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「鬼灯(ほおずき)の実がおちるまで」

  2022年06月作品。チョットだけ……見え隠れするそれぞれの都合。腹の探り合い。ボタンの掛け違い。大人の恋愛の"いろいろ"をエゴンシーレ作鬼灯のある自画像を触媒に紡いだショートショート。鬼灯市の季節に寄せて~
そのうちもう少し磨いてみたい。
筆名 飛鳥世一

                     ※                   

「たっちゃん… この画家さん、どうして自画像ばかり百枚も二百枚も描いたのかしら… どんだけ自分のことが好きだったのよ」
 玲子は、そう云うと半ば呆れたと云わんばかりの笑いを達也にむけた。

 オーストリア・ウイーン、旧市街を取り巻く環状道路。リングの一本外側にあるレオポルド美術館に二人の姿はあった。 
 年の初めの元日。ウィーンフィルによるニューイヤーコンサートでも知られるウイーン学友協会ホールからであれば歩いて十分ほど、北西に位置した美術館であり、周辺はさながらアートコンプレックスの様相を見せるいっ画、様々なジャンルの美術館が集まっている。
 陽の沈むこと無き国・神聖ローマ帝国の都ウイーン。
 高く青い空にひと際映えるテレジアンイエローに染め抜かれた宮殿の荘厳さは、観る者に深い感慨を与え否応なく往時を偲ばせる。
 街なかではそこかしこに設けられた公園が、エントランスを無料で開放し、色とりどりのバラたちが甘酸っぱい香りを漂わせ見る者を誘う。
 音楽と哲学・文学。絵画と伝統工芸という文化が独自の発展をみた街であり、今日の芸術文化の国際的ベーシックを築いた街としての評価も不動だ。 
 一方で、無類の酒飲みが多い街という一面も見せる。
 ワインとそれを供する居酒屋(ホイリゲ)の存在も知られたところであり、夕方ともなると老若男女問わずにこのホイリゲの席を埋めるのが日常だ。
 穏やかなドナウの流れにナトリウム灯がオレンジ色の明かりを落とす。夜の帳が落ちはじめたころ。街中は一斉にオレンジに染まる。旧市街のように景観保存条例が機能した街なかでは、建物に使われる色が限定的であるが故、街全体がナトリウム灯の色に染まる。その様子はさながら中世返りを想わせる。
 夜のドナウは音もなく静かに流れ。
 観光遊覧船なのだろう。ブッフェディナー付きのホイリゲクルーズなども観光客に人気を博しているようだ。そんな街に日本からの旅行者・画家 益子達也(四十四歳)と絵画ギャラリーオーナーの宗川玲子(三十七歳)が訪れていた。

「まぁ、随分病んでいたという話は残っているよね」達也は言葉をつづけた。
「今の時代なら、アルファベットの三文字、四文字で顕すことが出来るような病質は抱えていたらしいからね。よく云われることだけど、黒胆汁気質が勝ちすぎた画家だろな。まぁ、どんな芸術家でも少なからずの異物は抱えているからね… そうそう、ところがさ、なんか無茶苦茶女性にもてたらしいよ」
 達也は、シーレによる自画像【ほおずきのある自画像】を眺めながら玲子の問いに応えた。
「あっ、モテたの? へぇーモテたんだぁ… 、自画像ばかり百枚って、チョットなんかキザでナルシストかと思ったけど、この自画像観てるとチョット違う感じもするのよね…… なんか影って云うか、コントロールできない自分を持て余しているようで…… なんか鬼気迫るっていうか… 」
 玲子は持ち前のギャラリーオーナーとしての推眼を披露してみせた。
「ちなみに、たっちゃんは、何枚ぐらい描いたの? 自画像」
「吾輩かぁ… そう云えば、吾輩は自画像は描いていないなぁ、あれっ、云ってなかったっけ」
「知らなぁい… 初めて聞いたわ… 」
 達也はわざとらしく後ろに反り返りながら「吾輩」と自分を呼んでみせた。正確に云うのであれば、描かないと決めている… が正しかった。
 理由を問われるのが煩わしい… なんとか遣り過したい気持ちが働く。 

【エゴン・シーレ】オーストリアが生んだ近代画の巨匠として知られ、その才能を高く評価したクリムトの庇護のもと作画に没頭。象徴派、分離派、表現主義の画家として知られた存在であり、多くの作品を遺したが、千九百十八年、二十八歳という若さで鬼匣(きばこ)に納まりをみた。レオポルド美術館は、世界屈指のシーレコレクション美術館として近代美術愛好家に知られる。

