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コロナ禍に造血幹細胞提供(骨髄提供)をしてきました・序

※この記事は、最後まで無料で読めます。

ということで表題の通り、造血幹細胞提供(骨髄提供)をしてきました。

自分自身の体験談(n=1)ですが、骨髄採取手術を控えている方や骨髄バンクへの登録を検討している方々の参考になると思うため、当時のメモを頼りに話をしていきたいと思います。

"メモを頼りに"というのは私の骨髄採取日を明らかにすることはできないため、note で記事を書き始めるまでもかなりの月日を開けたからです。

体験資料として、日本骨髄バンクから「コーディネートのお知らせ(適合通知)」が届いてから何日目で何が有ったという時系列で話をしたいと考えてきましたが。手術を体験したドナーから手っ取り早く聞きたいことも有ると考えたため、『序』としてその辺りを話しておこうと思います。


いつ・どこで手術をしたか?

私は、と言うよりドナーは、骨髄提供に関する最終同意をした際に「いつ・どこで手術をしたかを公表しないこと」にも同意して署名をしています。

骨髄提供に関する同意書

なぜこうも情報を慎重に扱っているのかと言うと、造血幹細胞提供は患者さんの側で問題がない限り「ドナーからの採取日=患者さんへの移植日」となるからです。

従って採取日時は、患者さんのプライバシーに関わるだけでなく、患者さんがどのドナーから造血幹細胞を貰ったのかを知る得る情報ともなります。

移植がうまくいった患者さんがドナーを特定し、謝礼の接触をするような事があると「無償での臓器提供による適正な移植医療」に抵触する問題となってしまうでしょう。

また一方で、患者さんへの造血幹細胞移植は必ず成功するというものでもありません。うまくいかなかった患者さんが、結果は良くなかったけど生きるチャンスを貰えたと感謝するのか、治らなかったのは寄越した細胞が悪かったせいだと恨むのかは、その時にならないと分からない話です。

うまくいかない可能性があっても造血幹細胞移植を選ぶのは、造血幹細胞移植を必要とする患者さんは正常な血液を作れない状態にあり、ドナーから提供された造血幹細胞が生着(※)すれば劇的に病状が良くなる期待があるからです。 ※造血幹細胞が患者さんの骨髄に住み着いて血液を作り始めること

ドナーは血液検査も健康診断もして、HLA型(白血球の型)が一致する健康体であり、その造血幹細胞を患者さんに使えることを確認した上で提供しますが、それでも患者さんにうまく生着しないことがあります。移植後に患者さんが拒絶反応などを起こして、より早期に死亡する場合もあります。

造血幹細胞移植ですべての患者さんの病気を治せる訳ではないという話は、骨髄バンクのコーディネーターから何度も説明がありますし、ドナー候補に選ばれた時に受け取る『ドナーのためのハンドブック』にも書かれています。同ハンドブックは日本骨髄バンクが ネットで公開 しており、誰でも読むことが可能です。

また、同ハンドブックには過去にあったドナーの健康被害事例が幾つも書かれています。これらの話も、日本骨髄バンクが加入している傷害保険が適用された事例などと合わせて、コーディネーターから何度も説明を受けます。

結局、治療がうまくいった場合もうまくいかなかった場合もドナーと患者さんの間でトラブルが起こり得るため、採取日時や場所は明らかにできない話となる訳です。


痛かったか?

私の場合は、参考にならないぐらい痛みはありませんでした。

私は、骨髄バンクに登録する時、事前に手術内容を調べた上で登録するかどうかの検討をしており、「痛みは我慢する必要もないし、痛かったらさっさと痛み止めを貰おう」「痛みは怖がるものではなく対処するもの」という心の備えをして手術に臨みました。

その一方で、ドナー経験者の体験談も幾つか読んでおり、私自身も採取手術前までは「note では、"手術はこんなに辛かった"という話をするのだろう」と想像していました。

