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随想好日 第二話『鱗粉・Side B へ』

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11月30日24:50
 父母を 偲びて迎えた 還暦は 過ぎし去夜見(こよみ)に 初雪思ふ
                             世一
 還暦を迎えた深夜。なき父母に還暦を報告するが子供時分に両親と見た夜の初雪の思い出にまさるものなしと詠んだ一句
 尚、本稿は既存原稿の修正である。
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昭和の時代。鹿児島県は奄美に終(つい)の棲家(すみか)をもとめ、その地で作画に没頭した画家がいた。日本のゴーギャンとも呼ばれたその画家は、名を田中一村と名乗った。(どの道いつかその作品をモチーフとした小説を書くことになるだろうが、今はまだその時ではないと理解している)
 一村には喜美子という姉がいた。一村の才能が充実期を迎える上で喜美子の庇護であり支援を置き去りにすることは出来ないことは"南の琳派への奇跡"における関係者の言葉からも覗える。売れない頃には姉がその画を買い、画商や画廊、支援者やタニマチもどきに画を売る営業役も担っていたようだ。
 一村は、私の画が評価されるのは死後100年後だろうという言葉を残し、「この画はたとえ100万積まれても売れない。地獄の閻魔様への手土産だから」と頑なに二枚の画だけは手放すことが無かったという。
 ある時。一村は奄美の世話役の紹介で見合いをすることになったという。 
 そのことを姉・喜美子に報告すると、あなたがそうするなら私もすぐにでも嫁に行ってやるわ ! と吐き捨てたと伝わる。結局、一村は見合いを断り、生涯を独身のまま過ごしたのである。
 一村の死後、今に至ってなお、一村が奄美を終の棲家の先として選んだ理由は知られていない。何故、閻魔様への手土産が必要であったのかも想像の域を出ることは無いようだ。
 人の一生、外から見えることには限りがあり。見えぬ部分は事実を紡いで真実然とさせるという…… なんとも下卑たる所業に行き着く。
 事実を事実だけでお話に出来ればよいが、残念ながら小説書き、それではおまんまの食いはぐれに陥るのだろう。とある版元の編集長を経験し、名だたる文学賞の選考委員も歴任された御仁の言葉ではないが、小説家は嘘書きの名人だという言葉をもちい、とある文学賞受賞作を評したことがある。
 一村のことを書いてみたい気持ちも動くのではあるが…… そう。書けるわけがないのである。今の時点でこの画家の作品をモチーフとした作品など。
 わたしはまだ閻魔様への手土産は用意できていないのだから。
 ちなみに、本稿は既存原稿の修正である。新しい原稿・作品ではない(爆)
   書かんと指震えるわwww   29/17:15である。
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いまだに原稿への着手が進まない… 29/09:10である。今日は萌える五味の日である。こういう言葉の変換時に出てくる候補からヒントを貰うことは少なくない。作品を書きはじめようと言葉の洗い出しをしていると、降って湧いたように、思ってもみない言葉が湧き出てくることがある。
そういう時はノートに書き取る。それを書き溜める。概ねどこに書いたか分からなくなり様々な言葉と共に埋没する。そのうちに調べたことすら忘れてしまう。さてぼちぼち手を入れよう。
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鱗粉を可愛がって頂けた皆様には心より厚く御礼申し上げます。
鱗粉は"健ニイ"が主人公で話が進みました。
Side Bは真弓が主人公で進みます。
全体の設定は変えません。変えないままで真弓の心の動きを
摑まえたいと考えています。したがいまして裏返しになります。
私自身はじめての試みになります。
「私たち… 忘れてた? あの子のことを…」
真弓が使った"私たち"にはどんな意味が込められていたのでしょう。

少しだけお時間を頂戴しますが、何卒、宜しくお願い申し上げます。
仕上がるまで、他の原稿はアップしません。

世一

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