公立中の息子が公開模試を受けてみた結果、父が偏差値70を目指すことになった話

公立中の息子が模試を受けた

息子は現在公立中の2年生。
成績は上位20位に入っている。
公立中ではあるが区内では成績もベストの学校。

と思って安心していました。。。。

妻の勧めで息子が実力確認のため受けてることになりました。

息子の行きたい高校の偏差値は60-65程度。
まぁ普通に勉強してたらそれぐらい大丈夫でしょうと安心もしておりました。

しかし、結果は、、、、

偏差値50!

普通

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死にたい をツイートする理由 (スクールカーストの始まり 中二の実体験より)

みんなはどうして”死にたい”をネットに書き込むのだろう?
 一つはウラハラの感情で誰かに助けて欲しいから、その言葉を書き込む。
 それは好きな人に「好き」と言えない気持ちに似ている。
もう一つはそうしないと直ぐに死んでしまうからではないだろうか?
ネットがなかった昔、私はノートへ”助けて”や”死にたい”と書き殴った。ノートと言っても、ここの”note"じゃない。ネットが無い時代なので、ふつーの紙で

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学校とか教育とかね。どうなんだろね。②

私自身も学校という場所が合うタイプではなくて、月1発熱とか合宿から帰ると体調不良な人だったから、体調悪くしてまで行くところでは絶対に無いと言える。
しかしまだホリエモンみたく『学校イラネ。』って断言はむずかしい。

先生たちも昔より頭柔らかい方増えているし、本当に子ども達のためを思ってくれてるのは分かるので。
ただ、でもやっぱり何かと遅れている事が多いのは感じてしまう。そこにジレンマも正直感じる。

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死亡フラグ? 中二のゲーム作家が直木賞へ (90年代-中二番外編)

時代ー『Eve the lost one』、『桜庭一樹』、『じゅげむ』、『クソゲー』、『死亡フラグ』
<舞台>スクールカースト形成し初めの、90年代後半

 『死亡フラグ』という言葉が定着したのはいつ頃からだろう? PCゲームでは基本のキだけどPCが家庭に普及していないこの時代で、R18ゲームの仕組みをみんなが知っているとは思えない。目に見えて『フラグ』がわかることからしても、選択枝が減るSony

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駅伝に想うこと。

長男の中学陸上部への入部を機に、その長距離ブロックのお手伝いをさせてもらうようになった。

コーチでもなく、外部指導員でもなく、

「やたら毎日部活にきては長距離のメニューを考えたり一緒に走ったりしている、マラソンを少しかじった陸上部保護者会長」

という表現が一番しっくりくるかもしれない。

そんな部活への関わりも早2年が過ぎた。

前置きが長くなってもアレなので、半ば強引に話を始めさせてもらう

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kemioみよーぜ

はあああまたYouTube見てたらこんな時間になってしまった。
これを読んでいる人がどんな時間に読んでるか知らないが僕はもう夜遅くだ。
この動画アプリのせいで勉強は捗らないし夜は寝れないし朝は起きられない。

全国に同じ悩みを持つ人も多くいるだろう。
私達は小さい頃からSNSがある世界で初めての世代だ。
今日はYouTubeの話でもしようか。

・サンドウィッチマン
これ見てる人かなり多いだろう。

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青春の光と声

この曲を聴きながらお読みください
ちょうど読み終わる長さです

まさか卒業式で泣くなんて思ってもみなかった。
式の間も、卒業証書を手渡されたときも平常心だったのに。
これから校舎を出て、在校生が拍手と笑顔で見送ってくれる中を校門に向かうというところで、全校生徒から恐れおののかれている月影先生のようなおっかない音楽教師に思いがけず励まされたんだ。
それで不意をつかれて、涙が止まらなくなってしまった。

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アントレプレナーシップ教育

丹波市教育委員会のアントレプレナーシップ(起業家)教育プログラムづくりに関わる、教育プログラム策定チームとして関わり始めて1年ちょっと。

いまプログラムを教育委員会の人たちと作っていて感じていることがある。

このまま公立校でアントレプレナーシップ(起業家)プログラムをするにしても、全員を平等に起業家にするなんてことは、よほどのことがない限りまあ無理だということ。

(1)そのための時間がないか

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当たり前のことを、当たり前にやる。

中学2年生になったタイミングで、野球部の顧問が替わった(仮にその顧問をOと呼ぶ)。それまでの顧問の離任による交代だった。

先に言ってしまうと、ぼくたちはOのことが嫌いだった。

弱小だった前任のチームを、県大会の常連へ押し上げた実績を引っさげやってきたO。6月に「本番」である中総体を控える春先、赴任したばかりのOはぼくたちを「自分のチーム」にすべく、急ピッチで練習を指導した。大らかで優しかった前

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夏、Tシャツ、青春のような何か

私は高校を辞めた。

正確に言えば、転校して、そこで卒業した。

A高校からB高校に移った、としよう。
A高校は中高一貫の女子校であった。そして私は吹奏楽部に所属していた。

中学生の頃にいじめを受け、不登校になった私は、高校には温情で入れてもらったものの、高校が大嫌いだった。
中学生の頃よりは行っていたけれど(だから転校が決まった時は割と周りに衝撃が走った)、「良い生徒」とは言い難かった。

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