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きっとわたしは旅をやめられない

果たしてわたしはいつまで旅を続けるんだろう。

フリーランスの先輩や、旅人の先輩たちが、続々と移動ばかりの生活をやめ、一つの拠点に落ち着いている姿を見ていると、漠然とそう思うことがある。

いや、厳密には「いつまで旅を続けられるんだろう。」の方が正しいかもしれない。

年齢やそれに伴って体力がなくなって行ったり、家族ができたり……理由は人それぞれだけれども、旅をし続ける生活を手放す人をたくさん見ていると、いつかわたしにもそんな日が来るのではないだろうかと、不安に近い違和感のようなものを感じることがある。

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思えば「旅」の魅力に取りつかれてからもう5年。
最初にその魅力を知ったのは、ドイツに留学していたころ、ドイツを拠点にヨーロッパ中を旅していた時だった。

国境という、人間が決めただけの地図上の線をひとまたぎするだけで、文化や言葉、そこに住む人の性格なんかががらりと変わる。
「日本」という島国で生まれ育ったわたしにとってその感覚は、まるでたくさんの小説の世界を行き来しているような感覚に近かった。

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そんなわたしが人生で忘れられない旅がある。
1か月半をかけて中南米を横断した旅だ。
それまでに旅をしてきたいろいろな国が印象が薄いだとかそんなことはなくで、むしろその逆で、南米が強烈すぎたのだ。

初めての海外は中学2年生にオーストラリアにホームステイした時だった。そこから長く海外に行っていなかったけれども、大学2年生が終わりを迎えた春からこれまで数年間、半年に一度は海外に行く生活をしていたわたしが、久しぶりに心臓を後ろから突かれたような、そんな圧倒的な衝撃を受けた旅がこの南米の旅だった。

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それまでアジアやヨーロッパ、アメリカなんかを旅してきたけれども、南米はちょっと分けがちがった。

まず英語が通じない。
実際に行く前はちょっとした単語や簡単な会話なら……と思っていたけれども、「How much?」が通じなかったときは驚いた。ここではスペイン語を話せなければ言葉でのコミュニケーションが難しい。「英語」という盾を失った瞬間だった。

そして肌間で「ああ、ここは治安があまりよくないな」という場所がとても多かった。夜になんで絶対に出歩けないし、昼間でも少し歩くのをためらうような通りもあった。
幸いにも、わたしはこれまで旅をしていて危ない目に遭ったことや、犯罪に巻き込まれた経験はなけれども、もしかしたらこの場所がそれを最初に経験する場所になるかもしれない、と腹をくくったほどだった。

しまいには水回りがきれいでないことがほとんどだった。
中にはビーサンをはいていないと立ち入るのをためらうような風呂、トイレもあった。もちろんアジアにもそういう宿はあったけれども、水回りが世界一清潔だといわれている国、日本で生まれ育ったわたしは、これだけいろいろな国を旅してきていても、未だに水回りが清潔でない場所にはあまり長居したくない。

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傍からみたら、なんでそんな旅が一番忘れられない旅になるのかと疑問に思うかもしれない。けれども、いや、だからこそ、こんな旅の不自由さこそが、わたしに旅をしている実感を与えてくれる”かけら”だったりする。

道に迷っても地図に目的地が載っていない、地元の人に聞いても全員が違う道案内をしてしまう。そんな一見不自由で、ピースの足りないパズルを組み合わせるかのような、そんなちょっともどかしい非日常な体験が、旅の中で次第に日常へとじわり色を変えていく瞬間を中南米で過ごした1か月半に幾度となく味わった。

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そしてなにより、南米はこれまで見たことがなかった景色をたくさん見せてくれた。

困難の先にあるゴールほど達成感を味わえるあるなんていうけれども、この旅を通してそれをひしひしと感じた。電車を乗り継いで簡単に行けたヨーロッパのきれいな街や、バスに乗っていれば連れて行ってくれたタイの寺院たちとは比べ物にならないぐらいの冒険をした。

今も電車が通っている現役の線路を3時間以上歩いたり、富士山よりも高い場所に3週間以上滞在していたり、国境を超えるためにほぼ丸1日バスに揺られたり……。

行きたい場所に行くために、数字とあいさつだけのほんのちょっとのスペイン語という、RPGでいう初期装備のような貧弱な武器を携えて、長距離バスのカウンターに並んで。
ぼったくられないようにジェスチャーで値段交渉をして。
SIMカードを持っていなかったから、スマホで何でも調べられる時代に、とてもアナログな方法で旅をしていたように思う。

それでもその先に待っていたのは、夢にまで見た絶景たち。
写真で、動画でたくさん見て、いつか見たいと憧れて、そして長い道のりを経て、会いたかった絶景が今まさに目の前に広がっている。

生まれたばかりの赤ちゃんならまだしも、20代にもなると何か一つのことをできるようになる達成感を味わうことも、少なくなっていただけに、最初はぼんやりと景色を見ながら、遠い地球の裏側からこの絶景を見られた事実にしばらく浸っていた。

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そうやって人生で一番の旅を思い出していると、なぜわたしが旅を好きになったのか、好きな旅と生きていくために会社を辞めてフリーランスになったのか、だんだんといろいろな気持ちが押し迫ってくる。

まさに小さいころにきらきらと光る石を詰めて公園に埋めていた宝箱を見つけたみたいだ。長い時間がたって干からびてしまっていた、あのころのようなむじゃきで、屈託なく、”好き”を大切にする思いが水を得てだんだんと色を、形を取り戻していく。

そうやっているうちに、しばらく触れられなかった旅で出会える不自由な毎日が、非日常がだんだんと恋しくなってくる。
旅を続ける理由なんてそれだけでよかったんだ。

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この先もきっとわたしは旅をやめられない。

旅と、そして旅の中で出会うたくさんの感情たちと、この先もずっと一緒に生きていこう。

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