「死んでもいい人」なんていないけれど、「生きていなければならない人」もいないはずだ

または「自殺した人間は弱かった」とする価値観への個人的な怒り

大前提として、俺はこの世に「死んでもいい人間」など存在しないし、ましてや人間が他の人間を「死んでもいい存在」と定義することなどあってはならないと思っています。
例え俺が特定の個人に対して強い怨恨や憎悪を抱いていたとしても、それはその人物が「死んでいい理由」にはならないのです。
俺は動画の中で「生きてさえいれば、"今、生きている"という結果に辿り着くまでの過程をどう過ごしたかに優劣はない」と言いました。しかしそれはあくまでつらい思いを抱えながらも生きたいと願う人に向けた言葉です。生に一切の希望を見出せなくなった人にまで生き続けることを強いる権利は俺にはありません。
究極的には、命が尽きる前に自ら死を選ぼうと選ぶまいと生物として死が避けられない以上は生を至上の価値とし固執する必要もないし、ましてや他者に生きることを強いるなど「死んでもいい存在」を定義することと同等におこがましいとも考えている立場です。
だからこそ「死んだら負け」、あるいは「自ら命を絶った人間は弱かったのだ」という主張を受け入れることもできませんし、こういった価値観を発露させることに対して明確に怒りさえ抱いています。

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