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『心を見せるということ』

宮本輝の「血の騒ぎを聴け」という著作の中に、
宮尾登美子さんについて言及している個所があるのですが、
昨日ふと思い出しましたので紹介させていただきます。

まず、とある段落で、
宮尾登美子さんのエッセー中に書かれた一文を
宮本輝が抜書きしました。

「自分が傷つかないで
どうして人の心を打つ作品が書けるだろう」

これには本当にはっとしました。
さらに宮本輝は別段でいいつのります。

宮尾さんは、何十、何百もの悲しみや歓びや人生の綾を
結晶化させて我々に見せてくれることができる人なのだと。
だから、宮尾さんにもっと物語を書いてほしい。
彼女はまだ、ほんの一部しかそれを見せていない。
彼女の中で沈殿し、凝縮されているはずの本音を早く見たい。
だがそれが難しいのもわかる。

「宮尾さんはわけのわからない観念や愚痴を、
断じて書いたりはしない。言い換えれば、
うかつに書くことなど出来ない傷を、
たくさん抱え込んでいるということでもある。
傷は深ければ深いほど、そこから発せられるうめき声もまた
重いものだ。うめき声は、物語と化して初めて、
具体的な“心”となる。
私たちは、その“心”がよみたいのである」


以上。
ほんまにそうやと思いました。


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水もしたたる真っ白い豆腐がひどく焦った様子で煙草屋の角を曲がっていくのが見えた。醤油か猫にでも追いかけられているのだろう。今日はいい日になりそうだ。 ありがとうございます。貴方のサポートでなけなしの脳が新たな世界を紡いでくれることでしょう。恩に着ます。より刺激的な日々を貴方に。