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今週読んだ本から

今日は今週読んだ本についてお話します。
仏教瞑想の本なので、前にもありましたが今回ももしかしたらちょっと何言ってるかわからない回になるかもしれませんが、後から見直すためのメモとして書いておきたいのでよろしければお付き合いください。

アルボムッレ・スマナサーラという長老がおられて、この方の考えはたくさんの本で知ることができます。何冊か読んでいるうちに、わたしはこの方のお話がわかりやすい気がしてきました。この本の中には何人かが瞑想について解説しているのですが、わかりやすいと思った部分はこの方のお話でした。
今回読んだ部分には、お釈迦様が病人の方々をお見舞いしたときに話された内容です。まず、時間の過ごし方について。時間というのは、過ぎていくという概念があります。これは自分が変わらずに存在して、時間が後ろに流れていくというわけではなくて、自分の人生が例えば1時間、1日なくなったとい考えた方がいいと言われています。たしかにそうなんですが、そう言われると少し怖い感じがして時間を大切にしなくてはとあらためて思います。また、お坊さんに向けて「サティとサンバジャーナで時間を過ごすべきだ」と言われました。サティは気づき、サンバジャーナは理解すること、です。さらに、気づきとは今現在の自分のことを気づくこと、そして今の自分というものは何か、と気づいて理解しておく、ということです。例えば1つの出来事が起こったとして、それの受け取り方は人それぞれです。そうなるの理由は、それぞれ自分というフィルターを通して認識するからです。ちょっと極端かとは思うのですが、ここでは出来事を自分なりに捏造してデータとして残してると書かれています。瞑想がむずかしいと感じるのは、主観がいつでも割り込んできてしまって事実をありのままに見ることができないから、ということです。

起こったことをありのままに見るのは簡単そうに思えますが、今までの経験や知識に基づいて事実を変換するのでむずかしくなるのですが、わたしたちは普段もっとややこしいことをやっています。仕事や家事、それにいつもたくさんのことを考えています。失敗を怖がったり、人の批判や評価を気にしています。気づくことを実践するのは、失敗はありません。ただの確認作業です。
お釈迦様は「すべての現象は無常である」と言われました。二度と同じ出来事は起こらないし、同じ瞬間もありません。常に身体も心も変化しています。だからそのとき何が起きているのかを確認しておくべきだと書かれています。

ここまではほんの冒頭部分なので、また明日続きを書きます。前の回の繰り返しになるところもあるかもしれませんが、個人的に興味がある解説なので数回続くと思います。

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