無駄の話

先日、地域の劇団による
ミュージカル Grease を観劇した。

1950年代のアメリカを舞台にしたもので
幕前に観客を当時の世界へと引き込むための
演出として、ダイヤル電話や白黒テレビなどが登場した

半世紀以上が経った今、
瞬く間に世の中は先へ先へと進んでいく

東京から約8200km離れたメルボルンで
物書きでも何でもない私の綴る文章が
一瞬で日本に届いてしまう

世の中からどんどん無駄が省かれ
便利が増えていく

けれども時々
省いた「無駄」が恋しくなったりもする

学生の頃
京都から大阪まで自転車に跨り約3時間半
休むことなくペダルを漕ぎ続けたことがある

それこそ一心不乱に

京阪の車窓から毎日のように眺めていた
緑生茂る土手や川、それらを動かすあの風を
自らの身体で感じてみたかった

時間と体力の無駄だと言った友人がいた
実際、やり終えた後は
極度の疲労と激しい筋肉痛に襲われ
数時間ぶりに地面を踏んだ両脚は
しばらく震えが止まらなかった

しかし、それ以上に
目には見えない心の変化
思い出すだけで顔がほころぶような達成感
私の拙い言葉では到底
表すことのできそうにない感情

電車の窓からでは見ることのできない
あの美しい景色は今でも
記憶の取り出しやすい位置にある

人は無駄を愛することのできる
愛おしい生き物である

無駄を特別な何かに変えることのできる
素晴らしい生き物である

これだから人間はやめられない。

ひがし

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