千年の祈り/イーユン・リー【感想】

読んだ。よかった。『不滅』が大学の創作講義で講師に褒められ、賞をとってデビューということらしい。『不滅』はわたしはあまり好きではない。赤い中国の描写が色濃い。宦官の祖先とその子孫の物語。確かにアメリカに移住した人たちは自らのルーツを忘れていることも多いかもしれない。町に残る説話や逸話と言うのも多くないだろう。アジア的な感性、と言えるのかもしれない。名前を出してはいけないあの人、というのが現実に存在していてもちろん私はその名を知っている。というのがなんだかフィクションのようでおかしい。リーが十七歳の頃に起こった天安門事件に関する描写が度々出てくる。人々は語らず、沈黙し、壁に耳がある、罪は金であがなえる。

『黄昏』これはすばらしくよかった。一人っ子政策、隠された障碍者の姉。姉をかくまう夫婦の小さな住まい。裕福な知人夫妻。二つの夫婦と障害をもって生まれた貝貝。三人の人生が絡まり、いままさにほどけようとしている瞬間までなり続いている電話。

『市場の愛』これもなかなか。大学教師の娘と市場で煮卵を売る母。リーの作品にはしばしば二人の女性と男性の愛が渡米によって引き裂かれ視点者の願望とは違った形で結ばれるかたちが出てくる。リーは渡米により恋人を失ったようだ。そのことが影響しているのだろう、とぼんやり思った。グリーンカードを得るために一番手っ取り早いのは現地で結婚してしまうことだから。『息子』もゲイの息子がアメリカから母親のために帰国し、ありとあらゆる母の無知や横暴を許している、という気持ちでいたところ、最後には実は許されていたのは自らの存在だったことを知る。『ネブラスカの姫君』は市場の愛と息子をあわせたような形のプロットで、物語に母親たちの姿はない。作中の彼らが今まさに母親になろうとするところで物語は幕を閉じる。


『縁』合略的結婚と実らぬ恋の話。なるほど、リーの書きたいことが少し見えてくるような気がする。何年か前に『独りでいるより優しくて』を読んだ。そのときは物語の視点のどこに作者が隠れているのかわからなかった。やっと理解した。すべてにだ。

『死を正しく語るには』素晴らしい。リーの子ども時代の思い出がふんだんに引き出された美しい短編だと感じた。エッセイかと勘違いしそうになるくらい、物語に出てくる少女はリーに似ている。構成が、時間のコントロールがあまりにたくみなので、小説と受け取って良いのだろう、と考える。慟哭に近い泣き声をあげてしまった。人生について書かれた素晴らしい短編だと感じる。生と死、正と負、正解と間違い、富めるものと貧しいもの。すべてが〇距離で混然と交わっている。それは、かつて幼いころにリーが見た中国の姿そのものなのだろう。人生はただつづいてゆく。生者は語る口を休めない。死者だけが完全な沈黙に身を置き、眠り続けることができる。

『千年の祈り』ようやく舞台がアメリカに移る。移住した娘の元に現れた年老いた父親。ああそうか、リーは徐々に自らの人生を物語に引き受けさせるようになってゆく。『ジニのパズル』の文化的バックグラウンド『コンビニ人間』の世界を自らに問い直す視点。その両方が合わさったような稀有な作家だと思う。




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