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【エッセイ】天のお告げは天才バカボンなのだ

ども!
気が付けば今年も残すところ1ヶ月と少し💦1年って本当に早いですよね💦

つい先日、風邪からやっと復活した私は程なく家族からのインフルループでダウン⤵️

数年ぶりのインフル、合わせて持病の喘息がまぁまぁなレベルの発作を起こしダブルで体力を激しく消耗😵‍💫つい先日まで家の中歩くだけで息切れする程のダメージでした😭

この冬はA型だけでなくB型も流行るらしいですよ💦😱
皆さんも気を付けてお過ごしくださいね。

そんなこんなで、寝込んでる間は仕事は最小限にして、空いた時間で寝ておりました💦

が…

個人事業主のキツい所ってまさに体調崩した時で、仕事続けるも休むも自分次第。

しかし仕事は請負ってるものもあるのでなかなか…休めない🥹ピエン

もし休めば後が大変になるし、請け負ってるものに関しては責任もありますし。
ただ無理すれば病気も長引く可能性もある。

体調崩すといつもそのジレンマで心が激しく揺れ動き余裕がなくなる。

結局いつも完全オフには出来ず、回復に時間かかってしまうパターンが多いんです💦

まぁ、何が正解かなんて分からないけど、現実こんなもんだし、悩んだ所で意味ないし仕方がないこと。

うん。

これでいいのだ。

これしかないのだ。

元祖天才バカボン

このアニメを知らない人って居るのかな?

原作は故赤塚不二夫「天才バカボン」
で、「元祖天才バカボン」は1970年代後半にテレビアニメとしては二作目らしい。

なぜ唐突に「元祖天才バカボン」の話?とお思いでしょうね、これ読んでる人は笑

この「元祖天才バカボン」私が小学生の頃夏休みの午前中、再放送でやっていて(今思うと朝っぱらからバカボンって😂)寝起きでよく見てたんですね。

あ、夏休みのラジオ体操はたった一度だけ制覇し鉛筆やらノート貰って達成感😇

で、それっきり笑

夏休みといったら夜はダラダラ遅くまで起きてて、次の日は朝寝坊、あさがおの観察なんて出来やしませんでしたよ、起きたらあさがおの花、閉じてましたから笑

寝起きでバカボン見て腹抱えてバカ笑いする私。そんな様子をみて母はよく

「バカボンばっか見てるとバカになるよ!」

「ほら、バカボンばっか見てるからアンタ、バカなんだわ」

もはや暴言?モラハラ?笑

とにかくいつも母にブーブー文句言われながら番組の30分間は笑い転げる私でした。

もちろんその頃、バカボンパパの奥深さやら素晴らしさ?なんて微塵も感じたことはなく、ただ意味もよく分からずに笑い転げていました。

この話の18話が個人的にはツボでした🤣🤣🤣

時代の流れ

昨今のニュースやテレビ番組。
何でもかんでも「コンプライアンス」が重要視されていますよね

コンプライアンス(法令遵守)

要は社会的ルール、企業倫理や社会的規範を守りましょうというやつです。

まぁ時代の流れで企業としてあるべき形と言うか、今はそれがスタンダード。

しかし今「コンプライアンス」がもたらしたとも言えること。

そのひとつが最近のテレビ業界でよく言われてる「面白くなくなった」ってやつなのかなと。

当然、コンプライアンス遵守で番組は制作されるので、要は「あれはダメ」「これは問題有り」とだんだん出来ない事が増えた結果できる物ってやっぱ限られますもんね。

まぁ良い方に考えれば

「誰も不快になならない」
「誰も傷付かない」

当たり障りのない番組が出来てしまう。(まぁ各局の偏向はありますけどね…)

もう少し踏み込んで言えば「面白みのない」ものが多くなったってことなのかと思います。

時代の流れ、そう言ってしまえばそうなんですけどね。

笑うって大切

皆さん、最近笑ってますか?

まぁ笑いのツボなんて人それぞれで、特に私は人とツボがちょっと違うらしく、変な所でツボりバカ笑い😂

「え、そこ?それで?そんなに?」みたいな笑

本当、時々しかないけど、もうツボって腹筋崩壊して涙が出るほど笑う時があって。

「あ~、こんなに笑ったの久々」

なんてことありません?

ここまで笑った時って、一瞬でも嫌なこや辛いこと、全部忘れられるんですよね。
そして、それだけ笑えることって逆に幸せなことだよなって思えたり。

最近の話で言うと、仕事と家事の両立、特に今は仕事の割合が多いので、時間に追われる毎日。ゆっくり過ごす時間あるなら寝ていたい、けど、寝る時間あるなら、「まだ仕事できるよな🧐」みたいな感じになっちゃってて😅

結局、自分がどこまで頑張れるかで収入も変わってくるので、なかなか休むこと自体に抵抗があるというか、、避けられない現実問題ってやつもありますしね😮‍💨

最近は体調を崩してばかりで、眠らなきゃ身体も休まらいないのに「眠れない」ってことが増えてきて。

これは仕事上、仕方のないことなんだけど、睡眠のリズムなんてものは私の場合ないのと同じなので、眠いのに頭が冴えて眠れなかったり。

もしそんな状態で眠れたとしても必ず、嫌な夢見たり、金縛りにあったり…(※あ、霊的なものでは一切ないですよ笑)