しかし、実際に私が受けた骨髄採取手術は、拍子抜けするほど痛みとは無縁なものでした。

傷は傷であるので、もちろん触ったりぶつけたりした時は痛かったですが、それは「触ったりぶつけたりしないよう注意しよう」で済む話で。採取担当のお医者さんも様子を見に来る度に「痛みはどうですか?必要であれば痛み止めを出しますよ?」と話してくれるものの、入院中も退院後も、私は我慢するような痛みに襲われること無く過ごすことができました。

骨髄バンクのみんなのストーリー や 骨髄バンク ドナーの輪 などを見ると、痛かった・辛かったという骨髄提供体験談がたくさん出てきますが、私が話せることは自分自身の体験(n=1)以外にありません。ですから、「自分はこんなに辛かった」というあなたの体験(n=1)を私に話されても困りますのでご遠慮ください。


私の手術前夜

次回以降、時系列で話をしていく記事と内容は重複すると思いますが、私の手術前後の話をしていきます。

病院には手術の前日から入院することになりますが、トイレ・シャワー付きの個室を用意してもらったとは言え、初めての入院、いつもと違う枕とベッド、さらに明日には手術を控えているせいか手術前夜はなかなか寝付けませんでした。

この日は、バスと電車を乗り継いで午前11時前に病院へ入れるよう、朝 5時半に起きて朝食やシャワーを済ませて家を出てきたため相応に疲れていたはずですが、ベッドに入っても朝まで眠れそうにない気配。深夜11時を超えた頃、ナースコールを押してお医者さんに眠剤を処方してもらえないか看護師さんに聞いてもらったものの、眠剤はダメという返事。午前 0時からの絶食は何とも無かったものの、寝なければならないのに寝られないこの入眠の失敗は辛かったです。

「困ったなぁ」と思いつつ、少しでも体調よく臨もうと毛布に入ったまま目をつむり、身体を右向きにしてみたり左向きにしてみたり。何とか 4時間半ほど寝て、起床したのは午前 6時前でした。

手術日の朝

目を開けてスマホで時間を確認した時は寝不足状態の心配をしましたが、起きた時の不快感は少なめ。午前 7時から絶飲となるため、最後の麦茶を飲みつつ手術中留守にする病室の片付けをしました。

午前 6時半頃、朝の検温に看護師さんが来室。「緊張していますか?」と聞かれたものの、ドキドキしている訳でもなく「緊張はしていないみたいです」と返答。看護師さんにはシャワーを使うことを伝えておき、手術着に着替える前に、寝汗を流して頭も洗ってサッパリすることができました。

ところが困ったことに、手術着を着て、エコノミークラス症候群予防用のストッキング(※)を履き、朝のニュースを見ながら時間を潰していると、午前 8時前に大きい方を催し始めました。
※手術中・手術後に身体を動かせないことによる深部静脈血栓症・肺塞栓症を予防するために行う処置で、病院が用意してくれたもの

この病院では便秘で溜まっているとかでもなければ下剤で無理には出さないし、手術時間も長くはないので尿道カテーテルもやらないとのことでしたが、さすがに大きい方を催した状態で全身麻酔をかけられるのは無謀に感じます。とはいえ、午前 8時50分に病室を出る予定となっているため、時間に余裕はありません。

迷うより時間が惜しいので、急いで手術着とストッキングを脱いでトイレを済ませると、再度シャワーで身体を洗いました。掛けておいたバスタオルで手早く身体を拭き、手術着とストッキングを着用し直すまで20分程度。想定外の便意にバタバタとしたものの、眼鏡とマスクも付けて 8時半には病室を出られる状態になっていました。

私が手術に臨む緊張を感じ始めたのは、この二度目の着替えを終えてベッドに座って看護師さんの迎えを待っている時でした。急に胸がドキドキバクバクし始めて「え?今さらここで緊張が始まるの?」「こんな分かりやすい緊張は何年ぶりだ?」と、いま自分が感じている緊張が新鮮でちょっと感動を覚えました。

午前 8時50分。時間通りに看護師さんが迎えに来たため、手術室まで歩いて向かいました。


骨髄採取手術

前日に病室へ入った時とは逆方向に案内されて、病室のベッドが余裕で入る大きなエレベーターを使って手術室のある階へと移動。

ベッドの向きを変えたりするのに使うのであろう大きなスペースに面した手術室の前室に来ると、看護師さんに促されて前室前のソファーに座ってしばらく待機となりました。そこで、手術室で私の担当に付く看護師さんと合流して、リストバンドに付いているバーコードを読み取り、氏名・生年月日の確認を行いました。

