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今月50歳のうち0~15歳まで

初めての投稿なので、自己紹介。
デザイナーの父と専業主婦の母の間に生まれました。
4つ下に人生波乱万丈な弟がいます。
父と母は、性格が正反対。
幼いころは、両親が喧嘩ばかりしているのを見ていました。
父が陰で母が陽という感じでした。
でも、今でも別れていません。いちよ夫婦です。

そんな両親のもと、小さい頃の私は、人見知りがひどく、社交的な母が友人の家に連れて行っても玄関で靴を脱がず泣いている子だったそうです。
自分でも小学校の低学年までおとなしかったし、周りの人をよく見ている子だったと記憶しています。
父の陰が出ていたのかもしれません。

母がある日、美容院でパーマをかけ当時でいうキャンディキャンディのような髪にして学校へ行かせました。
その日、先生に職員室に呼ばれたのを今でも覚えています。
「その髪、どうしたの?」と怒るわけでもなく、「お母さんと美容院へ行ってやってもらった」と答えました。
その後、先生から何か言われることは、小学校を卒業するまでありませんでした。
そんな陽な母、自分は勉強が大嫌いだったそうですが、教育熱心でした。
父は、土日も仕事のことが多く、唯一会うのが朝だけで、朝食を用意してくれたのも父でした。
学校に入る前から、ノートに算数の問題を書いてくれ、できたらはなまる。
父もある意味、教育熱心だったのかもしれません。
でも、父は専門学校卒、母は高卒です。


父はたまに、土日に会社に連れて行ってくれることもありました。
私も絵を描くことが好きだったので、大きな白い紙とすごい数の色えんぴつに大興奮でした。
社長さんの家にはお子さんがいなかったからか、パフェを作ってくれ、よく出していただいたのも記憶しています。


母は、算数を毎日やる私を見て、まずKUMONに入れました。
それこそ、今ではCMもあったり教室もたくさんでメジャーな習い事ですが、私が始めたころは、近くに教室がなく母が車で送迎する感じでした。
父ではない大人から、はなまるをもらえるのが嬉しかったのか、大好きでした。
大好きになれば、それはそれは、楽しくてどんどん進みました。
そこから、書道、英会話、テニスと習い事が増えていきました。
将来、幼稚園の先生になりたかったので、それには、何が必要?と考え、ピアノを習いたいと志願しました。
母は、習いたいといえば、先生や教室を探してくれました。
英会話も当時では珍しい日本語の全く話せない先生でした。
弟は、いつも英語で怒られ、泣いていましたが、物で釣られて通っていました。
テニスは親がやっていたので、ついでに連れていかれていました。
母は、中学受験をさせようと考えたようで、受験の塾に土曜日学校の後、車中でお昼を食べて塾へ。
小5と小6は1週間すべて習い事で埋まっていました。
それが嫌なことはなく、とても楽しかったです。


塾に行くのは、とても楽しかったのですが、近くの中学校へ行かない子はほとんどおらず、自分も友だちと一緒の中学校へ行きたいと親に泣いて訴えた記憶があります。
結果、近くの公立の中学校へ進みます。
中学の時は、近所の東大に通うお姉さんが家庭教師に週1で来てくれていました。
KUMON、書道、テニスは続けていました。
ピアノは、習い事の中で唯一、楽しくなかった。
音符が読めるようになったことがよかったかな。
高校受験で行きたい公立高校へ成績が足りません。
当時、神奈川県では、中2で受けるアテストという仕組みがあり、その結果がよくなかったのです。
先生から滑り止めを受けないとダメと言われ、母がそれなら私立に入れると言い出しました。
先生が出した私立は3つ。その中の2つは女子高だったので、即決で進学した甲子園常連の某大学付属へ。
好きなことをさせてもらっていたので、ある意味、親の言うことはきく子でした。

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