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【開催報告】9回あざみのカフェ「なぜか語られない、臨床の実際―教科書と実践のエッジ―」 後編


こちらは11月26日に開催した第9回あざみのカフェ「なぜか語られない、臨床の実際―教科書と実践のエッジ―」、開催報告の後編になります。
 前編はこちら https://note.com/azamino_analysis/n/ne0c510261ba2 
 中編はこちら https://note.com/azamino_analysis/n/n6e8b86299def

●  全体ディスカッション・総括


 さて、グループディスカッションの共有を終えたところで、全体ディスカッションに入っていきます。今回のカフェでは、いつも以上に参加者の方が発言してくださいました。

まず最初に発言してくださったのが、異業種から心理職として開業された方でした!(ありがとうございました!)

参加者①:私は異業種から参入してきました。最初は心理の人たちの決まりがあまりにも厳しいなって、それで私には臨床心理士は無理だな~って思ってたんですけど。異業種での仕事の中で自分でも色々な失敗をして、それで「ああ、この決まりにこんな意味があったんだ」っていうのが分かりました。私の場合は、失敗して、経験して学んで、決まりの意味が分かったっていう順序だったのがすごく大事だなって思ってます。

 とのことでした。これに対して、心理職が「教科書的対応」や「お作法」を、ルールとしてだけ認識していて、実際に体験しないまま思い込んでしまっていないか? ということが議論になりました。
エッジや失敗は大事な経験であり、だからこそ、シェアすべきではないか? 特に学生、初学者には失敗も含めて色々な経験をして欲しい! という意見が挙がりました。

 これに対して、さらに別の参加者の方からも、コメントをいただきました(ありがとうございました!!)

参加者②:クライエントに取り返しのつかない傷を負わせないために、考えたうえでやる、というのが不可欠だと思います。だからこそ、エッジの幅と線引きを考えることが大事になりますよね。

 これに対して、恐怖心、失敗を共有できる場がいかに貴重かということや、敷居が低く相談できる場があるといい、ということが話題になりました。スタッフからは「坂道を転げ落ちるって言いますけど、最初の一歩の後って、本当に加速度的に状況が悪化していく。だからこそ、最初のところで食いとめられるようにしておきたい」というコメントも出ました。

●  まとめ


 最後に司会から、今回のまとめをしました。
司会:私たちの仕事は坂道を転がるものなのではないか? 自分たちが相手にしているのはそういう人たち、エッジに触れずに会うことができない人たちで、まったく逸脱しないで、教科書通りだけで会うのは無理でしょう。だからこそ、その坂道の途中で踏みとどまるとか、その頻度や向きを変えるというのが大事。その経験を共有していく必要があるし、エッジを踏んだことをセラピスト個人のせいにして、「あの人はダメな人だ」とされてしまうのは、あまりにも報われなさすぎるな、と思いました。
今回議論してみて、お互いが知らない領域のことを知り合うのが本当に大事だなと思いました。ある視点からは取り返しがつかない、と思っていたことも、他の領域、他の視点では違って見えることもあるなぁと。

 ここで、サブ司会からもコメントが挙がります。
サブ司会:特に初期教育の課題は大きいですよね。教えている人が現場を知らなさすぎるし、そこはアップデートをしていきたいですね。カフェは今回で9回目ですけど、今回、カフェでしたかったのはこういうことだなぁ…と。鉱脈を発見したな、と思ってます。

 というわけで、当日ご参加いただいた皆様、ここまでお読みくださった皆様、本当にありがとうございました!!
 参加者の方から色々な発言をしてもらえたことが、スタッフとしてはとても嬉しく、ありがたかったです。

これで今回のカフェは終わり………なのですが、ただでは終わらないのがあざみのカフェ。
 イベントが終わった後もなんだか話し足りなくて、むしろ誰かと話したくなったり、盛り上がりたくなったりしていつまでも帰らなかったりしますよね。あの時間を再現した15分間のラウンジタイムがあるんです!
 ラウンジタイムにも、いつも以上にたくさんの参加者の方が残ってくださいました~!!

