せなか

『寂しさの正体』

“寂しさ”かあ。
まあ、人それぞれ自分だけの寂しさレンズを持ってるだろうし、
レンズによっちゃ、なんでもかんでも寂しく見えちまうだろうが……w
そうさな、乱暴にくくっちまっていいなら、
寂しさには二種類あるんじゃねえかな。

1つは、タチの悪い友人みたいなヤツで、
普段なにげなく過ごしてるときにはとんと顔を見せない。
そのくせ――たとえば学校帰りだ。

公園で友達と暗くなるまで遊んでいたとする。
「○○ちゃん、もうお夕飯だから帰るわよー」
「はーい! 今日のごはんは何かなあ?」
「あなたの大好物のカレーよ」
「わーい! みんなじゃあねー! バイバーイ!」
なんて絵に描いたような昭和感丸出しの
買い物帰りの母親とともに、
たくさんいたはずの友達がまた一人また一人と姿を消して
とうとう誰もいなくなる。

薄闇の中、独りぼっちでブランコをキーキーいわせて
乗るともなく乗っていると
――「呼んだ?」
どこから現れたのか、いつのまにかすぐ隣にヤツの顔がある。
(だいたい真っ黒か真っ白の、全身タイツ姿。
顔には『寂しい』ってプリントされてる)

あるいは、入院先の病院の個室なんかも出没率が高い。
家族親戚友人知人が見舞いにきてワイワイガヤガヤ、
あーでもないこーでもないと騒ぎ立て、
病院なんだからもっと静かにしてくれよー!
なんて気を遣いながらも、
ウサギちゃんスタイルにむいてくれたリンゴなんかを頬張って、
「これどこの林檎? くそうまいやん」とか言ってる間に
あっという間に退出の時間になり
「じゃあ、また来るから」「必要なものがあったら言ってね」
とかなんとか、なんの工夫もない言葉とともに
ぞろぞろとみんなが姿を消したあと――
ガラガラっと戸が開いて、おや、忘れ物かな?
なんて思って戸口みやると、
――「呼んだ?」
――「いま呼んだよね?」
なんていいながらヤツが入ってくる。

これはわかりやすいタイプのヤツ。

もう1つは、独りでいることに慣れ過ぎた人間が放つ
“体臭”みたいなもんで
こいつを醸すにはちょいとばかし年輪がいるかもしれない。

若くても老け込むような経験した人間なら
例外もあるだろうが、基本的には長い年月をかけて
身を斬られるような思いをするたびに
じわりじわりと毛穴から入ってくるものだろうなあ。

それが積み重なって、澱のように沈殿して、
やがて「生きることそのものの寂しさ」みたいなものが
渇いた傷の匂いのように
身体から立ち上ってくる。

それはもう、一人だとか、大勢だとかは関係ない
交差点を渡る雑踏の中でも
あるいは満員電車の中でも、
あるいはふいに曲がった路地裏の角でも
気が付くと影みたいにまとわりついていて
人生の相棒みたいな貌をしてそっと寄り添ってやがるんだ。

どんな笑顔の奥にもそれは張り付いていて
口角や表情筋はあきらかに「笑い」を指し示しているはずなのに
そこにはどうしようもなく寂しい光がこびりついてるんだ。
スポンジでこすったぐらいじゃ落ちやしない。
それは淡いが、強く、しぶとく、
だけど、どこか優しい光なんだ。

――おっと、もうこんな時間か。
つい居心地がよくて長居しちまったな。
すまなかったなお嬢ちゃん。
まあ、年よりの世迷言だ、忘れてくれ。

そういって後ろ手に手を振って去っていく男の背中には
月の光のように淡く、しかしどこか凛とした覚悟のある優しい光が射し込んでいるように見えた。

あれが……あの傷だらけの光が、寂しさの正体なのだろうか。

~これは雪人形さんのnoteにしたコメントをまとめたものである~

『寂しい』ってどういう感情か、ちょっと私には分からないなhttps://note.mu/snowdool/n/n2289f066e6d3

かつて種田山頭火は『まっすぐな道でさみしい』と謳った。あれは、そういう海で生きてる人間の、命のほとばしりであったろう。

そして『寂しさレンズ』は『悲しみレンズ』の姉妹である。たぶん。


https://note.mu/azamaro/n/nc3b55f6e8369?magazine_key=m9130d404791a

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水もしたたる真っ白い豆腐がひどく焦った様子で煙草屋の角を曲がっていくのが見えた。醤油か猫にでも追いかけられているのだろう。今日はいい日になりそうだ。 ありがとうございます。貴方のサポートでなけなしの脳が新たな世界を紡いでくれることでしょう。恩に着ます。より刺激的な日々を貴方に。