「そうなんだぁ… 欲しいなぁ… 益子達也先生の自画像… 多分シーレは自分で描いた自画像あげたと思うのよ。愛する女性(ひと)に…」
「…… いやいや待て待て、玲子ちゃん、君には絶対にあげられないよ」
 達也はシリアスにならぬよう、お道化た調子で玲子に告げた。
「エーっ、なんでよぉ… 酷いじゃないのよ、それっ」
「だって、売っちゃうだろ? ギャラリーに来たお客さんにさ。自画像描いて、君にプレゼントして、それを売られちゃ吾輩はタダ働きだろ」
「売らない売らない。絶対に売らないから、自分の部屋に飾るから、お願い一枚描いてよ。私の・た・め・に… 」
【それが嫌なんだよ。ずっと見られているようで、監視されているようで… これは情を交わしたパートナーに限ったことでは無く、自画像が他人の元にあるということが気色が良くないんだよ】達也はそう自問していた。

「…… ところで、柳絮の才高しと、高名な先生たちの覚え目出度き玲子先生に訊きたいんだけどさ」
「なによ急に。また話をはぐらかす気でしょう。描いてね。描いて頂戴」
 玲子は画に向き合ったまま口を尖らせていた。
「この画、鬼灯(ほおずき)が描き込まれているけどさ、なにか意味があると思うんだよね… 例えばアナグラムとか、アトリビュートみたいな。ちなみに、花言葉わかるかなぁ」
「そう! そうなのよ、私もそれを考えていたのよ、だって鬼灯ってさ、日本ではお盆のお花、供花っていうイメージが定着してるじゃない、だから… 」
「ちょっと待って玲子ちゃん。君は今、日本って云ったよね… 、云ったわよって… そう開き直られちゃ困るけどさ… 、鬼灯を、お盆の供花にするのは七月盆の関東地方が主立っていて、八月盆の関西地方では、鬼灯は殆ど使わないんだよ。だから、七月九日、十日の浅草寺ほおずき市や愛宕神社のほおずき市みたいなものは関東だけだし、関西にはないんだ」
「えっ、関西ってほおずき市… ないの? 関東だけ? なのになんで、ウイーンで鬼灯なわけ? ウイーンにお盆ある?(笑) 」
「飛ばし過ぎ、玲子ちゃん(笑) だから花言葉を訊いたんじゃないの」
「なるほどね、チョット待ってね調べてみるから」玲子はそういうとスマホを取り出し検索をはじめた。

【どれほどこの画の前にいるだろう。他にも観るべき画はあったものの足が進まず、『ほおずきのある自画像』の前から動けないままだ。そもそも日本人は鬼灯を日本のものだと思ってはいないだろうか。欧米アフリカアジアと広く分布しその種類は百を超える。お盆の供花はもとより、風鈴とセットで夏の風物詩として、赤や緑の鬼灯の蕚(がく)を捲り上げ、擬人化した鬼灯人形を作ったりと、世界中で俗文化風習との馴染みは深い】 

「あらっ… たっちゃん、そう云えば、ほおずき市、もう来月じゃない… 早いわねぇ… にしても、ほおずき市が関東だけなんて… はいはい、花言葉よね花言葉。 あのねいくわよ、嘘、偽り、欺瞞… なんかチョット重いわねぇ… それとぉ… 不思議… 私を誘ってください…… そして… 心の平安… って、なんなのこれ? 私はやっぱり百八本のバラだわ… 」
「アハハ…… シーっ! ごめんごめん、美術館だった。いや、でもその花言葉、何だろう笑えるよね傑作じゃない? 」
「なんか、支離滅裂って感じなんだけど、多分、日本とオーストリアで花言葉が違うのよ… 」
「いや、殆ど同じなんだよ。というか、花言葉がヨーロッパから日本に伝わってきたのは明治に入ってからだからね。日本では、文人芸術家の与謝野晶子が纏めたということらしいけどさ。だから殆ど同じと思っていいんだよ」「でも意外よね、死に関する言葉は見当たらないもの… 」
「うん。そうなんだけどさ… その花言葉を口にしながら、この自画像を観てごらんよ… 」達也がそう告げると玲子はシーレの自画像に向き直り花言葉を唱え始めた。
「嘘… 偽り… 欺瞞… 不思議… 私を誘ってください… 心の平安…… お盆…」玲子は三度ほどその呪文を唱えた。
「あぁ… なんか夜に鏡が見られなくなりそう」
「それは違う呪文だろ(笑)  で、どう? なんか感じた? 」
「うん… 分かったと思うわ、多分。ただ… 主体が自画像なのか鬼灯なのかという疑問が大きくなるわよね… きっと。でも、シーレのあの上からの目線… 分かるかな君たちに… そう言っているように感じられたのは花言葉を調べたお蔭かも… 」
 玲子はそう告げると、もう一度画に向き合い花言葉の呪文を唱え始めた。 

