見出し画像

眼下の敵

オレはしばしばオノレが天才なんじゃないかと思う時があってそれはたとえば、こうやってカレーとナンを頼む。ナンはもちろんカレーにひたして食べるのだが、その配分を誤ったためしがない。ナンを食い終わると同時にカレーも無くなる。余分も、不足もなく。

他には牛丼。

切り分けられた固形の載ったカツ丼などは下部に配された白米をカツの切れ目に箸を沿わせて取り上げることで極めて容易にカツ1に対する白米の配分が決定される。もちろんドンブリは半球状であるために端のカツと中央のカツでは下部の白米の体積が変わるのでありこれとて容易ではないのだが、それでも牛丼やカレーナンに較べればたやすいものだ。端のカツに対しては箸をわずかに丼中央部に傾け多めに白米を掬うなどのコントロールで過不足のないマネジメントができる。

だが牛丼は違う。

甘く見れば大怪我をする危険な食べ物だ。肉片はサイズが一様ではなくさらに玉ねぎ、紅ショウガなどがそこに絡む。この脇役がまた厄介で本命の肉片にどの割合でそれらを加えるか、さらにそうして適切に配分した具にどれほどの白米を合わせるか。残った肉片は果たして白米をカバーするに足る量を残しているのかいやいやこれは見た感じ米を覆っているかに思えるが実はそこにある巨大な玉ねぎに幻惑された視覚のトリックなのではなどと複数の仮説を一瞬にして立て、判断し、食う。その決定を誤れば、最後には汁まみれの白米だけを食う惨劇が待っているのだ。カレーナンもまた然り。誤ったマネジメントは真っ白な味の無いナンを手元に残す。

メシを食うのも頭脳戦だ。そしてこれだけの判断を一度も誤たずに遂行する手際は天が与えた才能つまり天才だと思うのだが、もう少しほかに使いどころがなかったものか悔やまれるのでもあります。