●  ラウンジタイム


 ラウンジタイムでは、SNSをどうするかが話題に。それ自体でカフェができちゃうテーマだよね~と話していると、参加者の方から、早速発言が!!

参加者③:私が働いている職場では、心理以外の職員はFacebookをしていて、クライエントとは退所後も繋がっているんです。そういうなかで、じゃあ自分はどうするのか? はすごく考えますね。実際、友達申請がくることもありますし、支援が必要なのかもしれないとも思えば、個人としての繋がりが求められているのかな…とも思います。

これに対して、人と繋がれなかった子も多いなかでどうするかは本当に大事なところ、というコメントが出ました。また、こうした事態に対して、昔なら"困ったことになった"と感じたかもしれないが、今は現実にコミュニティで自分とその子が繋がっている、というところに意識が向くだろう、という発言もありました。そういう風に、エッジの体験の仕方も時間や体験によって変わるし、普遍のものではないだろう、とのことでした。
 また、参加者③さんからはさらに、初期設定の枠を知っていたら失敗しないか、といったらそんなことはないし、何がエッジになるかは自分自身の限界設定の幅にも依る、だからこそ、考えるプロセス自体を考えること、そのトレーニングプロセス自体が大切だ、という意見が寄せられました! さらに、ブレークアウトルームでは「エッジについては、学会の自主シンポでやるべきでは」という話題も出ていたことを取り上げていただきました。

 さらに参加者の方からの発言が続きます。

参加者④:こちらの葛藤を、どのぐらいクライエントと共有できているか? が大事だと思っています。自分が何をどう心配し、悩んでいるかを伝えるのは、自己開示かもしれないのですが。ただ、悩んでいることを悟られてはいけない、スムーズにスマートにやるのが心理職、みたいなイメージもあるんですが。でもやっぱり対人間というか、泥臭いところが大事だなぁと思います。

これに対してスタッフからは「エッジはスマートさを打ち破ろうとするときに生まれる。もがいて、形を変えようとする動きでもあるかもしれないですね」というレスポンスがありました。また、エッジに身を置かないと展開しない瞬間があり、実際に何をどうするのかより、ここがエッジだとクライエントと共有すること、こちらも迷うし苦しい、してあげたいけどできない…という葛藤のなかで、“人間”が登場する、というのがエッジの臨床では一番大事だ、というコメントもありました。

 さらに、別の参加者からも、「若輩の身なんですが…」とコメントをいただきました! ありがとうございました! そんなことありません、みんな若輩者です!!(?)

参加者⑤:やっぱり、現場に出てみると全然違うなって思うことも多くて。現場でやっていることをスーパーヴァイザーに言うのは怖いですね。特に学会なんかで言ったら、袋叩きにされるんじゃ? って不安もあって話しにくいんですけど。今回みたいに話し合って、塊になってやれるといいなって思いました。

コメントありがとうございました! スタッフとしても、今回企画した冥利に尽きるコメントでした。

 スタッフとしては、最終的には学会水準に議論を引き上げたいと思っているし、そのためにまずはこういう場で共有していくことが大事だろう、と考えています。今年の心理臨床学会の自主シンポで取り上げたフロントライン

と、今回のエッジは表裏一体であることも、その場でお話しました。
 また、倫理についても最後に話題に上りました。倫理的な問題が起きるのは「考えない人たち」がいるからで、今回のような議論エッジを考えよう、という話の片側では、「これはダメなんだ」と言っていかないといけないという事情もあり、そういう人たちを抑止するために入り口を厳しくせざると得ないという、初期教育の課題もあることが指摘されました。だからこそ、倫理とエッジの研修は両輪になるのだろう、というコメントもありました。
参加者③さんからは「エッジを考えていくと、それが倫理になっていく。また逆の方向で、エッジに気づいたり考えたりするきっかけや軸になってくれるのが倫理」と、的確なまとめをしていただきました。

 さて、想定以上に長い開催報告になってしまいました。長時間お付き合いいただいた皆様、本報告を読んでくださった皆様、本当に本当にありがとうございました!
 9回目にしてエッジという鉱脈に辿り着いたあざみのカフェ。第10回もお楽しみに~~!

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