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秋の中馬街道を歩く

中馬街道ちゅうまかいどう(信州飯田街道)は、江戸時代中期以降に名古屋と信州・東濃を結んだ街道である。
中馬とは馬運の中継地のことを言い、馬の背に積んだ物資の輸送が盛んに行われていた。信州や美濃からは農産物や林産物、名古屋や海部からは、塩、茶、海産物など、瀬戸・美濃の陶磁器も運ばれた。農民の農閑期の副業でもあったという。
愛知県瀬戸市の品野地区では古くからの街道の景観が残されており、令和元年に文化庁から「歴史の道100選」に選定されている。
令和4年11月、「郷土の歴史と文化を広める会」による中馬街道を歩く会が催された。今回は岐阜県と県境の雨沢峠から白岩八王子神社まで約2.5㎞の半日コース。
 

入り口マップ

国道363号線を、「品野交番前」交差点から東へ車で向かう。少しずつ高度が上がり、九十九折の急坂を上ると、岐阜県土岐市のハナノキ街道へつながる。この車道は、明治に入ってから馬車が通れるようにと造られた。今日歩く中馬街道は、その北側の山の中の道である。

土岐市の陶板

県境の土岐市側にはポケットパーキングがあり、陶板の「中馬街道」看板が立てられている。瀬戸市側、右手のガードレールを入ると、中馬街道のマップがある。マップ正面の階段を上っていく。今日の参加者は20名程度。本来の開催日が雨で延期になったため少なくなったらしい。
階段や道は、「郷土の歴史と文化を広める会」などで整備しているそうだ。磁器の道標も作成し、要所に設置してある。瀬戸らしい、白地に藍色の染付。他にも自転車でこの山道を走る人たちが、道の手入れをしているという。

街道と言うには細い山路で、馬を引いて歩く人は心細い思いだったのではと偲ばれる。それとも、往来の多い道だったろうか。途中にお茶屋などもあったという。石組みの段の跡や倒れた石碑なども残されているが、詳細はわかっていないそうだ。歴史ミステリーに心惹かれる。国道の車の音がだんだん遠くなり、車道から離れたのを感じる。林の上を風が鳴り、しきりに落ち葉が降る。

突然、「現代」が出現した。メガソーラー開発地域である。山が大規模に切り開かれ、ショベルカーなどの作業車が小さく見えるほどの広さだ。現場の間の尾根を進んでいく。どれだけの樹が伐採されたのだろうか。裸地に巨大な太陽光発電パネルを並べていくらしい。「電気もいるけど、こんなに自然を壊さなくても…」との参加者のひとりの呟きに同意する。363号線の九十九折の途中から、トラックが入っていくアプローチ道は見ていたが、内部がここまで大きいとは想像もできなかった。マップで確認するとその広大さがあらためて確認できた。
 

工事現場のものものしさを後に、再び江戸時代の静かな道に戻る。鳥の声が聞こえる。落ち葉を踏んで歩く楽しさ。タカノツメの落ち葉のキャラメルのような香ばしい匂いがする。道はやがて東海自然歩道と合流する。この先、馬が滑るような急坂があり、歌に残されているという。その「中馬馬子唄」は、岐阜県土岐市柿野町で今も歌い継がれているそうだ。

今回はここで白岩八王子神社へと出て、本日の行程は終わり。神社はいつもは無人だが、この日は人がいて祝詞をあげる声が聞こえた。境内には、瀬戸の名木に選ばれているモミの巨木がある。国道と通じる石段は長く急で、途中には、馬頭観音5体と役小角の祠がある。馬頭観音は、馬の健康や馬との旅の安全を願ったり、馬の供養のために祀られる。中馬街道から移設したものらしい。 

馬頭観音

中馬街道はこの先も続くが、車道と一体になったり、廃道で通れない箇所もあるという。そのため「歴史の道100選」に選定されている箇所は部分的なのだが、だいたいの昔ながらのルートはたどることができ、名古屋の大曾根まで行き着くそうだ。品野地区の街道周辺にはいくつもの神社や寺、馬頭観音、庚申堂、常夜灯など歴史を語るものが多数ある。城跡も複数あるし、遺跡もある、探求しがいのある魅力的な地域だと思う。

倒れた石碑

(上杉あずき@STEP)


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