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縄文ブラン

私事、この十月で結婚して〇周年。祝いとなればケーキだろう。ということで、季節っぽいケーキであるモンブランを作成。しかし致命的に足りない材料を他の物で補いながら、縄モン時代のあれやこれやらを妄想した記録。


栗クリームの材料。

栗  たっぷり
豆乳 カップ1
蜂蜜 大匙1

早速、足りない物。牛乳。
豆乳を使用。

およそ1万7000年前から3200年前?(諸説あり)という一万年以上も続いた縄文時代。
令和五年(2023)の現在は皇紀2683年。
つまり神武天皇が即位してからの日本国の歴史よりも遥かに長く、3倍以上もの歴史がある縄文時代。
しかし、その歴史は明らかになっていません。文字がなかったから?というよりも大きな理由は、戦争がなかったからだと思います。
残念ながら人間の歴史というのは戦争の歴史。教科書に出てくるのは○○戦争とか何々の戦いという事項が圧倒的に多い。
書き記すべき戦いがなかったから、歴史を遺す必要もなかった。


栗を蒸す。

縄文時代の遺物には武器という物がほぼ出て来ません。
狩猟用の鏃とか槍の穂先とかは出土しても、対人殺傷能力がある剣とか斧めいた物が出てくるのは弥生時代から。
殺されたとみられる人骨も少ない。
平和な共生社会を実現していたのだと思われる。
縄文人とは決して原始人でも野蛮人でもなかった。考えようによっては現代人よりも優れた文明を築いていたとも言える。


蒸し上がった栗の一部と豆乳、蜂蜜をミキサーで混ぜる。

群馬県北部や新潟県に縄文時代の遺跡がありますが、床に石を敷いた住居跡。中心には炉が切ってある。そこで火を燃やせば、熱が伝わる床暖房ということ。寒さを凌ぐ知恵があった。石ですから夏はひんやりとして涼しいという訳。
知恵があったというだけではなく、芸術的なセンスも素晴らしい。
そもそも縄文時代という名称も、土器に縄目模様を付けたことからの命名。
土器に模様を付けること自体には、何ら実用的な意味はない。遊び心というか芸術センスということ。
有名な火焔土器ですが、燃え盛る火炎を思わせる造形。こんな手の掛かることをする意味はない。原料は泥ですから、形作るのも大変だし、焼いていたら崩れる恐れもある。こうした物を作れたというのは時間とか余裕も必要。
縄文土器に比べると、後の時代の弥生土器の方が実用一辺倒で面白みない。却って退化?


鍋で煮詰めて完成。

土器と並ぶ縄文時代の遺物、土偶。
土から作られた人形ですが、これもバラエティーに富んでいる。座っている姿や妊婦、人間だけではなく猪等。
有名な物としては遮光器土偶。遮光器とはサングラスのように目を保護する道具。あたかも遮光器を付けているように見えることから、そう呼ばれる土偶ですが、宇宙人の人形ではないかと昔からよく言われます。
最近、こうした土偶は植物を擬人化したもの、いわば精霊ではないかと唱えている人類学者が竹倉史人氏。
遮光器土偶とは里芋の精霊?
言われてみれば、体つきや楕円形の遮光器じみた目は里芋っぽい。
他にもハート形土偶は胡桃の精霊?
確かに胡桃は割ると殻はハート形。


ケーキの材料。

米粉 100グラム
重曹 5グラム
卵  1個
蜂蜜 50グラム
豆乳 大匙2

グルテンフリーなどかた家には小麦粉が存在しないので米粉使用。
砂糖という物質も存在しないので蜂蜜。
ベーキングパウダーもないので重曹。と代用品だらけ。

こうした縄文人の芸術的なセンスは、あの芸術家、岡本太郎氏も魅了。
土器に付けられている縄目の模様ですが、蛇の鱗を表現しているのではないかという指摘もあります。
つまり縄を使って模様を付けたのはあくまでも手段であって、爬虫類の体表を表現したのではないか。
そうだとすると爬虫類型の宇宙人、レプタリアンとかドラコニアン等と関わりがある?遮光器土偶はやはり宇宙人か?妄想が連環する。


材料をすべて混ぜ合わせて、余熱した170°のオーブンで30分焼く。

狩猟や採取が主な生活手段だった縄文人。それだけ日本列島が自然の恵み豊かな地域だったということ。
海でちょっと砂浜を掘れば貝が取れる。山に行けば栗や団栗が拾える。
魚や小動物も貴重なタンパク源。
そうした狩猟採取だけではなく、三内丸山遺跡からは栗を計画的に栽培していたと思われる痕跡。
安定した食料供給があったのでしょう。それ故に争って奪い合う必要もあまりなかった。


皮を剥いた蒸し栗、蜂蜜適量、味醂適量、割ったクチナシの実を煮る。甘露煮を作ってます。

一般的に稲作が始まったのが縄文と弥生の分かれ目と思われていますが、縄文時代末期の遺跡からも水田の跡。
ということは、時代の分水嶺は何処?
平和に共存していた縄文人の社会を変化させたのは、海を越えて来た外来勢力だろうと思います。
豊かな縄文人達の富を奪い、奴隷として使役して収奪を始めた。
戦うことを知らなかった縄文人達は逃げた。一部は自衛のために外来の者達の真似をして戦うことを覚えた。そんな風ではなかったか。


ケーキが焼けた。

黒い。チョコレートケーキ?と思いそうだが、砂糖ではなく蜂蜜を使ったからか?焼き時間が長かった?ふんわりとはいかず、しっかり食感。

外来勢力に圧迫、自衛のために武装という流れ、どこかで見たようなと思ったら、幕末。
一万年以上の縄文時代には及びもつかないが、260年も平和な社会を実現させていた江戸時代も欧米国家が近隣に接近するにつれて、日本人は欧米人の真似をして武器や戦艦を自作、武装していった。


縄文ブラン

米粉ケーキの土台に栗クリームを塗り、甘露煮を乗せて完成。
ケーキというには柔らかさが足りないが、パン程のしっかりさはない。蜂蜜の甘さがあるので一応はケーキとしておくか。
栗にはビタミンCやカリウム、食物繊維が豊富に含まれる。菓子とはいえ、立派な栄養食である。

現代も縄文末期や幕末に似ている。
わかりやすい武力攻撃こそ受けていないものの、経済戦や情報戦で日本は負け続けて、資源や土地を奪われている現状。
戦後78年続いた平和も脅かされている。場所によっては日本人の方が肩身の狭い思いをしている地区もある。このままいけば、我々は又も武器を取って戦わねばならなくなるのだろうか。それも悲しい。

殺し合い、奪い合うのではなく縄文人やネイティブアメリカンのように大地の恵みを共に頂き、平和共存出来る社会を世界中の人々が理解する時代になればいいのにと心から思う。
行き過ぎたテクノロジーは誰も幸せにしない。平和共存していた縄文人達を妄想しながら、縄文ブランをご馳走様でした。

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