 3人に増えて手術室へ出発。前室から合流した看護師さんから、アレルギーの有無や手足の痺れの有無、全身麻酔をしたことがある血縁者、今朝の体調などを聞かれました。「緊張で手が冷たくなっているぐらいで、体調は特に問題ないと思います」などと返しつつ手術室に到着。

手術室に着くと、何人ものスタッフさんがきびきびと器具の準備をしているところでした。ここでもバーコードの読み取りと氏名・生年月日の確認をされて、手術台の脇に用意されたベッドに案内されました。

そのベッドでは、手術前日に病室へ来て今日の手術で施す麻酔について説明をしてくれた麻酔科医の先生が居て、麻酔の準備をしているところでした。ここで知っているお医者さんが居る安心感は格別で、先生と挨拶をすると、安心を通り越してちょっとテンションが上がりました。

看護師さんにマスクと眼鏡を預けてベッドに仰向けに寝ると、手術着の面ファスナーをバリバリと剥がして心電図や点滴の固定が始まります。「手術着って、便利にできてるなぁ」と感心していると、麻酔科医の先生に麻酔用マスクを付けられて深呼吸をするように言われました。言われるまましばらく深呼吸をしているとフワッとする感覚があり、先生からの浮遊感があったかどうかの確認に答えると、「点滴から眠くなるお薬を入れていきますね」と告げられました。

ぼーっと「麻酔は点滴から入れるのかぁ」と思いつつ、意識を深呼吸に戻して確か 3回目。

次に気付いた時は、先生に肩を叩かれたり名前を呼ばれたりして起こされている場面でした。こうなるのだろうと予想はしていましたが、手術は『寝て起きたら終わって』いました。

医師や移植コーディネーターから受けた事前説明と、日本骨髄バンクのwebページから見られる 骨髄採取マニュアル  を元に、ドナーが麻酔で寝かされて以降の一般的な流れを話します。

私自身がどうだったかは『寝て起きたら終わって』おり、トラブルらしいトラブルは手術台に移動させた時に鼻を押しつぶしたことを心配された程度でしたので、一般的な流れと大差はなかったはずです。

さて、ベッドに仰向けに寝たドナーを麻酔で眠らせると、気管挿管をして口から気管チューブを入れて人工呼吸器とつなぎ、麻酔で自発呼吸を止めてドナーの呼吸を人工呼吸器で管理していきます。これは骨髄採取を部分麻酔でやっていた時代に途中でドナーの呼吸が止まる死亡事故があったためで、以降、全身麻酔で人工呼吸器による呼吸管理に変えたとのこと。

そこからスタッフ総出で、ドナーを手術台へうつ伏せになるよう移動させて、手術着の腰を開けます。

骨髄採取は 2名の医師で左右から行いますが、きちんと腸骨から骨髄液を採れるように相互に確認し合あって針を刺す部位にマーキングをします。2021年に誤って仙骨に針を刺した事例があり、複数名の医師で触診をして採取部位に目印を付けるように変わったとのこと。

マーキングをした採取部位に消毒を行った後、ボールペンの芯くらいの太さがある骨髄穿刺針を刺して腸骨まで穴を通し、骨髄液と一緒に造血幹細胞を吸引していきます。骨髄液の採取が始まると、手術前の 1~  3週間前に用意しておいた自己血の輸血を開始してドナーの貧血を予防します。

ドナーが提供できる骨髄液の量は、ドナーの上限量(ヘモグロビン値にもよりますが、15ml/kg ✕ ドナーの体重kg)と採取上限量(自己血準備量 + 400ml)とでより低い方となります。

しかし、1つの穴から余分な組織を吸うことなく吸引できる骨髄液の量は 5~10ml。従って、腸骨には数十~百カ所の採取穴を開けることになりますが、皮膚に開けた 1つの穴から皮膚をずらしながら腸骨に複数の穴を開けていくため、皮膚にできる穴は 2~ 6カ所となります。

