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【漢法いろは塾】講師連絡会に参加したことで感じたことを何回かに分けて #1/3

東豪です。その1ではいろは塾の発足と、その2では会話の中で感じたことについて記しました。




第3回目となる今回は、2019年12月をもって、江戸時代から続いた鍼屋「神戸源蔵」が閉業したことについて、姉弟子との会話を記録しました。


伝統の灯が、一つひとつ消えていく中で、我々鍼灸師が何をできるのか考えてみた。


神戸源蔵の鍼

少し間が空いた。一通り年間予定の打ち合わせが終わり、身近な話題へと移る。今我々は、現会長の治療院で会議をしている。


さすがだな。お互いにお茶や珈琲を時折口に含みながら、ごく自然に、深く真剣な会話を始めている。


僕は、打ち合わせと聞いていたのに何も持ないで参加したものだから、丁寧に切り分けて頂いたA4サイズとちょっと大きめなメモ用紙に、走り書いた表面の内容を裏面に整理している。


手を動かしながら、耳だけ会話に参加する。次第に、話題は鍼へと移る。会長は「あっ!そういえば」と思い出したように振り返り、何かを探し始めた。


「これ、私頂いたけど使わないから、使う人が持っていって!その方が良いから!」と差し出したのが、4代目神戸源蔵の金鍼。


これは、本当にスゴいものが出てきたぞ。


神戸源蔵の歴史は古く、その起源は江戸中期後半から末期にある。僕の記憶が間違いでなければ、初代神戸源蔵は神戸家の養子に入り、何がどうなってか鍼師になったと、聞いたように思う。


2代目神戸源蔵は、江戸末期の鍼医である石坂宗哲に鍼を作り、その鍼でシーボルトへ鍼治療したという話しだ。


その鍼は今でも大英博物館に所蔵されているという。


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大英博物館 写真の引用元

関連論文:

ライデン所蔵資料等によるシーボルトの鍼灸研究に関する再検討

19世紀ヨーロッパな鍼灸の受容におけるシーボルトと石坂宗哲の貢献について(PDF)

【キーワード】大英博物館、シーボルト、鍼


伝統の技術のすごみ

中でも、4代目神戸源蔵は歴代最高の鍼師として、かの柳谷素霊と鍼灸界を盛り上げてきた。


金鍼や銀鍼だけではなく、銀製の鍼管も作っていたが、姉弟子らが言うには、多少重金属は混ぜているのだろうが、金槌で叩いて締めているから、重みがありなおかつ銀が腐蝕しづらく変色しないのだという。


僕は少し前に、今のテクノロジーの力を借りて、金属粉を積み重ねる3Dプリンターを使って、神戸源蔵の鍼管を複製しようと考えていたが、その浅はかな考えは霧が晴れるが如く散った。


我々の師匠である伊藤先生は、特殊鋼鍼といったステンレスでも銀でもない、その名の通り「特殊な鋼鉄の鍼」を使っていた。


姉弟子の一人は、かつて知り合いに頼んで「特殊な鋼鉄の鍼」の成分を、溶かして調べたことがあったそう。


姉弟子が言うには、鉄が70数パーセントで、その他、かなりの種類の金属が混ぜられており、「秘伝の合金」だ、と言うことがわかったそうな。


加えて、溶かし入れる順番やタイミングもあるのだそう。


いつまでもこの世界は続くものだと、ニンゲンは、ややもすると思ってしまうものだが、こんなに複雑な技術や知識が、2019年の12月終わってしまった。ついこの間のことである。


伝統とはなにかを、考えさせられた。



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