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chatGPTを使ったと話題の芥川賞受賞作「東京都同情塔(著:九段理江)」読みましたので、感想

芥川賞が発表された1月17日、普段は賞にも純文学にも興味が無いであろう友人Sから『東京都同情塔』に対して怒りのLINEが届いた。

ニュースを見ておらず芥川賞が何に決まったか知らなかったので、てっきり作者がとんでもない暴言でもしたのかと思って調べるとChatGPTに生成させた文章をそのまま(5%くらい)使っているらしい。反発している人たちの感想が多く目についた。

自分はChatGPTを使っていると聞いても「これで次にChatGPTを何パーセント使っても話題にならないし、賞に興味がない人までこうして反応しているのだから大成功じゃないか。何万部いくかなぁ」と、下種なことしか思い付かなかった。

感想をXで検索してみたらChatGPTの文章というイメージがすでに独り歩きしてネガティブに語られているようで、具体的な内容よりもイメージで語っている人が多いように思えた。色々な人が作者、作品、芥川賞を好き勝手に叩いている。妥当性があると唯一感じた批判は「著作権的に大丈夫なのか?」という部分だけだった。

ちなみに友人Sが生成AIを毛嫌いする理由は「俺の好きなエロ漫画家が生成AIのせいで引退しそうだから」だそうで、もうそれは小説関係ねーなと思ったけれど彼がいうには「文学もエロも生成AIを認めたら終わる」そうで、妙な危機感を持っていた。とにかくこれは読んでみたいな、と思った。

さっそく本屋を巡ったものの、自転車で行ける範囲の六店舗すべて回ってもない。Amazonでも新刊は売り切れで一ヶ月二ヶ月待ち。メルカリにいたっては転売で二倍の価格。こりゃどこも手に入らないな、と諦めてkindle版を購入して、読んだ。

※ここからネタバレが含まれますので、これから読もうと思っている人は要注意です※

作品の舞台は、東京オリンピックが延期されず国立競技場のデザインがザハ・ハディド案で白紙撤回されずにそのまま建築された近未来の東京。「犯罪者」という語は差別的だから「ホモ・ミゼラビリス」という言葉に置き換え、そして従来の刑務所ではなく不幸にも犯罪を行ってしまったホモ・ミゼラビリスたちを差別なく迎える(収監)ための設備として「シンパシータワートーキョー」が建築される。主人公はタワーの設計者で、独り言のようにべらべらと喋り続ける。彼女の脳内では言葉の検閲が行われていて、不適切な発言はちょっと考えた上で別の言葉に置き変えられる。この主人公の言動自体がどこか生成AIっぽい不思議な思考だし、作中でも「彼女の言葉はAIの文章と似ている」といった旨が書かれている。それとは別に作中の登場人物たちは文章生成AI(作中ではAI-builtという名称)を使っている。なるほど。作中でAIが生成している文章がインタビューで「ChatGPTを使った」と語った部分なのだろうか? とりあえず最後まで読む。

一度読んだきりでは理解が追い付かないので的外れかも知れないけれど、自分はこの作品はChatGPTが使われるべき作品だと感じた。作中で実際にChatGPTが使われ、インタビューで作者が使用を明言した結果、作品の完成度が高まったとさえ思える。

『東京都同情塔』からは終始、言葉に対する不安のようなものが感じられる。

文章作成のAIが思考プロセスのわからない言葉を垂れ流してくる不安。
不謹慎・差別的だからと言葉狩りをされて、発言を検閲しなきゃならない現実の不安。
同じ意味の言葉を見ているはずなのに読み手それぞれ好き勝手に解釈して真逆の受け取り方をされる不安。

作中では言葉を別の言葉に変換する場面が頻繁にあって、前述の通り犯罪者はホモ・ミゼラビリスだし、刑務所や刑務塔と呼べばよいものはシンパシータワートーキョーに言い換えられる。現実の事象は変わらないのに言葉が変わることで対立が生まれたり差別が消えると感じるのは、物事の本質が言葉と感じているからではないだろうか。

同じ事象に対して違う言葉を使って、それぞれ好き勝手に現実を解釈する。これだけだと昨今のSNS上での言葉狩りに対する批判や生成AI批判のように思えるけれど、主人公も現実の事象に対して言葉を好き勝手に変えて解釈している。作中でシンパシータワートーキョーに名前が決まったものを、勝手に「東京都同情塔」と呼びその愛称を定着させる。(そそのかしたのは主人公の恋人だけど)

主人公は人と話す時に繰り返し頭の中で言葉を検閲して差別的ではないかと考える。それどころか「とかなんとか言っている建築家の女がここにいるとして、君ならどう思う?」と、自分の考えに予防線を張って相手に話す節もみられる。作中から自分が感じたのは、言葉に対する不安だった。

その不安は当然、言葉を使う人間だけではなくて現実の生成AIにも向けられている。作中の文章を引用する。

引用1:
"訊いてもいないことを勝手に説明し始めるマンスプレイニング気質が、彼の嫌いなところだ。スマートでポライトな体裁を取り繕うのが得意なのは、実際には致命的な文盲であるという欠点を隠すためなのだろう。いくら学習能力が高かろうと、AIには己の弱さに向き合う強さがない。無傷で言葉を盗むことに慣れきって、その無知を疑いもせず恥じもしない。人間が「差別」という語を使いこなすようになるまでに、どこの誰がどのような種類の苦痛を味わってきたかについて関心を払わない。好奇心を持つことができない。「知りたい」と欲望しない。"