コーディネーターは手の甲で説明していましたが、腰も皮膚と骨がくっついてはいないため、 1つの穴から複数の採取穴を開けられるのだそうです。

私の場合は腰に 4カ所の傷跡ができていました

予定していた量の骨髄を採取し終えると、傷をガーゼで押さえて 2~ 3分以上かけて圧迫止血をします。

血がおおよそ止まったら、腰に大きなガーゼを当てて採取部位を保護するようにサージカルテープで固定。再びスタッフ総出で、ドナーを今度は病室から運んできたベッドに仰向けに寝かせます。

そこから麻酔を抜いていき、気管チューブを抜いて人工呼吸器を外して、ドナーを起こして意識が戻るのを確認します。

腰を覆う大きさでオムツのような厚みのあるガーゼでした

私が分かるのは名前を呼ばれて起こされたこの時点からで、酸素マスクを付けた状態で返事をしました。手術台に移動させた時に鼻をつぶした話はこの時に聞かされて、別に鼻が痛くなっていた訳でもなかったので、心配の声に「大丈夫です」と答えていた気がします。

そうして私の意識確認が終えると、私を寝かせたベッドが「ゴロゴロゴロ」と勢いよく動き出しました。「自分からとった骨髄は見られないんだなぁ。まあ、今日中に患者さんへ届けるには向こうの都合もあるよなぁ」と思っている間に、ベッドは手術室を出てどんどん移動していきます。実際の速度は分かりませんが、ゴロゴロと回るタイヤの音を聞きながらの移動は「結構、速い」と感じていました。

手術前は急に始まった緊張ですっかり忘れていましたが、実は入院前夜もあまり眠れていなかったため、この 2日間の睡眠時間数から考えると手術室に入った時は寝不足状態にあったと思います。しかし、全身麻酔でしっかり寝かされたおかげで、ベッドで移動している間にどんどん覚醒が進み、目も頭も冴えていく一方でした。

病室に戻ってくると、病室の金庫に入れておいたスマホを看護師さんに取り出してもらい、家族に手術が終わったというメールをしました。手術が終わった時間はその際に確認できており、病室でスマホを見た時間は午前11時50分頃。麻酔で寝ていたのは約 3時間だったようです。


手術直後

手術直後の私は、左腕に点滴の針を固定してあって其処には抗生剤のパックと脱水防止用に輸液のパックが下がっており、口には酸素マスクを付けていました。また、身体が汗をかくほど熱くなっていたことから毛布を断ると、看護師さんが大きなバスタオルを持ってきてくれて、さらに氷枕を用意してくれました。

傍から見れば大変な状態に見えたと思いますが、麻酔から起きた頭は寝不足気味だった前日よりもすっきりしており、氷枕の程よい冷たさが心地よく、私の主観的にはむしろ元気な状態でした。

とはいえ、基本的に私は針嫌いなので、元気に任せて無理に起き上がって点滴の針がずれるリスクを負うつもりはなく、大人しくベッドに寝たままでBS放送を見ていました。採取部位が痛くて寝ていられないということもなく、仰向けの状態で自然と自分の体重で採取部位を圧迫し続けることができていたため、このまま寝ていた方が傷の治りは良いだろうとも考えていました。

ただ、暇であることは確かで。BSの番組内容がつまらない日だったら、この退屈な時間こそが一番の苦痛になっていたと思います。

不快といえば不快だったことは、喉の痛み、不定期な体温の上げ下げ、吐き気、就寝前に出てきた両腕の痺れ。

喉の痛みは手術で挿管をした際に幾らか喉が傷付いたせいで、事前にそういうことがあるという説明も聞いていましたし、のど飴が欲しいほど辛いものではありませんでした。喉から痛みやかゆみが消えるまでは 1週間ほどかかっています。

体温の上昇は急に来るものの、熱が上がりっぱなしで解熱剤が必要な状態になる訳ではなく、10分ぐらいしてひと汗かくと熱が下がるところまでがセットになっていたため「また来たか」と思う程度でした。不定期で鬱陶しさはあったものの、この症状は手術の翌日中に治まっていたはずです。