 あごを左横に突き出し、左斜め上から見下ろしたシーレの自画像の横には、枯れた葉を数枚だけ枝に伴わせ、真っ赤な鬼灯が三個、枝の下を埋めている。どの鬼灯も口を割ってはいない。シーレの自画像も口を閉じている。時に擬人化のアナグラムやアトリビュートとして用いられる鬼灯。玲子と達也は暫くその画に対峙した。

 レオポルド美術館をあとに外へ出るというと、十八時だというのに陽は西に傾いたばかりのように見えた。
 濃い藍に、橙を暈かし広げたようなウイーンの空には鋭利に研ぎあげられた三日月が白く馴染みを見せていた。

「随分細い三日月ね… あんなに細い三日月を観た記憶がないわ」
「エンジェルカウチ… 」
「あぁ~なるほどね。なんでもエンジェルつければいいと思っているでしょう(笑) 」
「…… グルグルしてやるよ」
「えっ?… 」
 二人はいつの間にか学友協会ホール前の広場まで歩いていた。
「だから、グルグルしてやるよ」
「やぁーよ、こんな所で… していらない。恥ずかしいじゃないの」
 達也は玲子の言葉が終わるのを待たず、手を引き寄せると、左手を腰に回し、右腕を脇の下から背中にむけて差し入れ、グッと頭上に抱え上げ、ゆっくり回り始めた。最初こそ玲子はケラケラと嗤いながら「わかったからもういいから」と抗いを見せていたものの、慣れて来たのか目を閉じると達也の手に体を預けていた。

「たっちゃん… エンジェルカウチが廻ってる… 」
「吾輩は目が廻ってきたよ… 」
「ダメ… もうちょっとだけ…… ねえ… 東京に帰ったら自画像描いてね、私に。鬼灯の実がおちるまで…… に 」
【鬼灯の実って落ちるのか… 確か… 枯れて網目模様になった鬼灯を網ほおずきとか、透かしほおずきとか云ったはずだけど。それでも鬼灯の赤い実は落ちずについていたはずだけどなぁ… 玲子はそれを知っているのだろうか、いやこれだけでは済まないだろう… 自画像は始まりで侵攻の狼煙か、次は多分… マンション買ってか】

「たっちゃん… 鬼灯の実って食べたことある? そう… 子供のころに私もあるけど… 赤ちゃんできたら食べさせちゃダメよ。流産しちゃうから… 」
 玲子は達也の腕に身を任せながら頭を後ろに仰け反らせると、白く薄っすらと汗を滲ませたデコルテを露にそこまでを言葉にした。
 達也は危なく転がりそうになるのを堪えると、徐々に回るスピードを落とし、やっとのおもいで止まった。
 止まると、ウイーン学友協会ホールの広場の真ん中、大の字にひっくり返り、深い呼吸を繰り返しながら藍が深くなり始めたウイーンの空を見上げた。
 空にはシーレの「ほおずきのある自画像」がぽっかりと浮かんでいるように感じられた。達也は自分でも意識せぬままに呪文を唱える。

「嘘、偽り、欺瞞… 不思議… 私を誘ってください… 心の平安… お盆… お盆… ?」
 シーレの見下ろす目は、まるで達也を見透かしているようにすら感じられた。
 ふいに視界が暗く遮られる
「ねぇ… 起きて… こんな所で寝てちゃ… 何? 何喋ってるのよ? 」
 覆いかぶさるように、玲子は達也の顔に自分の顔を近づけると唇を重ねた。達也は玲子の顔を両手で挟むと、深い口づけを与えた。

【鬼灯の実が落ちるまでにって… 】
 達也の頭の中、網目だけになった鬼灯に、しがみ付いた赤い実がその輪郭を次第に擬人化しつつあった。

                           了

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