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その人と、わたしと。

その町で一番高い山、というより丘と呼んだほうがよいかもしれない場所に上がりきったときに一望した街並みは箱庭みたいに小さくて、儚げな風情だった。

町を割る水道を、小さなフェリーが一生懸命に潮に逆らって「よいしょ」というかのように横切る。そのすぐ脇には、マッチ箱のような家並みのあいだを縫って、黄色い小さな電車がごとごと走り抜ける。人の姿が見えないぶん、船や電車が生きているように感じる。

うす寒い冬の夕暮れ時の海沿いの町はそれだけでじゅうぶん寂しい光景だが、それを上から眺めると不思議にもっと物悲しい風景になる。ほんの一瞬目を瞬いたら、もうそこには何もないかもしれないと思うほどに頼りない、町の姿がそこにはあった。

「こんな小さな町で暮らしたら、いまとは全然違う人生になっていたのだろうか」

そうかもしれない。でもきっとそうじゃない。小さな町への都会人のノスタルジーは結局その人のものだけでそこに暮らす人たちのリアルとは全くかけ離れている。どこに暮らそうが生きる激しさは本当は変わらない。でもそういう理屈とは別に、わたしの気持ちはこの街に暮らす自分がきっと今とは違う人間であることを望んでいて、たとえ幻想だとしても私にはどうしても否定できないリアルさをもって胸に迫る。この町で小さな店を開いて、あのフェリーや黄色い小さな電車に乗ってどこかへ行ったり、子供を連れて岸辺に行って船を眺めたり、町の人々と小さな噂話を何度も繰り返したり。そうやって何十年も暮らしてきた「この町の自分」が見える。そして彼は私のことなんか知らないのだ。私は彼にとって都会で生きていたかもしれない私というまぼろしだ。

だからこそこの町は私にとって儚いのか。岡の上に立つ私はもう一人のこの町に生きる自分を見つめている。その自分が毎日精一杯暮らすさまを別人として眺めている。そんな自分が、いたかもしれない世界を夢見て町の姿に重ね合わせているから、二重ガラスの底に浮かぶ街はおぼろげで、消えそうな温かみをたたえる。(尾道にて)