吐き気は、酸素マスクが取れて、看護師さんが付いてトイレまで歩けるか歩行テストをした際に出てきました。それまではずっと横になっていたので、身体を起こしたことをきっかけに自覚したのだと思います。全身麻酔の後で生じることのある症状ですが、その日の夕飯は普通に完食できたため、一時的でそれほど酷くはなりませんでした。

腕は、午後 8時半頃からまず右腕に痺れを感じるようになり、徐々に強くなりながら午後 9頃には左腕にも拡がっていきました。これも全身麻酔の副作用だったようで、看護師さんには「朝になっても続くようなら、また言ってください」と返されただけ。違和感程度でしかない骨髄採取の傷よりも、ジンジンと痛いぐらい痺れる両腕の方がよほど不安を覚えましたが、その痺れも深夜 3時には引いていました。


傷は傷であり、ぶつければ痛い

両腕の痺れが深夜 3時に引いていたのがわかっている理由は、その時間にトイレに起きたからです。

ベッドの横がトイレとシャワーが付いている小部屋になっているので、歩く距離は数メートル。腰を勢いよく動かさないように注意しつつ起き上がり、普段の 6割ぐらいの歩幅でトイレに向かいました。

この頃は便座に座る際も、一旦、腰に手を添えて急に動かさないように意識しながら動いていました。特に痛みはないものの傷が開けば痛いだろうと想像はしていたため、腰の動きは慎重にしていました。

先述したオムツみたいに大きなガーゼを自分で初めて確認したのは、酸素マスクが取れた後の歩行テストでトイレに入った時。この時も腰に注意しようと腰に手を添えていて、「こんなのが有るのか」と、その大きさと厚みにちょっと驚いていました。

トイレまで行って用を足して戻ってくるのは歩行テストでも出来ていたことなので、腰を気遣いつつも、済ませるものを済ませてまた小さい歩幅でベッドへと戻ります。

しかし、最後の最後で油断をしており、いつもより低いベッドとの距離感を誤って10cmほど尻もちをついた瞬間。目の覚める激痛が走りました。

それまでは意識すれば違和感があるという程度で、ちゃんと骨髄を採取できたのか心配になるぐらい痛みらしい痛みを感じていなかったのですが。この尻もちで、間違いなく、それも結構な深さの穴が腰に開いているという実感を得ることとなりました。

あまりの痛みに驚き、「これは、やってしまったかなぁ」と思いつつナースコールを手にした状態でしばらく様子を見ることにしました。激しい痛みでしたが、この瞬間までは痛くなかったため、勢いで押さずいられる冷静さは残っていました。

心臓の鼓動が強く早くなっているのを感じながら横になって 1分経った頃、だんだんと痛みが小さくなっていることに気が付きます。それから 2分、3分と時間が経つにつれて痛みは引いていき、だんだんナースコールを構えているのが大袈裟に感じてきて、結局、ナースコールは鳴らすことなく元の場所に戻しました。

「あんな痛みが引いていくこの身体は何なんだ?」と首をかしげながら、胸の鼓動が治まっていくのを感じていると、採取部位の痛みも意識すれば「痛かった場所」と感じる程度に引いていました。さすがに仰向けに寝るのは怖かったので体勢を横向きにしたものの、朝 5時半まで寝られました。

朝起きた時、病室にある洗面台の鏡がとても大きいということに改めて気が付き、手術着をめくって鏡越しに採取部位がどうなっているのかを初めて自分の目で見ました。病室の様子は採取場所の情報となるため誰かに見せられる訳ではないものの、note で記事を書く時の資料としてスマホで撮影。

腰には手で触った感触の通り大きなガーゼが貼られており、左足側の方で血の跡ができていました。この血の跡は昨晩の検温時に採取部位の確認をした看護師さんから聞いていたもので、深夜の尻もちとは無関係のはずです。

