非不幸な人付き合い

院長です。

前回は「幸福追求」よりも「不幸ではない状態(非不幸)」に気付き、その状態を維持する事が大切と書かせて頂いた。

有難い事にTwitter(未だにXとは言いたくない)の方では高評価だった。俺の事を下ネタと大喜利の人として認識してるフォロワーさんは驚いたかもしれない。 

俺は今年で35歳になるが、恥ずかしい事に32歳になるまで性善説でしか他人を見られずに時間や尊厳を踏みに焦られてはストレスを溜めてきた。

自己肯定感の低さもあったんだと思う。

我慢や自己犠牲に見返りがあると思っていた。

現実で我慢と優しさは「弱さ」として認識される。

日本では「苦労や我慢」が美化されているが、しなくても良い苦労や我慢は心身を擦り減らすし時間(人生)の無駄だ。

俺は32歳の時にブチギレたのがキッカケで幸福よりも「非不幸」が大切だと気付いた。性善説とも決別した。

「非不幸」を維持する為に八方美人をやめた。

八方美人をやめると本当の友達が分かる。
俺の事を「養分」として見てた人間は去っていった。

人付き合いが減ったのは寂しくないと言ったら嘘になるが、ストレスは減った。

「糞サイコパスな人間に搾取される」という不幸(マイナス)な状態から非不幸というゼロベースな状態になったと言える。

「人付き合いが減るのは寂しい」

気持ちは分かるが、一緒にいて損した気分になるような人間は友達ではない。そんな奴に搾取されて不幸になるくらいならボッチの方が有意義だ。

「独り」に怯える必要はない「一人」を楽しみ自分と向き合おうじゃないか。

「悪者になりたくない」

他人の時間や労力を軽く見てる奴の方がよっぽど悪だから気にしなくて良い。時間や労力は自分自身に使うか貴方に敬意を持って接してくれる人に使うべきだ。

長々と書いたが、要は搾取的な人間との付き合いというストレスの原因を排除して人生の不幸度を下げたほうが良いという事。

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