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きずとも通信#6 俺たちはなぜ数字を求めるか

「趣味だから」「個人だから」気にしなくていいわけがない

今回は今やネット上で創作発表を行う人間が切っても切れない概念になった「数字」のお話です。そしていつものような綺麗事抜きで俺が今感じていることを率直に書き綴らねばならないテーマの一つであると思っています。
「趣味だから/個人でやっているなら数字を気にする必要などない、それよりも数字の向こう側にある一人一人の繋がりを大切にすべきだ」などとのたまう連中もおりますが、俺はそんな戯言に耳を貸すつもりは毛頭ありません。
数字こそが人間の存在価値を決定づけるものである
という鉄の掟の存在を直視しなければ苦しみを正しく認識することもできないのです。

ナメられないための数字

なぜ数字が必要か。それは「ナメられないため」に他なりません。
繰り返しますが数字は人間の存在価値を決定づけます。
つまり絵描きなら絵描き、VTuberならVTuber、何でもよいですがその分野において碌な数字を稼げていないのであれば他者からは「底辺」と見做されます。そしてナメられる。「見下していい存在」として認知される
「他者の評価」という絶対的な視野の前では「その分野の大御所と駆け出しを比べても意味が……」「人と比べるのではなく過去の自分と比べてどうあるかが重要で……」などといった言い訳や「そんなもんマウント取るやつが悪いんじゃないの?」といった正論何の意味も持ちません
だから我々はより大きな数字を求めるのです。「底辺」でなくなるため、ナメられなくなるために。

求められていないならばこそ

VTuberであればチャンネル登録者数1000人というラインがあります。そして俺はこのラインに達していません。
まったく危機感を抱いてこなかったか、といえばそうではありません。しかし俺なりに試みた改善はほぼ無意味であった(数字の伸びには貢献しなかった)ことも事実です。
先行有利はVTuberに限った話ではないですし、12月~1月にデビューしていなかったという事実は変えようがないとはいえ、
1000人ラインがどうこう以前にメンヘラ系としてもエロ系としてもあまりに認知されていない現状を打開できねば詰みです。

Twitter上で俺に対して「お前にはエンターテイメント性が無い、俺の言う通りに改善しろ(意訳)」といったReplyを投げつけてきた個人VTuberがいました。
要するにVTuberという概念に求められているのは娯楽性であり、娯楽もクソも無いいじめられ経験有り毒母持ちメンヘラなどという地上最低の生物の自分語りではないということなのでしょう。俺はそういう「ネットでは楽しいことだけ見ていたい♪」みてーなことを堂々とのたまえる野郎が大嫌いだ。
正直これを言われた時点で俺はそいつをアドバイス罪でブロックすることも視野に入れましたが今はまだ泳がせておいてやっています。ありがたく思えよ。でも今度なんか言って来たらその時は本当にブロックします。

「界隈」のニーズと合致しないうえ数字も出ない存在は潔く消えるべきだ、
というのは「見る側」としてなら誰もがお思いのことでしょう。匿名掲示板の創作投稿サイト系スレでそういうの山ほど見た。
俺自身数字がすべてであり数字稼ぎ目当てでない単なる馴れ合いなどクソ喰らえだと思っているからこそ、現時点において客観的に「底辺」であったとしても戦える限り戦い続け、やがてはそういう連中の鼻を明かしたい。そうした野望のもとに活動を続けています。
数字は絶対的な指標だが、最後に俺だけが生き残ればその数字さえも意味を成さなくなる。俺の戦いはその未来のためにあるのです。

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