出血があったのは 4カ所の穴の内おそらく1カ所のみ

手術から明けて朝になるまで採取部位を鏡越しに見られることに気付いてなかった訳で、入院してからずっとテンションは平常ではなかったのだろうと思います。


痛くなかった実体験を書く理由

先述した通り、私は自分が手術を受ける前まで、note で体験談を書く時は「痛かった・辛かった体験談」をするのだろうと想像していました。

全身麻酔で行う手術ですから痛かった・辛かったという方が共感もされ易いはずで、自分の「痛くなかった実体験」は完全に当てが外れたものであり、どう話したものか悩ましいものです。

採取担当のお医者さんたちの腕が良かったのか、採取の穴が痛覚のまばらな箇所だったのか、痛み止めがよく効く体質で錠剤での追加摂取が必要なかったのか、私の腸骨の上に乗っている肉が薄いのか。

せめて、この痛くなかった要因を突き止められないかと採取担当のお医者さんにも、先程の予想を加えて「自分は拍子抜けするほど痛くなかったのですが、骨髄採取の痛みはこういうものなのでしょうか?」と聞いてみましたけど、「痛みは個人差があるものなので」という返事。

痛かった・辛かったドナーの方々は実際にそうだったのだと思いますけど、私のように大したことはなかったドナーも当然に居られるはずで。個人差と言われると再現性もなく、体験談を話そうとするとまた難しくなる訳です。

そこで、少し私の体験談を離れて、n=1 ではない話を引っ張ってこようと思います。

採取日から約 3カ月後、ドナーのもとに日本骨髄バンクから「 3カ月アンケート」が送られてきて、適合通知から退院後までの各時期に関して感想や要望を答える機会を持ちます。下図はその結果の一部です。

ドナーのためのハンドブック 2022年10月1日 第8版 p.57より

現在、骨髄提供は一生のうちに 2回まで行うことができますが、「もう一度提供を依頼されたら、どうしますか?」という設問に対して、84.7%のドナーが「提供する」と回答しています。

もちろん「痛かったし辛かったけど次も提供します」という使命感を持って回答したドナーも居られるとは思います。しかし、そうした使命感の人ばかりで80%は超えられないはずで、私のように「 3泊 4日の入院は大変だったけれども、このぐらいの痛みならまた提供しますよ」という温度感のドナーも結構な比率で居られると考える方がしっくりきます。

であれば、共感され易い「痛かった・辛かった体験談」ばかりになってしまうのは、骨髄採取手術の実態に対してバランスが悪いように思われます。

もう一つ話を付け加えると、いま骨髄バンクは、登録者の高齢化という問題を抱えています。登録者数のお陰で、移植希望者の 9割ぐらいは適合者を見つけられる状態となっていますが、この先は分かりません。

そのような状況ですから、骨髄バンクも骨髄採取をするお医者さんも、ドナーの方々には 1回きりと言わす 2回目の提供にも協力してもらいたいと考えているはずで。実際にドナーの負担が少しでも軽くなるよう、ドナーの入院生活が少しでも快適になるように心を配っている訳です。

私の採取手術をしたお医者さんは、採取部位が痛むかどうかだけでなく、入院生活の快適性も気にかけて話をしてくれていました。

また、私が手術した時に下剤も尿道カテーテルも無かったのは、3時間弱の手術になるように工夫・改善を重ねて、それらが無くてもやれる手術チームを作ってきたからでしょう。その成果がきちんと出たからこそ、私の骨髄採取はさほど痛くも辛くもない手術になったのだと思っています。

こうした考えから、書き難いと思いつつも、私は自分の「痛くなかった実体験」を書いておくことにしました。


次回からは時系列で

ということで、序段から長くなりましたが、次回から私が経験した骨髄提供の話を時系列で話していきたいと思います。

何分にも筆が遅いものでペース的には隔週ぐらいになりそうですが、以下のように話をしていければと考えています。

ドナー登録した経緯
初めて届いた適合通知とコーディネートの終了
3回目の適合通知から最終同意面談まで
健康診断と自己血採血
入院から退院まで
退院後のあれこれ

文字数的に前後編に分けたり前に詰めたりするかもしれませんが、話をしていく順番は変わらないため、おおよそ上記のようになる予定です。(了)




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