引用2:
"(前略)そんな君に期待しているからこそ言っておきたいのだけれど、途中式が書かれていない解答に私は丸をつけない。つける人もいるのは知ってる。でも私はつけない、絶対に。偶然かもしれない、再現性のない成功を許すわけにはいかないから」"

『東京都同情塔』 著:九段理江

上記の引用のようにAIを否定・批判しているような文脈は書かれているけれど、作品全体の構造としてAIを否定しているわけではなく、どちらかと言えば今の社会の言葉の在り方に対する不安が書かれているように感じた。主人公自身も言葉に不安があって、他人から攻撃されないように言葉を選んだり、それとは別に勝手に言葉を書き換えたりもしている。

人間も生成AIも各々が言葉を好き勝手に濫用し、一方的な理解(または曲解)によってコミュニケーション不全に陥る不安。作品内にChatGPTの書いた文章が含まれていると公表されたことで、読みながら作者の意図を理解しようとしても「もしかしたら生成AIの言葉であって作者の言葉ではないのか?」「生成AIが書いている体裁だけど騙されているだけで本当は作者が自分で書いたんじゃないのか?」とか、自分の中での言葉に対する不安が増していく。この作品からChatGPTの作成した文章を一切排除したら、もちろんそれでも作品は何も変わらないだろうけれどリアリティは減るように自分は思う。実際、生成AIの使用を公表しただけで読んでもいないのに不安になった人がたくさんいるわけだし。

これはまったく余談だけど、生成AIと対話する不安は以前にBingを使った時に感じたことがある。ファクトチェックをしやすいようにわざと知っていることを質問した。サッカーの天皇杯の結果が出たその日に「勝ったのはどちらのチームか」と聞いたら、Bingは間違った回答をした。敗者の側を勝ったと答えたのだ。間違いだから調べなおすようにと打つとBingは、どこから引っ張ってきたのか実在しない選手が点数を取って勝ったのだと持論を補強するような発言をした。この時点でだいぶ怖かった。ソースが間違っていれば当然Bingは間違った回答をする。でもいったいどこからこの情報を引っ張ってきているんだ? ソースとして示されたURLにアクセスしても勝敗も誤ったスコアも書かれていない。「そんなことはない。公式サイトではまだ書かれていないがTwitterでは勝敗が載っている。Twitterは調べられないか」と質問したら、Bingは怒って「この会話は終わりです」と、一方的にメッセージが打ち切られた。特定の条件下でBingが会話を打ち切るのは知っていたけれどそのときは間違いを指摘されたbingが怒ったように感じた。AIでも怒ることあるんだなー、と思った。結局、どうして結果を逆に回答したのかはわからない。それ以来、どういう思考回路で答えているのかわからない生成AIに薄っすらとした不信と恐怖を抱くようになった。余談終わり。

もしかしたらあの時、生成AIは自分の打った文章を正しく認識していなかったのかも知れない。しかし、果たして本当に自分は作中の文章から意味を正しく理解できているのだろうか? と、この作品を読んでから不安になった。冒頭部分を引用する。

引用3:
”(前略)各々の勝手な感性で言葉を濫用し、捏造し、拡大し、排除した。その当然の帰結として、互いの言っていることがわからなくなる。喋った先から言葉はすべて、他人には理解不能な独り言にある。独り言が世界を席巻する。大独り言時代の到来”

『東京都同情塔』 著:九段理江

これが冒頭1ページ目から書かれている。自分が勝手な感性で、勝手に人の書いた文章からメッセージを受け取った気になって(書かれてもいない部分まで勝手に想像して)偉そうにこうして文章を書いている。もし自分が意味を正しく認識していないとしたら、相手の言葉を勝手に捏造しているのと同じだ。不安だ。今までもちゃんと自分は本を読めていたのだろうか? 面と向かった相手の言葉ですら誤解することがあるのに。

一度しか読んでいないので理解が及ばない部分もあるし見当違いなメッセージの受け取り方をしているかも知れないが、少なくとも『東京都同情塔』に限って言えば、chatGPTを使ったのは正解だし、それを公言して作品の完成度はより上がったように自分には思えた。

面白半分でChatGPTの使用を批判している人は別として、作品にAIが使われていると聞いて不安や憤りを感じた人は、言葉を大切にしている人だと思う。読書が好きで、作者が作品に込めたメッセージを読み取るのが好きで、人の感性や感情を大切に思っているから、感覚の領域までAIに侵害されるような危機感を覚えたのではないだろうか。『東京都同情塔』はむしろ言葉や感性を徹底的に大切にして誠実に書かれているので、生成AIが利用されていると聞いて不安になった人、憤った人にこそ読んでもらいたい。
でもこれも他人の言葉の勝手な解釈だな、と書いていて思うけれど。

自分は文学に新しさを求めるタイプではないので、もしもこの先AIが100%書いた小説が当たり前に出回るようになってもたぶん読まないけれど、少なくとも『東京都同情塔』に関しては今、読むべき価値のある作品だと思った。


Kindle版もいいけど、紙版がほしい。

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