身体にとって良くないってことは重々分わかってるけど、今はどうしようなくて。

身体が疲れてるって感覚はあまり無く、疲れるって感覚とはちょっと違うんだけど、何か「感情」ってものがどこか置き去りになるような感覚というか。

そんな時。

インフルエンザから少し回復したつい先日の話。

普段YouTubeってあまり見ないのですが、たまたま何か無いかな~って見てたら、謎に(笑)おすすめに上がっていたのが

「元祖天才バカボン」

で、何か天のお告げ的に勝手に感じた私
(どんなお告げやねんw)それとなく見始めたわけです。

あー、私しばらく笑ってなかったなぁと。

見たのは本当に初期のころのバカボン。

絵のタッチや話し方なんかも 今と全然違うんですよね🧐

そしてキャラも少し尖ってるというか、攻めてると言うか、バカボンママなんてバカボンパパへの当たりが結構強め🤣

そして何よりバカボンパパのバカさがもう抜け過ぎてて😂想像の遥か上をいく言動や行動をとるわけです。

もう、何十年ぶりかに真剣に見た天才バカボン
でツボることツボることꉂ🤣 𐤔𐤔𐤔

いやだって、それこそ今の時代「コンプライアンス」引っかかりまくりですって💦

とにかく笑いが攻めてると言うか、「それ言う?」「やっちゃう?」みたいな。

バカボンパパは、周りに迷惑かけるし、困らせることも悪気無く平気でするし、相手が傷付くようなことも何も考えずに平気で言っちゃう。

「そんなやつ居ないわ👋」って思うかもだけど、もちろんこれは極論を描いてるってだけ。

考えてみると、実際生きていたらバカボンパパと同じとは言わないまでも、似たようなことって自分にも当てはまること、あるんですよね。

自分の思いだけで突っ走ったり、自分の思い込みで周りのことを考られず、相手を振り回してしまったり、迷惑をかけてたり、時には傷付けてしまうことだって。

でも、だからこそ人間なのではないか?そうも思うんですよね。

ただ、大人になればなるほど、何が正しいとか、何をするべきとか何かに縛られ不自由になっていく。当たらず障らず生きるようになる。

でも…
バカボンパパは大人になっても自分の正しいと思ったことには真っすぐなんですよね、そしていい意味でマイウェイ!

ことの良し悪しに関わらずですけどね😅

そして必ず最後のオチが「これでいいのだ」なんです。

結局自分の中で完結できること、そう思えることって、実はすごく難しいことだけど、とっても大切なのかなって。

忙しい日々の中で

冒頭にも書きましたが、最近はほんとに忙しくて、時には食べることさえ忘れている時も💦

よく言いますよね忙しいという字は「心を亡くす」と書くって。

そしてもう一つが「忘れる」です。

心を亡くすって私の解釈じゃ、当たり前の感情を忘れてしまうことかなって思うんです。

人間にはたくさんの”感情“がありますよね

「怒」「悲」「苦」「喜」「恐怖」「驚」
等々。

忙しい時って本来たくさんあるはずの感情を感じるすら忘れてしまう。正にそれだよなって。

ことのほか、感情はマイナスな面で大きく動くことが多いですよね。
怒りや悲しみ、恐れや不安。

これって忙しい時にこんな感情に囚われていられないんですよ、考えてる暇もない。

それはある意味正しいことと言うか、その時必要のない感情。

ただ悲しいかな感情の中でも数少ない「喜び」すらも忘れてしまうんですよね。

なぜ数ある感情の中でプラスに働く感情の数は少ないのか。

それは感情の「割合」なのかなと私は思うんです。

「喜び」って感情の中には色んな意味が含まれていますよね。

「楽しい」「嬉しい」「好き」「愛おしい」等

本来人間が幸せを感じるにはこの「喜び」って感情の割合がとっても大きいはずだし、生きてる上で最も大切な感情だと思うんです。

なのに、忙しさのあまり心を亡くしこの大切な感情さえも忘れてしまう。


まさに私がそれでした。


そんな時に天からのお告げですよ笑


「バカボンパパ降臨」笑

思い出して

ふと、忙しなく過ぎる毎日のなかで置き去りにしてきたものに気が付くことがあります。

それは案外、当たり前のように側にあるもの、側にいる人だったりします。

だからこそ、忙しくても時々立ち止まってちゃんと見なきゃなって。
何が今、自分の周りにあって、今誰が心の側にいるのかを。

立ち止まって見えたもの。

そこに在るものはひとつとして当たり前に在るものではない。

「忘れる」の対義語は「想起」思い出すということ。


心から笑うことも忘れていた私。

バカボンパパを見て思い出すなんて。

いつか

「終わり」と「終わる」そして「終える」少し違うだけで全く意味の変わる言葉。

どうしようもなく抗えない「終わり」もあれば、時が来て「終わるもの」もある。
そして自分の意志で「終える」ものもある。

どうあがいても、”終わり”がいつか必ず来るものが「命」

終わりとは永遠ではない事でその時間は有限ということ。

いろんな「終わり」があるけれど、自分の「終わり」が来るその時まで悔いの無い生き方をしたいと思うんです。


あるがままに。


それがどういう結末になってたとしても


「これいいのだ」


そう笑って 終われるように。


※あとがき

なんだか バカボンパパでどんだけ話膨らませるんやーって思った方もいますよね?笑

これは、たまたま天のお告げで(まだいうw)天才バカボン」だったというだけ。

要はどんなことからも「学び」はあるし「気付き」もあるってことです。

「これでいいのだ」名言だと思いません?

これは自分勝手に生きることではありません。

どんなことがあっても、忙しない毎日に心亡くしそうな時、ふと立ち止まって自分の周りにあるものをちゃんと見て欲しい。

そこに見えたものこそ本当に大切なもの。

どうか、それを忘れないで。

もう、極論それさえ大事に出来てればいいと思うんです。

そうすればもし明日「終わり」が来ても悔いはない、きっとそう思えるのではないかと。


自分らしく、あるがままに。大切なものを見失わず。


大切なことを忘れかけてた私。
天からのお告げはバカボンパパスピリッツ!でした😂😂😂

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