすこし私には窮屈に感じてしまう。 そういう人とは必要以上に距離をとって接してしまうし、一緒にいればいるだけ疲れてしまう。 きっと友達とそうでない人とのパーソナルスペースにびっくりするぐらい差があるんだろうと思う。   それでも、ここ1週間ぐらい、自分を奮い立たせてたくさんの人に会ってみた。 たまたま、同じお店